「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」 | HONDAのブログ

HONDAのブログ

ブログの説明を入力します。

2020年12月26日に 今年の柔道日本選手権をTV観

戦していっると、2回戦で 向 翔一郎 が下和田 翔平

に3分過ぎ 背負い投げで技ありとられましたが

腕緘(うでがらみ)という関節技で 逆転の1本勝ち

しました。結局 向 翔一郎は準準決勝で 決勝に

進む 太田に払い腰で1本負けしますが、この腕緘

(うでがらみ)という関節技柔道の1本でひさしぶり

に見ました。

(これが 伝説の木村政彦の得意技「キムラロック」)

「力道山」を書けば どうしても「木村政彦」につきあた

る。

木村 政彦(きむら まさひこ、1917年(大正6年)9月10日

- 1993年(平成5年)4月18日)は、日本の柔道家・プロレ

スラー。段位は講道館柔道七段。全日本選手権13年連続保

持、最後の優勝は 1949(S24)年 32歳のとき。

15年間不敗のまま引退。「木村の前に木村なく、木村の後

に木村なし」と讃えられ、後々にも史上最強の柔道家と称

されることが多い1993年11月12日 総合格闘技 UFC

の第一回大会で ホイス・グレーシーが優勝し彼ら

(グレイシー一族)から 「キムラ・ロック」という必殺

技が語られたことから 日本の木村政彦が脚光を浴びるこ

とになった。

歴史に IFはないが もし 木村が あと10年遅く

生まれていたら、力道山との 1戦は (S29年当時

 37歳) 27歳の全盛期となる。また 結果は違っ

ていたかもしれない。

S58年に放送された番組で 木村は S29年の 

対 力道山戦は「引き分け」という約束を 力道山

が裏切って 「セメントを仕掛けてきた」と 木村

は インタビューで語っている。

たぶん「それは本当だろう」 しかし、「真剣勝負

でやろうと言いだしたのは木村」

 鉄人 ルーテーズ は「ストーリーを無視してき

たものには(セメントには)セメントで迎え打ち、

かつ勝利するのが 本当の王者」と語っている

(実際 セメント勝負を仕掛けた 金一を病院送り

にしている)ように 木村も セメントで迎え打つ

べきだったろう。そうする前に 力道山の張り手で

KOされたのは、やはり「プロレスをなめていた」

ということだと思う。

(他人にやさしく、自分に厳しい・・木村 と 

他人にきびしく自分にやさしい・・力道山 の違い

とも見える)力道山との 戦い以降は表舞台に出て

くることはなかった 木村政彦それを ブラジルの

格闘技 が 「最強伝説」を思い起させてくれた、

それも木村が死去した 1993年というのも 

何かの因縁かもしれない。