母が毎朝お弁当を作ってくれていたのを
私は長い間、当たり前のことだと思っていた。
小学1年生から高校3年生までの12年間
台所に立つ母の背中は変わらずそこにあった。
アルミの弁当箱のふたを開けると
ご飯の上には海苔で描いた小さな顔が・・・
笑い顔だったり
ウサギの顔だったり
毎日少しづつ違っていた。
中学に上がると
私はその「顔」が少しずつ恥ずかしくなってきた・・・
友達に見られたらどうしようと
ある朝、私は母に言った
「もう海苔の顔、いらない、子供っぽいから」
母は一瞬手を止め、「そう」とだけ言った。
翌日から、ご飯の上には何もなくなりました。
高校を卒業して、実家を離れた
一人暮らしを始めて、米を炊くことや料理を作ることの
面倒くささを知った。
朝、眠い目をこすりながら台所に立つのが
どれほどたいへんなことかようやくわかった。
実家に帰ると、母は何かを作って待っていた。
私が好きだったコロッケ、筑前煮、卵焼き・・・
帰省の旅に食卓に並んだ。
私は「おいしい」と言いながら食べた。
でも「ありがとう」という言葉を言えなかった。
照れくさかったのか、自分でもよくわからない。
「弁当メモ」
母が逝ったのは秋だった。
71年の生涯でした。
最後の数か月は入院していたが
苦しむことなく眠るように・・・
穏やかな最期だったと
看護師さんが教えてくれました。
四十九日が過ぎ少しずつ遺品の整理を始めた
母は几帳面な人だったから
押し入れの中はきちんと整えられていた。
アルバム、父との想い出の品々——
ある日の午後、押し入れの奥から
古い段ボールが出てきた。
開けてみると、私の通知表や卒業アルバム、
1冊の古びたノートが
表紙には、母の字で「弁当メモ」と
書いてあった。
開いてみると
「4月8日 入学式 卵焼き ウインナー ほうれん草のごま和え
ごはんに海苔で笑顔を描いた、喜んでくれといいけど」
「6月15日 雨 梅雨は食中毒に気を付ける
おかずを少し濃いめの味つけにした」
「11月3日 文化祭 好きなものだけ入れた
今日は楽しんで欲しい」と・・・
「毎日食べてくれて、ありがとう
」
※ページをめくる手が、途中で止まった
※10月2日 海苔の顔をやめてほしいと言われた
※もう中学生だから当然か
※でも、少し寂しい
※明日からどんなお弁当にしようか」
※読んだ瞬間、目から・・・
※あの日のことは今でも覚えている
※「もういらない」と言った私に
※母は「そう」とだけ答えた。
※寂しそうな様子も見せず
※このノートにだけ、本音を書き残していた。
※「ノートの最後のページに、日付のない一行があった」
※「毎日食べてくれて、ありがとう」でした。
※生きているうちに気持ちを伝えられなかったことが悔やまれる。
※私は毎朝ご飯を炊くようにした
※忙しくても、面倒でも、お米を炊く。
※それが今の私にできる、せめてもの「ありがとう」だと思うから。
※読者手記:受賞作より
