本田宗一郎 写真展ステートメント | ☆本田宗一郎のブログ☆

本田宗一郎 写真展ステートメント

(記録用に)本田宗一郎 写真展のステートメントをここに掲載しておきます。








今回『smokin'』『3時』『# FUCKING CITY』と3つのタイトルで展示を行なっています。(『smokin'』と『3時』はそれぞれ補完しあうひとつの展示として考えています。)

『smokin'』は生と死の「物語」です。姉の死というぼくの個人的な体験に基づいて構成していますが、固有名に満ちた私小説的な写真ではなく、誰もが自身に置き換えてみることができるものを目指しました。つまり、現実を撮るしかない写真において、あえてそのように物語を紡ぐことを試みたのです。(しかしながら、わかりやすい暗喩に満ちた<古めかしい物語>に過ぎないかもしれません。)
信仰を持たないぼくにとって「死」は未だ不可解なものです。姉と死別してから「喪失」と形容するしかない状態の空隙を自分の内に抱えています。(いったい「喪失」とは何だろう…? 部分的な記憶の喪失かもしれないし、ある種の感情の喪失なのかもしれない。何を喪失したのか?本当に何かを喪失したのか…?最早それすらもわからない。何か欠落した部分があることだけはたしかなのだけど…。)そのことでぼくはいまでも時々混乱してしまいます。感情のバランスがとれなくなり、自分のための、生きるための回路が必要になるのです。『smokin'』はそのためにこしらえた回路=物語のようなものです。
寂しく、また自閉的な物語かもしれませんが、共感していただける部分があれば嬉しいです。
少しでもぼくの思考/思想が、写真のセレクト から展示方法、写真の「表面」にまで表れていればいいのですが。

『3時』はぼくの友人たちのポートレートです。ぼくやぼくの友人たち以外の人にとってみれば、ありふれた普通の肖像写真かもしれません。たしかに、写真の持つ祝祭的側面を疑わずそのまま活かした私的なアルバムです。しかし同時にこの『3時』は『smokin'』と対になった/裏表の関係にある展示なのです。
むかし詩人が書いたように「生まれることは辛く 死ぬことは寂しい」のかもしれないですが、人生の様々な局面においてよろこびやかなしみを共有し共感しあえる存在が近くにあれば、それはとても幸せなことだと思います。
禅の言葉に「喫茶去」というものがあります。ぼくはこの言葉がとても好きです。「世の中の事象について意味を問うことも大事だが、お茶が出されたときには(その意味を問うことをするのではなく)素直にいただくことだ」という内容の言葉だと理解しています。ぼくは友人たちへの感謝の気持ちでこれらの写真を撮りました。禅の言葉に倣って「人生というのはちょっと地球で一服しているようなものだ」とうそぶいてみたいものです。いわばこの友人たちのポートレートは「一緒にお茶した記録なのだ」と。
ところで、いま何時ですかね…。もうすぐ3時ですか。じゃあ、ちょっと一服しませんか?

『# FUCKING CITY』は携帯電話で撮影した東京のラッシュアワーの風景です。撮影は2013年です。その頃は毎日満員電車に揺られながら仕事に通っていました。
お気付きかと思いますが、これらはスマートフォンの無音カメラアプリを使用して撮影しています。何がきっかけでこのような、迷惑防止条例違反ともとられかねないことを始めたのかは覚えていません。四六時中写真のことを考えていたので、一番身近な風景を撮ることにしたのでしょう。
撮影を終え、作品としてまとめた時点(2014年春)のステートメントを以下に掲載いたします。


 混雑する満員電車の車内でした。掌の中のスマートフォンのカメラ機能が立ち上がっていて、何かの拍子にシャッターボタンを押してしまったのです。画面には半径数十センチの風景が映っていました。数人の衣服がせめぎあったその小さな画像はどこか抽象表現主義の絵画のようでもありました。その新鮮な驚きに端を発し、ラッシュ時の電車通勤・通学風景をスマートフォンで継続的に撮影したのがこの作品です。電車の乗客にまつわる写真は過去にもあります。ウォーカー・エバンスから荒木経惟、瀬戸正人、近年ではマイケル・ウルフの仕事も知られています。それらはいずれも乗客の表情を捉えることを主眼としたポートレートです。ぼくの場合はポートレートではなく「風景」をめざしました。(『# FUCKING CITY』ステートメント2014)

いずれにせよ、これは立派な方には怒られてしまうような写真かもしれません。しかしまぎれもなく、東京に住む多くの人々が日常的に目にしている光景なのです。忘れずに言っておきたいのは、撮影者であるぼくも、観察者として悠々とカメラを構えていたわけではなく、乗客としてそこにいたということです。満員電車という非人間的な空間を怒りや憎しみに満ちた目で見ていたことを否定はしませんが、乗り合わせた人たちへの憐憫の情も持っていたつもりです。








以上がステートメントです。
写真のご購入のご相談、お仕事のご依頼はこちらまで。
(写真のモデルになっていただける方も探しています。)