昭島散歩 ⑩ 真覚寺 | 今更ながらの・・・人在日本身不由己

昭島散歩 ⑩ 真覚寺

十二神社前の通りを南東に少し行った先にある寺院が天台宗の真覚寺である。

 

昭島市史によると「真覚寺(築地町、現玉川町)
築地山と号す天台宗の寺院。八王子市高月の円通寺の末寺で開山開基は不詳である。かつては多摩川の中州に建立されていたが、文化八年(1811年)の大洪水によって築地村が流失した時に共に流されたために、現在の地に移建したので古記録が遺されていない。住職が定住しない時代もあったが、昭和一七年から住職が常住するようになった。本尊は阿弥陀如来の木坐像で、脇立に目の黄色い目黄不動尊と呼ばれる稀有な像がある。」とあった。

 

 

 

 

冠木門の山門を潜ると直ぐ脇に六地蔵があり、正面に不動堂がある。

旧本堂の片隅に安置されていた「目黄不動尊」を昭和62年に完成した「不動堂」に勧請したとのこと。

 

 

不動堂の脇に本堂がある。

 

 

 

 

 

境内には鐘楼や歴代住職の墓もある。

 

 

天台宗東京教区のHPに真覚寺の黄目不動尊の画像があったので拝借し、紹介しておく。

 

 

HPにあった真覚寺の紹介文の概要は以下の通り。

山号は、築当山(一説に築地山)寺号は、真覚寺。文化8年(1811)の多摩川の大洪水により流失し、河畔より築地村(現玉川町の前名は築地町)一村と共に現在地に移住して200年近くにになる。
本尊阿弥陀如来坐像、目黄不動明王、阿弥陀如来立像と墓石塔類以外は流失し、開山、開基、開創は不詳だが、墓石文の年号などを考慮に入れると、慶長年間(1600年前後)と推測される。
開山より、大洪水で流失するまでの200年間に4名の住職の墓石塔しか残っておらず、当地移住後の200年間は、住職の記録も無く、墓石類も存在していない。