場面緘黙だった私の記憶 幼児期
幼稚園には3歳からバス通園
。
人に自分が存在を知られるのが怖い?劣等感。
例えば、先生がしゃぼん玉を皆に配っていても もらいに行けない。
もらっていない自分に気づかれるのも怖い。
1番恐ろしい遊びは「はないちもんめ」
〇〇ちゃんがほしい〜
ってあれ
ホント、私にとって 残酷な
歌は口パクすら無し。
昔の椅子は木製で、よく釘が出てきていたんだけど、痛くても誰にも言わず我慢。
お弁当は蓋さえ開けずに持ち帰り。
人前では食べられない。
これには先生も母に連絡したらしく、母は頑張って工夫して うさぎ弁当にしたり… 食べさせようとしていたのだろうな…。
でも その弁当を誰かが見て「うさぎさん!」なんて言われたらって 尚更 蓋が開けられない。
トイレに行かない。
どれだけ私の膀胱は大きかったのか
1度だけ漏らしたけど
黒板の「みぎ」「ひだり」の文字をぼーっと見てるだけで帰ってきていた。
ずっと透明人間になるのが夢だった。
けれど、それを人に知られたくないので、親には「幼稚園の先生になりたい」と言い続けた。
自分の存在に気づかれるのが嫌だった。
「あれが欲しい」
「こうじゃないとイヤだ」
なんて、親に1度も言わなかった。
何で物心ついたときから そんなだったのかなって
私には、3つ年上の兄と 年子の妹がいる。
母は よく私が手のかからない子だったと周囲に話していた。
小さな子供って、母親に好かれようと賢明におかあさんの理想のいい子になろうとしませんか?
それかなぁ…?
年子で下の子が産まれたら、上の子には手を煩わせたくないだろうし。
そんな母親の気持ちを見抜いていた?
…なことないか
わからないな~
つづく
安静にしているのが辛い…
今日1日の気持ちはこれだけ