浄妙山は、骨屋町(ほねやちょう)でお祀りし巡行しています。
 
一般的には街区制という道路で囲まれた一区画を行政単位として、住居表示や自治会が作られます。
しかし京都市の中央部は、通りの両側を一つの自治単位として昔(少なくとも応仁の乱以前)から組織化されていました。
 
 
本論に戻りますが、住所は
〒 604-8164 京都市中京区六角通り烏丸西入ル(或は、室町東入ル)骨屋町●番地
です。
 
骨屋町って、なんか不気味なネーミングですが、扇や扇子の「骨」に関係する工房があり竹細工の職人が居たのではないかと古老が申しておりましたが、定かではありません。
或は団扇や傘の「骨」に因んだものかもしれません。
 
【メモ】
京都盆地は北から南へ伸びる扇状地で、伏見より南側には大きな湖(巨椋池:おぐらいけ)がありました。
伏見の北側では湿地が広がり竹が群生していました。それらの竹材を使って色々な道具が作られました。
先ずは物干し竿や杖から始まって、垣根や装飾材としての建材、竹の箸や竹籠などの日用品、扇・扇子・団扇・傘などの加工品、茶筅・茶杓などの趣味用品と、多岐にわたって重宝されました。
時は下って発明王エジソンが、八幡の竹を炭化させてフィラメントにし、世界初の電球を作った事でも有名です。
 
【2022年2月追記】 『骨』は『扇のホネ』でした。
骨屋町のいわれ(Part 2)
https://ameblo.jp/honeya-cyo/entry-12728939782.html