私をオートバイへ導いた張本人、親友が事故で亡くなりました。
彼女は私と同じ年齢、バンドをやっててギタリストでした。就職したけど組織に馴染めず、辞めてフリーター。
いつか、ハーレーに乗りたいと、その時は、カワサキのバルカン400クラシックに乗っていました。
細身の身体で振り回す400のアメリカン、カワサキ、とても大きく見えました。
転勤などで連絡しなくなってからも、カッコいい彼女に憧れていた私は、中型、大型と連続で教習所に通いました。
念願の大型バイクを手に入れて、嬉しくなって、久しぶりの年賀状を出しました。
返事の手紙がきたけれど、差出人は彼女のお母さん。
彼氏と一緒に暮らすため、実家から荷物を送り、引っ越し作業が終わって新居に向かう道中です。
高速道路の渋滞で、自動車の最後尾で停止して、そこに大型トラックが追突。20代前半、若くして他界しました。
行儀悪く違反してスリ抜ければ、新しい暮らしが始まったかもしれないのに。
「教習所で習ったとおりのルール、マナーを守ると、死ぬ」
いきなり現実を突き付けられて、私とオートバイは始まりました。
バイク屋さんはレース出身で、世界で活躍したりバイク雑誌で見かける有名選手と繋がっていました。
イベント参加から広がったバイク関係の知人は、バイク雑誌の編集やフリーのライターなど業界通。
メディアの表に出せない情報の他、エグい死に方の事故話を、多く聞きました。
知り合いの友人まで広げれば、バイクの事故で死んだ人は、何人もいます。
二輪生活20年を過ぎ、経験では私もベテランですが、今は、バイク事故での他界は悲観ではなく、
むしろ「おめでとう」と祝福しています。
これをリアルでは決して言いませんが、
「不謹慎」なら、言う人が不愉快だから、私に「撤回しろ」と要求してるだけだし、
「ご遺族の心情」なら、どう受け止めるかは遺族の自由。お好きにどうぞ!という感じです。
知人の行き付け、BARのマスターが、中年を過ぎてからバイク免許をとり、まもなく事故で亡くなりました。
周囲の反対とか、危ないからとか、いい歳をしてとか、外野からのノイズを無視して、自分を貫いて亡くなった。アッパレな人生です。
私の親友も、我慢せず好きな事をやり、パートナーとのゴールインで終わりました。
その後に待ち受ける、男女の闇も、戦争や疫病の恐怖も関係ない人生。心より、おめでとう!
数年前、長野からツーリング帰りに、台風で天気が荒れて一泊し、翌朝のニュースで繰り返す奇跡に気がつきました。
ニュースは、橋の上にオートバイが倒れ、下の川から水死体が発見されたという内容。
あの時は「死ぬかと思った」
誰からも、一度は聞く言葉ですが「絶対に転ばない」と強く誓い、その時に適切な操作をしたから事故なく無事に帰宅してるんです。
少しでも不安に支配されれば、身体を脱ぐ場面は無数にあって、その時、その時、一瞬一瞬パラレルを選択しています。
自分を信じきった生への貪欲な執着が、何の保証もない先に、「無事」という結果を自分自身で創造してるんです。
自動車に比べてオートバイは事故の時、大怪我になりやすいし、転倒や車に巻き込まれて「死ぬ」確率は高い。
最初からわかっていて、乗りたい気持ちに嘘をつかず、無事帰る事を当然と決めて、ツーリングを楽しむ。
「覚悟」とは自分で決めること。
ツーリング前、道中、周囲からは「ただ、はしゃいでいる」ように見えて心の奥底に
安全に無事に帰る「覚悟」
事が起きても受け入れる「覚悟」
事は絶対起こさない「覚悟」
楽しみ切る「覚悟」
死も生も「覚悟」は同じもので、毎回、毎回「覚悟」を意識させるものって、
現代社会、今の時代、オートバイは希少な存在です。
もう、亡くなった知人に対して、悲しむことはありません。
条件は同じ。
自分で決めた、自分の人生を生きています。
とても素敵なこと、幸せを感じます!