追悼 「キックの鬼・沢村 忠」78歳 | HONDAのブログ

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追悼 「キックの鬼・沢村 忠」78歳

定期放送の開始は1968年9月30日(月)(試合は9月28日)

19:00~19:30  月曜の 19:00-突然始まったように

当時は感じました。中学2年生の 秋 「ボクシングより

ダイナミックだな・・という感じでした」

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 沢村忠は強かったのか弱かったのか──

241戦にものぼる試合のほとんどが「真剣勝負ではなかった」

からであり、関係者やマスコミから「分析に値しない」と見ら

れてきたからなのは間違いない。心情は理解できないでも

ないが、そのことと真の実力が如何ほどだったかは別問題

だろう。彼がいなければ、現在の「キックボクシング」

が定着することはおろか、「K‐1」などの打撃系格闘技が隆盛

を迎えることもなかったはずだからだ。

現在の格闘技マスコミや関係者の多くから「フェイクの山

を築いた」と酷評され、嘲笑されもする沢村忠だが、少なくとも

プロ2戦目となるサマン・ソー・アディソン戦がリアルファイト

(真剣勝負)だった。

ここで脳裏をよぎるのが、後年、外国人として初めてタイ式

ボクシングの王者となる藤原敏男のことである。デビュー戦

を2RKO勝ちで飾った藤原も、2戦目はタイ人選手相手に17度

のダウンを奪われる惨敗を喫している。沢村との稀少な

共通点である。

 これ以降の両者の道のりは実に対照的だ。「キックの鬼」

として望まれた試合をこなしながら、日本中に大ブームを

起こした沢村忠。

日本人、タイ人問わず、勝ち負けを繰り返しながらも着実に

戦績を重ね、真の実力者の道を究めた藤原敏男。

現在の格闘技界における両者の評価は天と地ほどの差が

ある。しかし、気の遠くなる練習量を課したことで前人未到の

領域に達した藤原敏男も、キックボクシングを始めたきっか

けは「銭湯のテレビで観た沢村さんに憧れて」なのである。

沢村忠が弱ければ、キックボクシングという真剣勝負の

スポーツが定着することも、K‐1のような打撃系格闘技が

隆盛を迎えることもなかった。ひいては、那須川天心や

武尊といった人気選手が輩出されることも、おそらくな

かったはずだ。

試合はフェイクだったかもしれないが  沢村忠は間違

いなく強かったのだと思います。<合掌>