仏法を志すに、”遅過ぎ”はない…⁉ | 現代にも活きる日蓮大聖人の言葉と精神

現代にも活きる日蓮大聖人の言葉と精神

現代社会は、科学の発達により利便性が向上しました。しかし、生活面の向上が精神面の向上に必ずしもつながっていないと思います。鎌倉時代の混乱期に、人々を絶対に幸福にしたいと願い行動した日蓮大聖人の言葉と精神を、平易な言葉で伝えていきます。

 

意外に遅かった人たち…‼

 学問も習い事も、学び始めるには、そして大成するには何でも早い方が良いと言われます。例えば、言語にしても、絶対音感にしても3歳までが勝負と聞きます。それより以降になると習得が鈍くなるようです。それは、運動神経にも当てはまります。日本卓球界を代表した、福原愛さんも、石川佳純さんも卓球台より背が低い頃よりラケットを毎日のように降ってきました。テレビでたまに彼女たちの小さい頃の映像を見ますが、無心でボールを打ち返し、失敗すれば泣きじゃくる姿は、当に早期教育、英才教育の証明する記録映像と言えます。その他、芸術家・スポーツ選手・音楽家等々で一流になった人たちの殆どが、幼少時から血のにじむような努力をしているのです。しかし、幼少時から習い事を始めたからと言って必ずしも、大成するとは限りません。上に行けば行くほど、乗り越えるべき壁や敵が大きくはだかり、自分の行く手を阻むからです。大成して名を残した人は、当に氷山の一角と言えます。でも、何にもチャレンジしなかった人よりは、喜びも苦しみも、血も汗も滲むような思いも、はるかに貴重な体験をしたのではないでしょうか。若いからこそできた経験かも知れません。また一方では、遅咲きの人、大器晩成という人もいます。聖教新聞の”名字の言”に、小説家の新田次郎さんの話が出ていました。興味深かったので、その一部紹介します。…山岳小説の第一人者として知られる新田次郎は、若き日から文筆一筋だったわけではない。もともと中央気象台(今の気象庁)に勤める公務員だった。43歳の時、小説『強力伝』が直木賞を受賞したことで、人生が一変する。当初は”二足のわらじ”で執筆を続けていたが、悩み抜いた末に気象庁を退職する。53歳での一大決心だった。以来、筆一本に全てを懸け、多くの名作を世に送り出した。…以上です。私も新田次郎さんの本を何冊か読みました。その中でも、映画にもなった「八甲田山死の彷徨」は、人間の心理描写、自然の厳しの表現が秀逸で、深く心に残っています。また、推理小説を多数残した松本清張さんもデビューは、以外にも40代でした。しかしその後の、執筆の勢いは凄まじいものがありました。もっともっと昔で言えば、世界最古の小説とも言われる「源氏物語」の作者の紫式部も、執筆活動を始めたのは30代になってからです。当時の平均寿命からすると、かなり遅かったと言えます。しかし、遅かったからと言って、書かれた作品が気後れするものではなく、むしろそれまで溜めていたエネルギーを一気に吐き出すように、質も量も他をも凌駕する存在感を残しました。もちろん、そこには本人の持っていた素晴らしい資質、書き出すために使った時間と努力は、並大抵のものではなかったでしょう。でも、「人生の挑戦に遅すぎることは、けっしてない…」です。私達だって、体力づくり、マラソン、歌や楽器、俳句や短歌、絵を描く等々「やろう!」と決めれば、幾つからだってできるのです。100歳でマスターズの新記録を出した方も、子供のころからずっと運動していて訳ではなく、80歳の声を聞くころから体力づくりを始めて、大記録を残したのです。”思い立ったが吉日”です。

 

信じることに、”遅すぎる”はない!

 では、仏法を志すことに関してはどうでしょうか。日蓮大聖人は、12歳で清澄寺にご入山され、16歳で得度(出家)されました。日蓮大聖人が、日本の法華経の開祖とも慕うべきで最澄(伝教大師)もやはり12歳で近江国分寺にご入山され、15歳で出家されました。では、仏法の大本の釈尊はどうでしょうか?釈迦に関しては、このブログでも以前に紹介しましたが、もともと王子様で10代で結婚をし子供も儲けていました。従って、家族や地位や財産を捨てて出家したのは遅く、29歳頃と言われています。いずれの高僧と言われた人たちの出家年齢は、特に早いとは言えません。現代で言えば、中学生から高校生になった頃から本格的に仏道修行を始めたということになります。但し、これらの高僧は、一旦仏道を志してからは、その道を究めようとする意志の強さ、努力、求道心の強さは半端ないものだった言えます。日蓮大聖人が12歳で清澄山に登られ、名を薬王丸と改めた時には、虚空蔵菩薩に「日本第一の智者とならしめ給え」と願をかけています。つまり、出家する以前からその志しの高さが違っていました。そして16歳で出家して”蓮長”と名乗り、南無妙法蓮華経と唱え始めた時は32歳で”日蓮”と改名しました。それ以後の志しは、「我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ」というように変わっていきました。つまり、「日本一の智者」から「日本の柱」になろうと、そのようにストイックな求道と布教の道を進んでいきました。普通の人には真似ることは当然難しい話です。では、大聖人は、一般の人々が仏法を志すことにあたり年齢的なことについて何か言及しているのでしょうか。私は、分厚い日蓮大聖人御書全集を初めから終わりまで数回読み通しましたが、「信心を始めるのは、早ければ早いほど良い」とか「得度(出家)は何歳までにしなさい」とかの記述は、一度も何処にも目にしたことはありません。つまり、”南無妙法蓮華経と信じて唱える”のに年齢は、関係がないと言えます。日蓮大聖人が常に言われて御書にもよく書かれている言葉は、「ただ思いきれ」「ただひたすらに」「深く信心をおこして」という主旨のものです。つまり、「南無妙法蓮華経は、必ず皆を幸せにする。絶対に良い方向へ転換できる。だから、疑わないでただひたすら唱えていきなさい」という内容のものが多いです。当時は、天災、人災、疫病、戦乱、困窮、殺傷、政情不安等が身の回りに溢れ、日常茶飯事でした。誰もが、毎日が死と隣り合わせの日々でした。ただ人々に”耳触りの良い言葉かけ”だけでは現状打開などできない極限の状況だったのです。だからこそ、大聖人の表現も情熱的で精力的でそれでいて抱擁するような言葉が多いです。それは、一般大衆ばかりに対してだけでなく、日蓮門下に対しても峻厳でした。「開目抄」に「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ 現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけん つたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」と言い切いっています。”中途半端な信心では、いざという時に何の役にも立たない、絶対だと信じて南無妙法蓮華経と信じて唱え切りなさいと、自分にも言い聞かせ弟子・檀那にも言われています。また、このようなことも言われています。ある信者が「大聖人の唱える南無妙法蓮華経と信者の唱える題目とは何か違いがあるのですか」と質問しました。すると大聖人は「南無妙法蓮華経には一切の違いはなく同じ力をもっています。ただ信じる力の違いによります。」と答えています。更には、「月水御書」には「一期の間に只一度となへ・或は又一期の間にただ一遍唱うるを聞いて随喜し・或は又随喜する声を聞いて随喜し・是体に五十展転して末になりなば志もうすくなり随喜の心の弱き事・二三歳の幼穉(ようち)の者のはかなきが如く・牛馬なんどの前後を弁へざるが如くなりとも、他経を学する人の利根にして智慧かしこく・舎利弗・目連・文殊弥勒の如くなる人の諸経を胸の内にうかべて御坐まさん人人の御功徳よりも勝れたる事・百千万億倍なるべきよし」とあります。要約すると「一生の間に只一度だけでも南無妙法蓮華経と信じて唱えたり、唱えて歓喜している人の声を聞いて喜ぶだけでも、他の宗教をしているの何億万倍も功徳がありますよ」と言われています。これは、実に凄いですね。ですから、極端に言えば、臨終の間際でも歓喜して南無妙法蓮華経と信じて唱えれば、功徳も成仏もあり得るということです。何故ならば、仏性では、”三世の生命”を説いているからでます。それは、”死んだらすべて終わり”ではなく”死んでからも生命は続く”ということです。ですから、死ぬ間際でも歓喜をもって唱えた題目の功徳が、”来世にキャリーオーバー”されるということです。結局、ですから、信心を始めるのに”遅すぎる”ということは無いのです。でも、「早くても遅くても功徳は受けられる。どうせ功徳を受けるのなら、もっと早くから受けた方がおとくだよ」ということを大聖人は言われているのではないでしょうか。この言葉を信じて歓喜するか、聞いて疑って義憤するかは、”あなた次第”です。そして、その結果は、自分で負うもので、他人の責任ではありません。

 

結論:一遍でもそんなに功徳があるのだから、「きょうは三遍もあげた」と歓喜する人もいるでしょう。その歓喜が大切です。「0に幾つ足しても、かけても0」という言葉をよく耳にします。御書には題目を唱えることに関しては、「日夜朝暮に怠らず」とは書いてありますが、何遍あげなさいとか、何時間やりなさいとは書かれていません。そのうえで、もちろん、題目は、たくさんあげられれば、そのほうがよいことは言うまでもありません。よく題目あげるのを「詰まった水道管に水を流す作業とおなじである」と譬えています。つまり、過去の宿業という垢(あか)で詰まった生命(水道管)に、少々の水(題目)を流しただけでは、垢は流しきれないのが現状です。これは、個人差もあります。ですから、それはどこまでも、自分自身の自覚と決意にまかせて行うべきものです。信もなく、義務や形式で唱える題目では、水圧も弱いかも知れません。しかし、主婦の方が、もし仮に、ご主人やお子さんが「ご飯まだかな」とか、「買い物にいかなくちゃ」などと多忙な中でも、時間を作り出して、わずかにでも題目を唱える功徳は、余裕があって長時間あげる題目の功徳にも勝るとも劣らないと思います。逆に長時間、唱題しても、生活がなおざりになったり、人を巻き込んで嫌な思いをさせたりすることがあっては本末転倒と言えます。また自分は、一日にこんなに長時間、唱題したのだと、時間の長さを自慢する必要もありません。あくまでも、「信」あっての題目です。「歓喜」あっての唱題です。長時間しかも早朝深夜に大声でするようなことも、周囲に、さまざまな点で誤解を生じやすいと思います。大聖人は、「信をもって、白馬のいななきのように朗々と題目を唱えなさい」と教えられています。近隣を顧みず自己中心で大声で唱えても、信頼を失い、法を下げてしまう場合もあります。「ただ一遍、南無妙法蓮華経と唱えても、広大な功徳がある。永遠の功徳がある。」との確信です。

 信心の”早い遅い”や唱題の”長い短い”に関わらず、”信”をもって唱えることが大事です。