多摩川自然散策 ⑦ 拝島の渡し跡 | 今更ながらの・・・人在日本身不由己

多摩川自然散策 ⑦ 拝島の渡し跡

拝島自然公園から下流側には拝島橋が見える。自然公園と拝島橋の間あたりにあったのが「拝島の渡し」と呼ばれていた渡し場である。

多摩川の土手を自然公園前から下流に向かって歩くと国道16号線に架かる拝島橋に行き当たる。

 

 

 

拝島橋の北側袂に児童公園がある。

 

 

 

橋の擁壁部分に「拝島の渡し」と書かれた金属製パネルがあった。


パネルの碑文には「
拝島橋の上流100メートルほどのところに, その昔, “拝島の渡し” と呼ばれる 日光街道の渡し場がありました。日光街道は, 江戸時代初期の慶安年間(1648~52)に, 八王子千人同心が日光勤番に赴く際の 往還路として開かれた公道で, 江戸時代を通じて 上州(群馬県)方面と八王子を結ぶ 重要な街道として機能していました。」と言うような内容が詳しく刻まれていた。

なお、昭島市のデジタルアーカイブには、「拝島の渡し」として次のような写真も掲載されている。

 

 

先の碑文にも「昭和10年代には八王子ー川越(埼玉県)間を走る定期バスが、この渡し船を利用して多摩川を渡ったこともありました。」とある。
船頭が多摩川の水でエンジンを冷やし女性車掌が車体を掃除している。

なお、江戸時代の多摩川は軍事上及び技術上の理由から橋よりも舟による渡しが主流で、小河内から河口に至るまでに、39箇所の渡しがあったとのこと。東海道の六郷の渡し、甲州街道の日野の渡し、日光街道の拝島の渡しのほか、大山街道の二子の渡し、津久井往還の登戸の渡しのような脇往還の渡船場も発達していました。