なんば パークス | HONDAのブログ

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「南海ホークスメモリアルギャラリー」リニューアル

今年2月11日に84歳で急逝した野村克也さん(享年84歳)が、

大阪球場の跡地にある「なんばパークス」(大阪市浪速区)

9階の「南海ホークスメモリアルギャラリー」をリニューアルし、

野村さんのバットや獲得したタイトルのトロフィーなどを展示

することが2020年11月4日に発表された。

サッチーが 個人的(南海電鉄への)恨みから 「ホークス

ギャラリー」への 展示を固辞していたが、サッチーもノム

さんも故人となり ようやく 「ノムラ」が

ナンバパークスの「ホークスギャラリー」に帰ってくることに

なった。

南海での栄光があったからこそ、

「おかえり! ノムさん 大阪球場(なんばパークス)に」

プロジェクトが今月4日から始動した。

発起人を務める江本氏は、野村さんに対する思いを

こう話している。

「野村さんは『ヤクルト時代が一番よかった』と周辺の

人に話していたことは聞いていましたけれども、私に

言わせればとんでもない。南海ホークスで栄光を築い

てきた歴史があるからこそ、その後の野球人生につな

がっていったんです。その南海の野球史に『野村克也』

の名前を刻むことが、私たち残された者の務めである

と思い、このプロジェクトを立ち上げました」

「16」にまつわる不思議

江本氏は野村さんとの思い出を語るとき、忘れられない

シーンが2つあると言う。

1つは南海に移籍して、1972年2月 大阪球場での

自主トレ初日でのこと。球場周辺でウォーミングアッ

プをしていると、ライトグリーンのリンカーン・コンチ

ネンタルが球場脇に止まった。ドアが開き、ラフな

スーツ姿でゆっくりと降りてきたのが、選手兼任

監督だった野村さんである。

自主トレを行っていた選手全員の訓示が終わる

と、江本氏は野村さんに挨拶しに行った。

「東映から来た江本です。よろしくお願いします」

すると野村さんはすかさず、「とりあえずお前さん

は10勝以上。頑張れよ。背番号は16でいいやろ?」

江本氏は感激した。ドラフト外で東映に入団した

前年の1年目には、26試合登板して0勝4敗に終わ

ったが、移籍した途端にいきなりエース級の扱いを

してくれたからだ。江本氏は当時のことを振り返り、

「この人のために働こう」と意気に感じたと話す。

そして不思議なことに、この年は「16」という数字に

縁があった。背番号16に始まり、4月16日のロッテ戦

で初勝利、シーズンを通じて16勝を挙げ、年俸も160

万円になった(S47年当時の 年俸170万というの

は?だが サラリーマンの平均月給が 10万程度

なんで 年収120万とすると プロ野球の16勝投手が

年俸 160万なら 格安ということになる)

まさに江本氏にとって「16」は、野村さんの言葉に

導かれるかのように、この年のラッキーナンバーとな

ったのである。

「おい江本、行くぞ」、

もう1つは翌73年のパ・リーグのプレーオフの阪急

第5戦であるこの年、南海は前期優勝を果たしたも

のの、後期は阪急と13試合戦って12敗1分と、まっ

たく歯が立たなかった。だが、プレーオフでは南海

は生き返り、第1戦、第3戦をとった後の第5戦では、

0対0の息詰まる投手戦で迎えた9回2アウトから

南海が2者連続ホームランで2点をとり、このまま

南海が逃げ切ると思われた。だが、抑えの佐藤

道郎が2アウトから代打の当銀秀崇にソロホーム

ランを打たれる。続いて後に代打で通算27本塁打

の日本記録を樹立した高井保弘がネクストサークル

で構えていた。このとき江本氏はベンチにいて「この

日は登板しない」と思い、胴上げの準備していた

ところに、グラウンドから「おい江本、行くぞ」という

野村さんの声。これには江本氏も「えっ⁉」と驚いた。

野村さんは江本氏と高井との相性を考えての決断

だったというが、ブルペンで肩を作るどころか、

ウォーミングアップさえもしていない。

一方で野村さんの顔は顔面蒼白だった。「万が一、

阪急に同点に追いつかれでもしたら、一気に持

っていかれる」、そんな危機感を抱いていたの

かもしれない。江本氏は当時の野村さんをそう

見ていた。マウンドに上がると、江本氏は腹を

くくった。「とにかくコントロールなど気にせず、

目いっぱい腕を振って投げることだけを考えて

いました」江本氏は当時のことをこう回想する。

はたして、江本氏は高井をストレート一辺倒で

攻め、最後は高めのボールを空振り三振。

マウンド上で野村さんと抱き合った。そして

これが南海ホークス最後の優勝となったのである。

来年2月14日にノムさんが“復帰”

江本氏は当時のことを振り返りつつ、こう力説した。

「南海には監督として通算1773勝を挙げた鶴岡一

人さんという、金田正一さんの400勝と並ぶほどの

偉大な記録を持つ名将がいた一方、野村さんの

功績も同じくらい評価されるべきだと思っています。

戦後初の三冠王を獲り、長嶋茂雄さんや王貞治

さんに匹敵するほどの、数多くの記録を樹立した。

南海が栄えある歴史を残していくことができたの

も、野村さんという存在があったからだということ

を、私たちは決して忘れてはならないのです」

メモリアルギャラリーのリニューアルされた姿は、

来年2月14日にお披露目される。懐かしい故郷に

ようやく舞い戻った野村さんのかつての雄姿を、

多くの野球ファンに楽しんでもらいたい。