「衝撃」~美濃部亮吉、その知られざる都知事時代の功罪について振り返る

「衝撃」~美濃部亮吉、その知られざる都知事時代の功罪について振り返る

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参考過去記事:


[石原慎太郎]都知事辞任、東京五輪、東北復興、小沢新党、そして100兆円を結ぶ点と線(1)
http://ameblo.jp/honey-spider/entry-11401944459.html
[石原慎太郎]都知事辞任、東京五輪、東北復興、小沢新党、そして100兆円を結ぶ点と線(2)
http://ameblo.jp/honey-spider/entry-11402044060.html
[石原慎太郎]都知事辞任、東京五輪、東北復興、小沢新党、そして100兆円を結ぶ点と線(番外編)
http://ameblo.jp/honey-spider/entry-11402201023.html
[石原慎太郎]都知事辞任、東京五輪、東北復興、小沢新党、そして100兆円を結ぶ点と線(3)
http://ameblo.jp/honey-spider/entry-11402229373.html
[石原慎太郎]都知事辞任、東京五輪、東北復興、小沢新党、そして100兆円を結ぶ点と線(4)
http://ameblo.jp/honey-spider/entry-11402364612.html


[都知事選]都知事の座を降りて後もなお、燃えさかるドス黒い憎悪…毎日新聞の石原都政バッシング
http://ameblo.jp/honey-spider/entry-11407612686.html



[都知事選]宇都宮健児の出馬でより鮮明になった東京サヨク軍団の暗躍…光る彼らへの監視の目(1)
http://ameblo.jp/honey-spider/entry-11410968599.html
[都知事選]宇都宮健児・東京都知事候補と東京サヨク軍団の暗躍…光る彼らへの監視の目(2)
http://ameblo.jp/honey-spider/entry-11411745481.html



[InterMission]2012年12月16日の意義…「東京国大統領」の強大なる権限を侮るな
http://ameblo.jp/honey-spider/entry-11412753608.html



[都知事選]確信犯か?あまりに面白くわかりやすい五十嵐仁・法政大教授の都知事選・総選挙大解説
http://ameblo.jp/honey-spider/entry-11420323493.html


[Intermission]「理由はひとつ、彼が石原慎太郎であったことだ」…東京都知事選の歴史
http://ameblo.jp/honey-spider/entry-11421858822.html



管理人より:


東京都府中市。


新宿から22km西方にあるこの人口25万人を有する市が、近隣の調布市・その他を尻目に、広くて新しい体育館など他の市と歴然とした差を持つ栄えっぷりを維持出来る理由がおわかりだろうか。


結論から言うと、府中競馬場があるからである。


管理人はパチンコだろうか競馬だろうがやらない人間だが、公営ギャンブルの国政・地方自治を問わない実効性は認めているのだ。


なので、カジノもあった方が良いと考える派である。

ただし私営ギャンブルであるパチンコは別だ。


理由はもうお分かりかと思う。ひとつ、たとえ税金を一定分納めていようが、財源となり得ず、還元されないこと、それどころか、次から次へと廃人を産み出していること。そしてもうひとつは、これもお分かりかと思うが、北朝鮮への表に出ない財源となるべく、海外流出させてしまうこと、以上2点だ。


さて上記を踏まえ、下記二つの動画をよくよくごらんいただきたい。







以下、Wikipediaより抜粋引用。


美濃部 亮吉(1904年2月5日 - 1984年12月24日)

第6代東京都知事、第7代東京都知事、第7代東京都知事




東京都知事


日本社会党を支持基盤とする革新知事として知られ、1967年(昭和42年)から1979年(昭和54年)の12年間(3期)に渡り東京都知事を務めた。美濃部亮吉の政治的手腕は母方の祖父・菊池大麓から、リベラルな思想は父・美濃部達吉から受け継がれたといえる(もっとも、達吉は日本国憲法に最後まで反対していた)。1971年(昭和46年)の都知事選挙では361万5299票を獲得した。これは個人が獲得した得票数としては日本の選挙史上最多得票記録であり、現在も破られていない。


政策面で評価されている点としては、老人医療費無料化、高齢住民の都営交通無料化、公害対策で企業に厳しい条件を課すなど、福祉、環境政策において様々な施策を次々打ち出し、東龍太郎都政の時代において取り残されていた課題へ対応した点が挙げられる。


批判されている点としては、これらの福祉・環境政策を充実させた裏側でそれらを実行する為の財政的な裏付けや計画性に乏しいバラマキ財政となり、結局は東京都を当時前代未聞の財政難に転落させた事が挙げられ、後年保守派から「戦後都政の暗黒時代」と批判される事にもなった。この財政悪化の主要因の一つとしては、1974年にオイルショックが起こって高度経済成長が終わって税収の伸びが鈍化したことが指摘されている。




南北朝鮮および在日韓国・朝鮮人との関係


対南北朝鮮、在日韓国・朝鮮人の関連では全国の都道府県の中で先駆けて朝鮮総連など、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に近い立場の関連施設の固定資産税を免税にしているほか、朝鮮大学校を各種学校として認可している。美濃部は「都市外交の一環」を名目に1971年(昭和46年)に、現職知事としては唯一の北朝鮮訪問を行っている。


美濃部の主たる支持基盤が北朝鮮との友好政党である日本社会党であったことから、前出の公営ギャンブル廃止論の背景には北朝鮮利権が色濃く存在するパチンコ産業の拡大を政治面から後方支援する目的があったのではなかったかとの疑念を示す意見もある。その他、都内でのパチンコ遊技場や飲食店の設置について、美濃部在職中においては北朝鮮資本が関係するものは比較的スムーズに営業開始に至ったものが多かったのに対し、一方で特に韓国系資本の関わるものについては各種許認可の遅延など様々な妨害が行われたとの声が、主として民団系の立場の者からは出されている。


ただし、民団系の在日韓国人に対して万事冷淡であったかというと必ずしもそうとは言い切れず、在日外国人に対する医療保険の適用を行うなどしており、そのことに対して在日韓国人の辛淑玉は「美濃部亮吉のおかげで命を永らえることができた」と高く評価している。




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