河合隼雄先生が打診されて日本での会議を受けられたそうだ。


序の中でセシル・バーニー会長(当時)が発表の申し込みが多くあった中で、少しでもいかがわしいものや、水準に達していないものを断ったとある。


「いかがわしい」ってどんなんだったのだろうか。

昔、いかがわしくて、いまはそうでないものもたくさんある。

時間の流れとともにいかがわしく無くなっていく。

なんらかの事件によって、突然いかがわしくなるものもある。


河合隼雄先生も、このことに関して言及されていて、「今後のトランスパーソナル学会の前途における一つのジレンマになる」と。


この「序」は面白い。

学会で発表されているジョン・ワィアー・ペリー博士は日本に開国を迫ったペリー提督の子孫らしい。

そして河合隼雄氏曰く、「私には、この第二のペリー氏ふぁ日本に『第二の開国』を迫りに来たように感じられる」と。


そして「わが国の学問の世界は、トランスパーソナルな面に対してあまりにも閉鎖的であり過ぎたように思われるからである。」とも書いておられる。


それから30数年たった今、日本の学問の世界はどうなんだろう。

最近、学問の世界にきな臭い事件散見するのだけど、大丈夫かなあ。