ガソリンを燃料とする、世界初のオートバイ(自動車も)は、1885年にドイツのベンツ(ダイムラー)なの。


人類の歴史の中で、ガソリンを燃料とする身近な移動手段は二輪・四輪ともにまだ250年の歴史しかないのだけど、進化はピークに達したって感じ。


最近は「AIの制御に合わせ、電気に移行したい」という支配者側の意図を感じるようになってきたわ。



日本で初めて走ったのが、1896(明治29年)で、輸入したオートバイを皇居前での試運転。


大正に入り、アメリカのハーレー・ダビットソンが輸入され、日本はライセンス生産し、改良されたのが「陸王(りくおう)」


大日本帝国陸軍の将校が乗るサイドカー付きのオートバイは戦争映画に出てくる。




戦後の混乱が収まったあと、移動、物流の手段としてオートバイが普及し始めたの。

ホンダのスーハカブなど実用車がヒットしたわ。

勢いづいて、マン島TTレースなど世界の舞台で、日本の製品が優秀だとの認識が広まっていったわ。

技術力を誇示し合い、どのメーカーが優れているかユーザーにアピールするイベントが「レース」

鈴鹿8時間耐久レースなどで「MADE IN JAPAN」が世界最高だと証明され、日本人は酔いしれていくの。

80年代の経済至上主義。

日本人はエコノミックアニマルと言われるようになり、放置される子供が増えて「校内暴力」が社会問題にもなったのよ。

子供管理教育、受験戦争からドロップアウトした少年少女の中で、レースの華やかさに憧れた世代が走り屋ブームを作り、メーカーの販売競争が激化。

分別の未熟な少年達がオートバイで大勢命を落とし、公道の秩序悪化も社会問題、免許制度など規制になり、全体で見れば自分で自分の首を締める現実を作ってしまったわ。

経済はバブル崩壊し、庶民の意識がコスパ思考に傾向。

実用的な移動や物流はオートバイから自動車へと、すっかり変わってしまったわ。

オートバイの性能が成熟した頃には生活必需品として役目は終わったしまったの。

オートバイは「いらない物」となって、今よ。

生活必需品ではなく「道楽」としてのオートバイ、現在の状況への起点は、

1996年(平成8年)

ハーレー・ダビットソンの販路拡大戦略、アメリカの「鶴の一声」で、免許制度、法律がアッサリ変えられる。

「司法試験より難しい」と言われた一発試験の限定解除から、教習所での「大型自動車二輪免許」に変わった。もう!ビックリよ!

時間とお金をかければ、誰でも大型のオートバイに乗れるようになったの。

このタイミングで子育てを終えた「団塊の世代」が教習所に殺到。

200~300万円のハーレーが飛ぶように売れ、一方で日本のメーカーは「大排気量・最高速合戦」になる。

「団塊の世代」は給料が右肩上がりの高度成長期を経験し、バブル崩壊時は管理職。

リストラを逃れた人は満額退職金を受け取り、(今から比べれば)高額の年金を需給してるしね。

客層は、購買力がある上「どうあがいても手が届かなかった大型免許」の心理作用で、「速いほど良い、排気量が大きいほど良い」の流れとなったわ。

最高速300km/h、1000cc超えのモデルが次々に登場し、スズキのGSX1300Rハヤブサに340km/hのフルスケールメーターが搭載され、びっくりマシンがたくさん発売されたわ。

※1999年、私が大型二輪免許を取得したのが、この頃。

※最高速合戦に参加しない層は、所ジョージが火付け役となる「ビッグスクーター」や、ドラマで木村拓哉が乗ってた「TW200のスカチューン」など、別路線を走るけど、いずれも模倣の他人軸。

まもなく、実際に!高速道で300km/h以上の速度で走ってしまう輩も登場し、「やりすぎました」と各メーカーが自主規制の方向へ。ちょっとだけ残念の時期。

この後、カウル付きの速いオートバイから、ベーシックなネイキッドブームへ、各メーカーのラインナップが変わる。

※この時期、小泉構造改革で郵政民営化、派遣社員の解禁など行われ、優勝劣敗の雰囲気、格差社会が加速する。

インターネットの普及と、動画投稿の一般化で、2014年~2015年頃からYouTubeのモトブログが出始める。

(独断と偏見、個人的印象ですが、)
あまり売れなかったタレント、下火のモデル、元レースクイーン、センターを取れなかったアイドルなどが、YouTuberとして参入。

女子のバイクタレントが増えて、オートバイ業界が一気に華やかになる。

個人が点在する世界から、バイクタレントの参加するイベントが盛り上がり、フェス的な雰囲気もあったわ。

オートバイ本体や、用品等の価格帯も上がり、「購買力の高い客層」へ向けた販売戦略を強く感じるようになったわ。

この時点、2015年の主なニュースは、

・安全保障関連法が成立
・イスラム国ISが邦人人質殺害
・TPP交渉が大筋合意
・川内原発が再稼働
・戦後70年で安倍首相談話
・新国立競技場建設、エンブレム白紙に
・辺野古移設、国が着工
・日本人科学者2人がノーベル賞
・ラグビーW杯で歴史的勝利

ここから、2022年までの社会の動きは、自由と引き換えに管理される方向に動いてきたのは、実感する人も多いはず。

買い物は、値引きよりもポイント率になり、クレジットカードなど電子的な支払いが「お得」の流れに。

その代わり、趣味嗜好が把握され、不要なダイレクトメールがたくさん来るわね。

アクションカメラの普及、タレントYouTuberの華やかさに連動して、一般YouTuberもモトブログに参入。

オートバイも「大勢に対して、自分を表現する」時代に突入。

年齢層も20代が増えたと同時に、250ccのラインナップが増えたわ。
 


戦後の団塊世代と、その影響を受けてる私の世代は、「排気量、馬力、値段」など、数値化されたものに取りつかれてきたのは否定できないわ。

「高いからエライ、大きいから凄い」潜在意識は、外部が押し付ける価値観に支配されてきたのね。

オートバイの車体は「欧米人男性」を基準に設計されていて、身長や手足の長さで、大型になるほどキツイ部分があるけど、大は小を兼ねる考え方なので仕方ない。

でも、今の250ccブームを見てると、「他人から見られる」から「自分が楽しい」へ。

正直・素直・等身大に価値観が変わってきたと感じるわ。

ネット上では、個々人が自由に表現してるし、「他人軸」から「自分軸」を取り戻したとも言える。

モトブログ、ネットでの表現が活発になった2015年以降、他人に比べて優越感を得る時代から、自分が楽しむ時代に変わったわ。


※あくまで、平成の最初から最後まで、オートバイ雑誌やメディアの扱い、バイク乗りの話題や様子、公道を走る車種や数の変化。

私が肌身に感じてきた事を、そのまま文章
にしたので、実際の販売台数など統計とズレがあるかもしれません。

※後編の「未来予測」に続く