戦後の プロレスNWA世界ヘビー級チャンピオンは
ルー・テーズ 1949年11月27日 ~ 1956年3月15日
戦後 49年~56年 7年間敗け知らず 937連勝
(詳細不明)という 誰が見ても 間違いなく最強
だったのが ルーテーズ。
この ベルトは「テーズベルト」であり テーズが
チャンピオンをおりるときに テーズ個人に寄贈
されている。
ホイッパー・ビリー・ワトソン 1956年3月15日 トロント
ルー・テーズ 1956年 11月9日 セントルイス
ディック・ハットン 1957年11月14日 ~ 1959年1月9日
本当の意味での 世界チャンピオンは このデックハットンが
最後かもしれない。ベルトも ハットン1代限りとなったようだ。
S37年 ハットンが初めて日本にきたとき 近所の兄さんに
アメリカの当時のレスリング等を聞き、ぼんやりとプロレスの
概要も解っていましたが、やはりあの頃のNWA等が目指して
いた方向性こそ、プロレスの正しい路線だったようにも思う。
NWAチャンプだったハットンはカール・ゴッチのように何が何
でも自分流でなくてはいけないといったスタイルでもありま
せんでした。ハットンは自分のスタイルに自信を持ちつつも、
ブラッシー等のスタイルのレスラーに対してもリスペクトを
払っていました。ルー・テーズは寝技では古今東西ハットンに
敵う者はいないと述べていますが、事実、S37年第4回ワー
ルドリーグ戦では、あの力道山と対戦した時もグラウンで、
力道山を子ども扱いし、カナディアンを決められた時には、
あの力道山が狼狽し、大声で「まいった、まいった!」
と叫んだものでした。あの力道山のそんな姿を見たのは後に
も先にも、これ1回きりでした。
当時のハットンのプロレスは、リングサイドで見ていた当時の
アマチュアのトップクラスも一目を置かざるを得ないものだった
ようです。
と進み 1959年 ~ われわれオッサン世代の馴染み
の チャンピオンベルトが登場する
パット・オコーナー 1959年1月9日 ~ 1961年6月30日
ニュージーランド出身の マットの魔術師と言われた
オコーナーだが 彼の本領は グランドレスリング
で 「恐怖のレッグロック」と恐れられた 関節技
が得意の玄人好みのレスラー であった。
バディ・ロジャース 1961年6月30日 ~1963年1月24日
オコーナーを破って世界チャンピオンになった試合は
シカゴのコミスキーパーク野球場でおこなわれ当時の
プロレス観客動員新記録となる38,622人を集め
長い間 観客動員新記録を誇っていた。
G・馬場が アメリカ武者修行時代何回も対戦し
馬場曰く「最高のレスラー」(最強ではなく客を
呼べるという意味) ただ セメントレスリング
では ?のつくチャンピオンであった。
ルー・テーズ 1963年1月24日 ~ 1966年1月7日
Bロジャースが ショーマンチャンピオンであったため
王道の実力派として選ばれたのが 往年の実力派
ルー・テーズ しかし このときすでに 46歳
いかに テーズがストロングであろうと この年齢
での 世界Cは 説得力に欠けるものがあった。
ジン・キニスキー 1966年1月7日 ~1966年1月7日
テーズの後を受けたのが カナダの荒法師
ジン・キニスキー この時代が NWAの最後
の 最盛期であったと思われる。キニスキー
は 全米をサーキットして闘うチャンピオンと
して活躍した。
ドリー・ファンク・ジュニア 1 1969年2月11日 ~1973年5月24日
日本には 一番なじみのある NWAチャンピオン
キニスキーから ドリーに移り キニスキーの後を受けて
全米をサーキットしたが、このころから NWAというより
アメリカにおけるプロレスの衰退がはじまったよな気がする。
ハーリー・レイス 1 1973年5月24日 ~1973年7月20日
ドリーから H・レイスに世界王座が移ったが
いよいよ NWAとしても 手詰まり感がいなめ
ない 王座交代であった。
ジャック・ブリスコ 1973年7月20日~1974年12月2日
この ブリスコの時代に チャンピオンベルトが更新
され 14年使われた ベルトが新調された。
H・レイスが 毎回飛行機の手荷物検査で 金属探知機
にひっかかる ベルトを検査官に説明すると。
ユーが本当に チャンピオンか?とからかわれるのに
嫌気がさし 新しい「探知機にひっかからない」ベルト
にしてくれと NWA本部にたのんだ?というウソみたいな
話もあるが このベルトは本当にいいデザインであった。
その後 日本で馬場が 1週間だけチャンピオンになる
ような 羊頭苦肉のストーリとなってしまい
金属探知機で ひかからない?とうわさされた
NWAチャンピオン 新ベルト(ハリー・レイス)
ジャイアント馬場 1 1974年12月2日 鹿児島市
ジャック・ブリスコ 2 12月9日 豊橋市
テリー・ファンク 1 1975年12月10日 マイアミ
ハーリー・レイス 2 1977年2月6日 トロント
1977年以降の NWA世界ヘビー級チャンピオンと
しての権威そのものが消滅し、プロレスそのものが
ただの 格闘ショーとなってしまった。
私自身も このころから プロレスそのものを見なく
なってしまった。
NWAチャンピオンのベルト時代は プロレスは
本当に ミステリアスで 想像力をわきたたせる
スポーツ と ショーのはざまに咲く花のようであった。