短編百編書こうと思う -2ページ目

短編百編書こうと思う

暇なので短編百編書こうと思います。

振り返ってはいけないとその人は言った。

 しかしナシコは振り返ってやった。何も起きなかった。黄泉に連れ戻されることも、世界の真実を目にしてしまうことも。

「もったいぶっちゃってサ」
しらけた気分で路傍にネコジャラシの生えた線路沿いの道を歩いた。三十センチ程のウミウシを肩に乗せた中年男とすれ違ったが、ふん、と思ったきりすぐ忘れてしまった。
ナシコは腹が減っていたのだ。

 目的の駄菓子屋に着くと、あんこ玉を二袋買い、山から登る朝日の眩しさに目を細めながら立ったまま口に入れ咀嚼した。携帯に至極便利なあんこの玉、素朴なるもの、我ボンボンショコラよりも汝を愛す。

 朝日が山の端を離れる前に二袋を平らげ、エネルギーはナシコに満ちてきた。
「ヨシ」
鼻からひとつ長めの息を吐くとナシコは電信柱に登り始めた。店番の老婆はチラリと見たきり興味なさそうに正座を続けた。若さとは唐突なものねと思ったかもしれないし思わなかったかもしれない。

一歩一歩着実に登り、ようやく上に着いた。風が強い。長い髪があおられ渦を巻き、もうどこが前髪か後ろ髪かわからない。

「バカヤロー!」
ナシコは叫んだ。
「私は!振り返りたい時に!振り返るし!またその後翻って!前へ!進むことも!する!」
勢いでほとんど落ちそうになりながら奇跡のバランスでもってナシコは明瞭に叫び終えた。
ゼイゼイとした呼吸をその場で整えることもせず今来た道を再び降り始める。
トンと地面にローファーを着けると手でセーラーの埃を払った。

地上の風は強くない。
朝日に照らされながらナシコはまたスタスタと歩き出した。駄菓子屋の老婆は居眠りをしている。
コケコッコーとどこかでやや遅い鶏が鳴き、駐在さんが自転車で通り過ぎていった。
サダオは疲れていた。
左肩が少し下がる後ろ姿、ねずみ色の背広はとうに張りを失っている。夕暮れの道に伸びる彼の影までもが生気なくだらりとしていた。
俺はもう疲れたのだ。サダオは思った。
何をどこから間違ったのか過去の選択肢の数々を思い返してみるが、どれもその時点では最善だと思ったのだ。
ひきずるように進めていた革靴の踵を止め、サダオはベンチに座った。ハンカチを取り出し額の汗を拭く。下校の自転車が二台通り過ぎていく。
自身の影をぼんやりと眺め、黒い油のようだな、と思った。

夕陽はいよいよオレンジに大きく、今にも沈もうとしている。
ふと何かゆらり、と揺れた気配がした。
「父さん」
サダオは視線を上げた。
一m程のアメフラシがいつのまにか目の前にいた。
「君は何者だ」
「探しているんだ、父さんを」
「俺はちがう」
アメフラシは悲しそうに少し揺れた。
「……」
無言のサダオの前で悲しそうなアメフラシはゆっくり小さくなっていった。
何かを話そうとしているがもう何も聞き取れない。
足下にぺそっと佇んでいる生き物を手のひらに乗せ、サダオは携帯電話を取り出した。
「ええ、明日、有休を一日、すみません」
電話を切ると、今来た駅を振り返った。
一番近い海岸までどのくらいだったろう、そう考えながらサダオは歩き出した。
日は既に落ち、辺りは紫の闇に包まれていた。
明かりを灯した客車がゴウと過ぎていった。

終わり