最愛の父が1月1日、午後6時7分に天国に旅立ちました。

最期の言葉はありがとうだった。
父らしい最期の言葉だなと思った。

最後の方は父の介助は大体アタシがしていて、一緒に過ごす時間も多かった。

父の大好きな食べ物屋さんに行ったり、美術館、博物館に行ったり。

ケンカも沢山したけど、アタシは父の介助を通して父と長く一緒にいられて良かったと思う。

10月1日に最後になる病院に入院した時には主治医に1ヶ月持つか分からないし、いつ急変してもおかしくないので覚悟しておいて下さいと言われた。

死期が近い事を隠して接するのは結構辛かった。
アタシとしては一生懸命したつもりだし、回りからも言われるけどもっと優しく出来たんじゃないかな?とか、介護をもう少し勉強したら良かったとか後悔ばかりで。

そしたら遺品整理してた中にアタシの事を書いてる手紙というかメモがあって、アタシが病気なのに一生懸命してくれている。私(父)はどうなってもいい。今のままでは家族総倒れになるって書いてて。
頑張ってるとこちゃんと見ててくれたんだなって、涙が出た。凄く救われた。
やっぱり父はアタシの父だなと思った。

まだ、現実を受け止められなくて立ち止まってしまうけど少しづつ少しづつ前に進めたらなと思います。

今年の桜も一緒に見たかったな。。

仮通夜、お通夜、葬儀と長い時間父の側にいれたし、お風呂大好きな父だったから湯棺も出来て良かった。
旅立ちの洋服は父が気に入って遺影の撮影の時にも着ていたジャケット、母からのプレゼントのシャツ、お気に入りのサスペンダーにパンツ、靴。アタシがプレゼントした鞄。そして寒がりの父だったからマフラーも持たせました。

コーディネーターさんやスタッフさんのお陰でとても温かい式になったと思います。

初七日もその日に済ませ、父にも同じ食事を。大好きだったすき焼きで良かったです。

お父さん、今まで大切に育ててくれてありがとう。





アタシにもサンタさん来ましたよ~音符
まりあが退院出来ました流れ星
まだ、完全に良くなってないので毎日通院になるけど、まりあもおうちの方がリラックスできるかな~?って先生がおねがい
明日からもまりあと一緒に頑張りますキラキラハート