「木曽義仲挙兵の地」巡り ⑳ 手塚太郎金刺光盛の五輪塔と手塚の庄 | 今更ながらの・・・人在日本身不由己

「木曽義仲挙兵の地」巡り ⑳ 手塚太郎金刺光盛の五輪塔と手塚の庄

木曽義仲の四天王といわれる手塚太郎光盛は漫画家手塚治虫も祖先と言われているが、かつて治めていた地域には現在も地名として「手塚」が残っている。地域の案内看板の中央やや上に「手塚」の地名が見える。

 

 

 

 

現在、手塚太郎金刺光盛の居館跡と推定されているのは江戸時代から代々続く庄屋の門の奥にある土塁跡。付近には猿田彦の石柱が有った。


また、屋敷跡の直ぐ近くには旧上田市立西塩田小学校の校舎を利用した「さくら国際高等学校」がある。
 

 

 

 

 

南校舎は文化財級の木造校舎で映画やドラマなどのロケ地として使われている。校庭の一画には上田電鉄より無償譲渡されたモハ5250形「丸窓電車」1両が保存されている。


手塚太郎金刺光盛の五輪塔は館跡から北東に約700m程行った民家の庭先にある。もともと近くの光盛寺に江戸時代末期まであったものを、廃寺後にここに移したと言われている。

 

 

 

 

 

近くには溜池の一つで、悲しい伝説の残る舌喰池もある。