妙法を植物に例えるなら、何…⁉ | 現代にも活きる日蓮大聖人の言葉と精神

現代にも活きる日蓮大聖人の言葉と精神

現代社会は、科学の発達により利便性が向上しました。しかし、生活面の向上が精神面の向上に必ずしもつながっていないと思います。鎌倉時代の混乱期に、人々を絶対に幸福にしたいと願い行動した日蓮大聖人の言葉と精神を、平易な言葉で伝えていきます。

 

自分を植物に例えるなら…⁉

 一言で植物と言っても、何千何万種類の草木があります。そして、それぞれに、自分たちが成長するのに好む環境があります。日当たりを好むもの、日当たりが強すぎるのはに苦手なもの、水辺が好きなもの苦手なもの、暑いところでも平気なもの苦手なもの、極寒にも耐えられるもの耐えられないもの、日照時間が短くなると花を咲かせるもの、高い山の上が好きなもの、水の中が好きなもの等々と限りがありません。ある面では人間や動物と同じです。人間や動物にもそれぞれの性格や特徴があるように、やはり植物にもあります。ある企業の採用試験の面接の際に「あなたを植物に譬えるならば、何ですか?」と問われたこともあるそうです。また、インターネットで見ていたら、AETHER(エーテル)という会社が「フラワーイメージ診断」というのをしていました。男性というより女性に対してのアンケートといった方がよいでしょう。参考までに、紹介いたします。…色、カタチ、香り、コトバ。知れば知るほど、花の多種多様な魅力には驚かされます。一つとして同じものがない個性は、私たち人間も同じ。今回、「あなたを花に例えたら?」という診断をご用意しました。8つの質問の答えから、あなたらしい花を導き出します。ぜひ気軽に遊んでみてくださいね。<あてはまるものをA~Dから選ぶ> Q1.今年の自分のテーマカラーは?​​​​​​Q2.数量限定のケーキがあなたの直前で売り切れてしまいました。​​​​​​Q3.スマホがない…!あなたの取る行動は? ​​​​​​Q4.ファッションで一番大切にしたいのは? ​​​​​Q5.実は〇〇だと思う Q6.久々の休日。何をする? ​​​​​​​​​​​​​​Q7.自分に向いているかも!と思う仕事は? ​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​Q8.あなたが得意なことは? ​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​A~Dの数を数えて、結果を発表します◇Aが多いあなたはサクラタイプ。美的感覚に優れ、美しい物や風景を見ることが好きなサクラタイプさん。このタイプに多いのは、知的で品のある仕草や、抜群のファッションセンス。でもそれは、日々の自分磨きやメイク・ファッション研究など、自分自身の努力の賜物です。「自分に厳しく、他人に優しく」を地で行くタイプで、周りからの信頼・評判も高め。サクラの花のように凛とした印象です。 ◇Bが多いあなたはピオニータイプ(*ピオニーは芍薬のこと)。色彩感覚に優れ、トレンドにも詳しいおしゃれなピオニータイプさん。このタイプに多いのは、芸術肌でしっかり者の方。一見完璧主義者に見えますが、ちょっぴりわがままでおっちょこちょいなところもあり、そのギャップがいじらしい愛されキャラです。感受性が豊かで、相談を受けると自分のことのように喜んだり悲しんだり…情に厚く、頼りになるお姉さんタイプ。ピオニーの花のように華やかな印象です。◇Cが多いあなたはバラタイプ。共感能力に優れ、世渡り上手なバラタイプさん。このタイプに多いのは、クールで落ち着いている方。常に冷静で、自分だけでなく相手の考えもきちんと理解しようとするリーダー的感覚の持ち主です。大人っぽく見えますが、実はぬいぐるみが好きだったり、プリンセスに憧れていたり…。バラの花のように繊細でロマンティックな一面も併せ持っています。 ◇Dが多いあなたはミモザタイプ。行動能力に優れ、好奇心旺盛なミモザタイプさん。このタイプに多いのは、まじめで愛嬌のある方。何事にも一生懸命で、人を喜ばせることが大好きなエンターテイナー的感覚の持ち主です。新しいことや、自分の知らないことには興味津々。なんでも楽しそうに話すので、このタイプの方の周りは常に笑顔で溢れています。ミモザの花のように明るい印象です。…以上です。 このように、性格や思考や行動パターンによって4種類の植物に自分を例えることができるとしています。そして、このエーテルでは4種類のパターンの人に、それぞれの色柄の商品を提案するというものです。ここで4種類の花に例えたのが一つのポイントですね。それぞれに、色、柄、匂い等に個性があり、それを人間に置き換えて考えていくことに面白みがあります。実際にアンケート結果と自分の傾向と好みが、エーテルの提案する商品と上手くマッチしたかは分かりませんが…⁉実は、仏法も、植物に例える思考をしています。

 

「南無妙法蓮華経」を植物に例えるなら…⁉

 たとえば、「南無妙法蓮華経」を植物に例えると何?ということです。仏法を知らなくても感の良い人は分かってしまうかもしれません。それは、南無妙法蓮華経の中に答えが書いてあるからです。植物名は、南無でもなく、妙法でもない。経でもないとすれば、残りは「蓮華」となります。そういえば、大仏様や仏像が蓮の花の上に乗っかっているのをよく見ます。あれを蓮華台と言います。ですから、仏教と蓮華、釈迦と蓮華には深い関係があると想像できますね。先ず、蓮華(ハス)とはどんな植物なのか簡単におさらいしましょう。ウィキペディアによりますと、「原産地はインドとその周辺。日本では帰化植物として、北海道から九州に分布し、池や沼などに自生する。多年草で、春に地中の地下茎から芽を出して茎を伸ばし、水面に葉を出す。草高は約1メートル、茎に通気のための穴が通っている。はじめは浮葉になるが、のちに長い葉柄をもって水面よりも高く出る葉もある。葉は直径40 ~ 50cm の円形で、葉柄が中央につき、撥水性があって水玉ができる。沼や池の沿岸部に沿って多く自生する。花期は夏で、葉柄よりも長い花茎を水上に出して、白またはピンク色の1輪の花を咲かせる。早朝に咲き昼には閉じる。花後は、花床の穴の中で、実を結ぶ」とあります。清流ではなく、泥池の中にピンクの花が綺麗に咲いているイメージがとても強いですね。実は、このハスの生態そのものが、妙法の働きと似ていると言われているのです。大きく分けて2つあります。一つ目は、泥水の中で清廉な花を咲かせる”泥中不染”ということです。これは、蓮華は、泥沼に生えても、泥水に染まらず、清らかで香り高い花を咲かせます。それは、妙法を信じ実践する人は、苦悩渦巻く現実世界に生きながら、清らかな心と行動をたもち、人々に自分の勝利の実証を示し、そして、他の人にも妙法へと教え導くことを思い浮かばせるということです。二つ目は、蓮華は、他の花とは違って、つぼみの段階でも花びらの中に果実である蓮台があり、花びらと実が同時に生長し、花が開いて実が現れた時も花びらがあります。原因である花と結果である実が同時です。これは、まだ仏の境涯(仏界)が開き顕されていない凡夫の段階でも、仏の境涯は見えないけれども厳然と具わっていること、さらに、仏となっても凡夫の生命境涯が失われないということを示します。妙法に則して言えば、誰もが心に南無妙法蓮華経という仏性(因)をもっています。しかし、誰もが自分が仏性をもっている仏であるとは気がついていないのです。しかし、この妙法の話を聞き発心して御本尊を受持し題目を唱えた瞬間に仏(果)と開けるということを言われています。つまり”因果倶時”のことです。それまでの仏道修行は、長くて苦しい仏道修行(因)と踏んで、それを乗り越えた人だけが成仏(果)出来るというもので、因果即時とはかけ離れていたのです。ですから特定の人しか成仏ができない、ましてや二乗といって、自分の考えややり方に強く執着する人々や女性は、成仏は許されていなかったのです。このように、仏教に疎い人々に、妙法の偉大さや力用を伝えるために、蓮華という植物に例えたところはとても分かりやすく素晴らしいと思いました。

 

結論:大きな公園やお寺の庭園に池が造られていることがあります。そして、そこに睡蓮がある光景を時に目にします。そして、夏には本当に清々しいほどの花を咲かせます。因みに、睡蓮の睡は”眠る”です。午後からは、眠ってしまうということで、観賞するには早朝から午前がベストです。ところで「御講聞書」という御書には、蓮に例えた御書があります。「一不染世間法如蓮華在水従地而涌出の事 仰に云く、世間法とは全く貪欲等に染せられず、譬えば蓮華の水の中より生ずれども淤泥にそまざるが如し、此の蓮華と云うは地涌の菩薩に譬えたり、地とは法性の大地なり所詮法華経の行者は蓮華の泥水に染まざるが如し、但だ唯一大事の南無妙法蓮華経を弘通するを本とせり、世間の法とは国王大臣より所領を給わり官位を給うとも夫には染せられず、謗法の供養を受けざるを以て不染世間法とは云うなり、所詮蓮華は水をはなれて生長せず水とは南無妙法蓮華経是なり」と。これは、日蓮大聖人が弟子たちに法華経を講義したものを、弟子が書き残したのもです。

これを要約しますと、「大聖人がいうには、蓮が泥中にあっても泥水で汚れることが無いように、妙法を持ったものは俗世間の汚れに染まることはない。世俗の名誉欲や出世欲などの欲に染まることはない。蓮華は水から離れては成長も生育もできない。しかしてその水とは、”南無妙法蓮華経”のことである。」ということです。”桜のように、散り際よく命をすてよ”ともてはやして、幾百万の尊い命を死に向かわせた誤った指導者に扇動された時代もありました。

全く悲惨としか言いようがありません。一方で日蓮大聖人は、末法の世の辛く厳しい娑婆世界にあって、妙法を持って”泥中の蓮”のように、

強く逞しく清廉に生きよと教えられています。  桜や蓮には何の責任もありません。只、それを例えとして、「人をどのように方向に向かわしめるのか?」。末法万年先の衆生の幸福まで考えていた、日蓮大聖人の偉大な指導力と思想がそこにあると思います。