なんでこうなるのプーチンの野望 | HONDAのブログ

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歴史的な同胞のロシア人、ベラルーシ人、ウクライナ人を統合させる

と言うプーチン大統領の本心は果たしてそうだろうか。

「そら」ちゃんでも わかる歴史問題

米英を中心とするNATO加盟国のウクライナへの武器供与、

トルコからウクライナに提供された無人戦闘機による親露派

支配地域への攻撃、英駆逐艦のクリミア沖航行がプーチン氏

を極限にまで追い詰め、彼の防衛本能を爆発させてしまった

のかもしれない。

本当の「敵」は 「中国」のはず、ヨーロッパで小競り合いして

てもしょうがない。 ただ「いいことを言われて」その気になっ

た「ウクライナ」を 結局 誰も(どの国)も助けない。台湾に

おきかえたときは明日は我が身かもしれない。

アメリカが強力なイニシアチブを取って、1949年4月に西ヨーロッ

パ諸国と結成したのがNATO=北大西洋条約機構。これに対抗

して、ソ連が解放していった東欧諸国の共産党と共産党政権を

まとめて1955年にワルシャワ条約機構という軍事同盟を作りま

す。この2つの軍事同盟により、世界は二分されます。

そしてベルリンが首都としてあった東ドイツの扱いをめぐってア

メリカとソ連がもめたのが“冷戦”の始まりです。ソ連はベルリン

に壁を建て、東ドイツ側、西ドイツ側に分断しました。1989年にこ

のベルリンの壁が崩れて東西ドイツが統一されますが、この壁

はNATOとワルシャワ条約機構という東西冷戦の象徴だったの

です。

アメリカは現在も力を持っていますから、世界の盟主であること

は誰もが知るところですが、当時、東側の盟主はソ連だった。

ところが1991年にソ連が崩壊します。

理由は色々ありますが、核やミサイルの開発、その維持と管理

を2つの大国が進めてきた中で、ソ連の経済がもたなくなったの

が一因なのは確かです。消費生活が貧しくなり、庶民も耐え切れ

なくなり、共産党の中では年寄りだけが政権を担っていく形が続

いたことが、ペレストロイカ(再改革・建て直し)につながっていき

ました。その中でレーガン大統領とゴルバチョフ書記長が歩み寄

り、デタント(緊張緩和)という「核をなくしていこう」という方向に進

んでいきました。しかし、ソ連は1991年12月に崩壊します。

盟主であるソ連の崩壊とともに、ワルシャワ条約機構は解体し

ます。東欧の国々もソ連のくびきから自由になっていきます。

一方でNATOは解体されず残ります。しかし、ロシア、アメリカ、

ヨーロッパの歴史を考える際には大変重要な出来事が起こります。

1990年代半ばのユーゴスラビアの内戦です。4つの言語、3つの

宗教を持つ国がチトー大統領の元で統一されていましたが、

冷戦の崩壊とともに民族主義が台頭して内戦に突入します。

様々な人権侵害などが起きて、1999年NATOは首都ベオグラード

を空爆します。ユーゴスラビアはNATOの加盟国ではないのに、

国連安保理に諮ることもなく、アメリカ主導でロシアを蚊帳の外に

したまま、空爆を続けました。ユーゴスラビアの中でもセルビアは、

もともとスラブ人が住みロシア人とは民族的にも歴史的にもつな

がりが強い国です。セルビアのベオグラードが空爆されたことで

ロシア人は「欧米はスラブの国には冷たい」という危機感を覚え

たはずです。今のロシアはGDPで中国の10分の1、軍事力もソ

連時代に比べると縮小し、1990年代から2000年代には貧しい

時代が続いた.また、この1999年というちょうどこの年に、

ポーランド、ハンガリー、チェコといった、かつてワルシャワ条

約機構の加盟国だった国がNATOに加盟した。ちょうどこのこ

ろ、大統領になったのがプーチンです。

NATOが本来行うはずの協議を行わず、国連安保理にも諮ら

ずユーゴスラビアを空爆した。しかもかつては同盟国だった

東欧諸国が逃げるようにNATOに入っていく。さらに、2004年

には、残る東欧の国々、スロバキア、ルーマニア、ブルガリア、

旧ユーゴのスロベニア、バルト3国もNATOに加わります。

バルト3国は旧ソ連の構成国で、当然ロシアと国境を接して

います。

プーチン大統領が、ロシアのおかれている安全保障環境が

脆弱で、欧米はロシアを潰そうとしているという意識にとら

われたとしても無理はないかもしれん

・・しかし ここまでやるのか。。。