※ティエリー・ザビーヌ パリダカールラリーの創設者 彼のこのコトバは、アデレードのバックパッカーズのビジターノートに友人が記していた。最高に気に入ったコトバだ。

  自転車旅 第3弾 カルグーリー=クック 砂漠走破

   



今回走るルートは、862キロの砂漠ルート

ココを走りたくなったのは、本当の意味で自分の限界を知りたくなったからだ。
今まで自転車で走ったルートは、人と触れ合うことが出来た。
人から応援されると、パワーがみなぎって来る。
これは凄く良い事なんだが、なんだか生っちょろい気がする。
そうだ、俺はこの程度で満足してちゃいけねぇ!(長淵口調で)

人がいない所を走ろう!
俺が俺を認めるためには、誰も俺を認めない、他人がいない場所を走ろう!!
誰も認めない場所を走破して、初めて己を認められるんじゃないかと思った。

このルートを走ろうと決意した時、一つ問題があった。
それは、ビザの有効期間が切れると言う事だ。
俺のビザはワーキングホリデービザと言う、1年間有効かつ仕事をしてもOKなビザだ。
ただし延長不可能だし、直後に観光ビザを取得することも困難だ。(97年当時)

「タイにあるオーストラリア大使館はベリーイージーだ!」とどっかの国の奴が言ってた。
そのコトバを信じ、タイへ飛んだ。
そしてビザの延長に挑んだ。
オーストラリア大使館の受付のお姉さんにビザの発給を申し込んだら尋ねられた。
「残高証明ある?」
当時、いくつかの銀行にお金を残していた。
C銀行には、わずか4万円だが、残高があった。
オーストラリアのATMで残高確認すると、¥40,000-とは印字されずに、$40,000-と印字される裏技を発見していた!
そう、¥ではなくて$で印刷されちゃう!

自信たっぷりと
「これを見てくれ。あいはぶ いなふ まにー!おーけー?(矢沢永吉口調で)」

「なんでこんなに持ってるの??クレジットカードも見せてくれない?」
受付のお姉さんは驚きながら訪ねてきた。

実は日本でフリーターをしていた為、クレジットカードを発給してもらえなかった。
クレジットカードを使う予定は無いが、海外ではカードが無いと信頼されないと聞いていたので、父のクレジットカードをファミリー会員にして持っていた。
その為、このカード、色はゴールドだった。

「なんであなたの年齢で、カードがゴールドなの??」
お姉さんが不信がって聞いてきた。

そして俺は自信たっぷりとカードの名義欄を指差し、わざと低く野太い声で応えてやった。

「どぅ ゆぅ のぅ ほんだ?」

受付のお姉さんは俺とは正反対にカン高い声になって

「おぉぉぉぉ~ みすたぁぁ ほぉぉんだぁぁぁ!」

と目を丸くし驚いていた!

あっさりビザを取得した。
世界にその名を轟かせるホンダの名前は素晴らしい!
でも、僕ちん、全然嘘ついてないよ。
お姉さんが勝手に勘違いしただけだもん。
僕ちん、全然嘘ついてないよ~。

そう心でつぶやきながら、大使館を後にした。

そこまでして、ビザを取得したかったのだ。
無人地帯の砂漠を走破しないと、オーストラリア自転車旅そのもの全てが納得いかないのだ。

砂漠と言っても、道に砂丘があるような砂漠ではない。
砂漠地帯の気候なのだ。
(走行中、日中の気温は44℃まで上がり、明け方は3℃まで下がった。)
こんな場所に街や村は一切無い。
862キロの間に、鉄道作業員が2~6人住む場所が、3箇所。
セスナ機が止まれる程度の小さい空港が1箇所あるだけだ。

このルートは、レールウェイ サイド トラックと言い、オーストラリア大陸横断鉄道インディアンパシフィック号の線路の横を走ってる道だ。

道と言っても、鉄道補修用の4WD車が時々走って出来たワダチが道になっただけだ。
また鉄道も、日本とは違い、1日に1本しか走らない日もあった。
そして全く車が走っていないので、途中で水が無くなったり、自転車が壊れたり、体調が悪くなったからと言ってヒッチハイクで援助を求められない。
線路の横を列車が走っているので最悪の場合、列車を止め助けを求める事ができる。
しかしいつ列車が来るか分からないし、後で膨大な費用を請求される事があるという。
この話は日本人ライダーから聞いた。
レールウェイをオフロードのオートバイで目指す日本人ライダーは多い。
自転車では余程の変人しか行かない。多分1年に2人とかじゃないかな。
(オートバイにも自転車にもいえることだが、こんな道を走りたがるのは日本人とドイツ人だ)
そして転倒や故障や怪我により列車を止めてしまう者もいると言う。
こんなことが続くと鉄道関係者からそっぽを向かれ、後から走る人が肩身の狭い思いをするだろう。
何よりこちらは遊び。それで仕事をしている人間に迷惑をかけるのだから、こんなフザけた話はない。
どんな事が起きても一人で解決したい。
それに、もっと最悪な事態もある。
自力で助けを求められない状況になれば、干からびて死んでしまう。
誰も自分を発見することは無いからだ。
この広大な土地で倒れても列車は先ず気がつかないだろうし、この道を次に来る人は何日後か分からない。
トラブルが起きないように、そして万が一おきても解決する術を二重にも三重にも考えた。

水を多く運ぶ為、キャリア(カバンをくくりつける鉄枠)を補強した。
つなぎ目やコーナー等、ストレスを受けやすい部分や脆い部分に板をあてがい溶接した。
特に前回ケープヨークにて破損したネジ穴周辺部は入念にアルミ板を二重にし再溶接をした。
溶接は自分の手でやりたかった。
オージーはヘタッピだ。
でもやらせてもらえない。しかしここの店は上手だった。

それでも折れた時に備え予備のあて板、パイプ、タイラップを持った。
スプロケ(歯車)、チェーン、スポークを交換し砂に強いチェーンオイルを入手した。

今まで水を運ぶ時、キャリアくくりつけていたが、
キャリアに負担を掛けて破損したくない為、
ドリンクホルダーを新たに4つ増した。

ハンドルに0.6リットル×2,メインフレーム中央に2リットル×3,下部に0.75リットル
その他水は、フロントバッグ下に2リットル×2,リアキャリア上部に5リットル
リアバック外1.5リットル×2,リアバック内2リットル×2と、計22.45リットル持てるようにした。
最長3日間水が手に入らないので、飲み水4.5リットル×3日分+炊事用1.5リットル×2泊分+非常用1日分5.95リットル=計22.45リットルと計算した。
3日間と言うのはノントラブルでだ。
修理の為もう1日かかるかも知れないので、1日分余計に持った。
雨が降るとマディー(ドロドロ)になり走行不可能になる。
だからその時、道にできるドロの水溜りを飲料水にする濾過ポンプを持って行った。
水は多めに持つべきだ。
灼熱地獄では、すぐに喉が渇くし、日射病を防ぐ為、水をかぶることもある。
水が少なくなると水のことばかり考え、余計に喉が渇くし焦るし、そんな時に何かあると冷静な判断ができなくなる。
それに1週間分の食料を積む。
合計80キロを超えたと思うが、考えると走る気力が無くなるので、あえて計算しなかった。
ヘルメットは被った。車が通るわけでもなくポリスがいるわけでもないが(ノーヘルは罰金$30)直接日光から頭を守る為に被った。
ファーストエイドは虫に刺された時、毒抜きをする真空ポンプ,ムヒ,傷薬,筋肉痛用の薬,下痢止め,ビタミン剤を持った。

誰もいない場所と言うのは、全ての出来事は全て自分で解決しなければならない。
不安は大きいが、その分征服意欲を駆り立てられる。