(前回の続き)再来店の日。
今度は、ご本人だけでタクシーで来られました。
ずいぶん足取りも軽く、笑顔で。
創作意欲は満々で、
「作りたいけど、治るまで、ここは我慢のしどころ。」
と自分に言い聞かせておられます。
「本当に作るのがお好きなんですね。」と話ながら
前回と同じように施療していきます。
今回は頚部も診ていきます。
「18ぐらいの女学生のころ…。」
天井をぼんやり見ながら昔話がこぼれてきました。
「学校の生徒全員が、戦闘機を作るのに召集されて、
名古屋の工場に動員されたのよ。」
「高知駅を出発する時、家族とか見送りの人が、
”バンザーイ!バンザーイ!”って。
兵隊さんの見送りと同じようでした。」
「本州に渡る連絡船の中は、半分は兵隊さんたちでした。
船を降りたら兵隊さんたちは西へ、私たちは東へ向かう。
私も、もう生きては故郷に帰れないと思ってましたよ。」
懐かしそうな表情で語られますが、
私の方は、そんな覚悟をしている
”その時の女の子”を思うと言葉に詰まります。
「向こうに着いてからは大変でした。
毎日、朝から晩まで、 そこに順番に並べてある
戦闘機の部品を組み立てる作業。
男も女も関係ない。重くても…。」
「雨の日は、雨漏りなんてもんじゃない。
工場の屋根はボロボロ。
作業中感電して死んだ人もいました。
皮膚が焼け付いて剥がれないのよ。」
「空襲警報が鳴ったら、山のほうへ逃げるの。
ひどい時は一晩に3回もあって、
その度に起きて、夏だったから吊ってあった蚊帳を
素早くきれいにたたんで、戻ってきたらまた吊って。」
そんな状況で蚊帳までもきちんと
片付けて移動する事に驚く私に、
「そうよ。」と、当たり前のようにおっしゃいました。
「アメリカ軍もよく知っていて、
出来上がった戦闘機を爆撃しにやって来るの。
誰か内通者がいたかも。
出来上がっている戦闘機から上手に爆撃するので、
アメリカの飛行機が来たら、出来上がったものは
真っ先に飛び立たせるの。それで私たちを
守ってくれるのかと思ったら、どっかに行くのよね。」
「100人壕というのがあってね。100人入る防空壕ね。
でも、そこへ爆弾が落ちて、全員やられてしまいました。
私たちがその人たちを壕から掘り出してあげるんだけど、
それはもう……。夏でしたから、臭いもすごいし…。」
「食べ物もなかったし。お汁だけのお粥みたいなものでした。」
「わずかな休憩時間に近くの民家に食べ物をもらいに歩いたけど、
そこの人たちも大変で、結局歩いただけで
何もなく帰ってくることも。」
「隣には兵隊さんの宿舎があって、
何ヶ月かに一回、給仕当番が回ってきて、
その時は食べていいの。
わあ、ここにはこんなに食べ物があるんだと思って、
いっぱい食べるけど、もうお腹が受け付けなくって、
せっかく食べたのにすぐ下してしまったりでね。」
ゆっくりと穏やかに語る言葉ですが、
脳裏にはどんな絵があるのかと
ずっと表情を見ていました。
「学友の方も亡くなったんですか?」
「それが、幸い、死んだ者はいませんでした。
でも、高知に帰ってきてから何人かがバタバタと。
栄養も取らず、極限状態でしたからね。」
それでも敢えてきいてみました、
「そんな大変な中でも、何か一つでも
良かったと思えることはありました?」
「良かった…?? ないわねぇ。」
目を閉じて穏やかな表情でそう言われる。
時代を生き抜き乗り越えた力強さと穏やかさ。
表情に浮かぶ幸福感。
「息子たちは大阪にいるけど、
『終の棲家はどうするの?』というから、
高知がいいって言って、新居浜から一人で引っ越して、
今は老人ホームにいます。」
「高知に帰ってきた時、小学校時代の友達が集まって
歓迎会をしてくれましてね。うれしかったわ。」
「ダンボールクラフトの材料をまとめて買ってあるから、
早く作ってお友達にあげて喜んでもらいたいのよ。」
「それは是非、つくってあげてください!」
全身が柔らかくなり、施療は2回で終了となりました。
「タコのようにやわらかくなって、
腕も伸びる感じ」と笑いながら言われました。
いちだんと元気になられて動きもよくなり、
タクシーにさっと乗って帰られました。
「いつまでもお元気で。」
そう祈ってその姿を見送りました。
長文をお読みくださりありがとうございました。
<記事:大平>
↑ よろしければ、
応援クリックお願いします。