多摩川自然散策 ⑫ 築地の渡し跡 | 今更ながらの・・・人在日本身不由己

多摩川自然散策 ⑫ 築地の渡し跡

「多摩川自然散策」の最終回は「築地(ついじ)の渡し跡」を紹介する。

 

八高線脱線事故碑から更に下流側に歩いて行くと、築地(ついじ)の渡し跡に至る。

 

 

 

 

築地(ついじ)の渡しがあった築地河原付近の様子。対面は八王子市小宮町(渡しがあった頃は粟ノ須村)。

 

 

多摩川左岸堤防上(昭島市宮沢町三丁目)にある福島第五児童遊園内に「築地の渡し跡」の碑がある。

 

 

碑文には

築地(ついじ)の渡し跡

 かつてこの地に築地の渡しと呼ばれる多摩 川の渡し場があった。築地村(昭島市)と対 岸の粟ノ須村(八王子市)を結ぶこの渡しの 道筋は, 江戸時代以来大山街道と呼ばれ, 所 沢(埼玉県)から八王子を経て大山(神奈川 県)に至る古くからの主要道路であった。
 渡し場は築地村が管理し, 舟一艘を浮かべ 随時運航されていたが, 冬の渇水期になると 川瀬に仮橋がかけられ, 通行の便に供されて いた。なお, 明治初年, その管理が福島村に 移ってからは福島の渡しと称され, 昭和16年ごろまで存続した。
 ちなみに, 慶応2年(1866)6月, 武州 一揆の際にこの渡し場で展開された一揆鎮圧 戦の惨劇は, 広く人々の知るところである。
      昭島市教育委員会

とあった。