幕張散歩 ⑨ 三代王神社 | 今更ながらの・・・人在日本身不由己

幕張散歩 ⑨ 三代王神社

この神社は厳密に言うと幕張地区では無いが、道路1本挟んだ武石地区なので取り上げることにした。

 

 

自転車の子供がいる側が幕張地区で、北側の森が三代王神社境内。

珍しい名前だが、昔の地元の字名”三代内”に由来するらしい。千葉県地名辞典によれば、建仁2年(1202年)に、武石胤盛が郷中安全の守護神として勧請したとのこと。

 

 

 

 

鳥居の西側に石祠があったが多分、道祖神であろう。


急な石段を上ると御神灯があり・・・

 

 

 

嘉永6年(1853年)菊月(旧暦9月)吉日と刻まれており、狛犬には”嘉永6年献納とあった。嘉永六年と言えば、6月にアメリカの東インド艦隊ペリー提督が4隻の黒船を率いて浦賀沖にやって来た、黒船騒動の起きた年である。

境内には幾つかの石碑があったが、「神主題 灼蒜威神」と書かれたものは初めて見たし、意味も不明である。

 

 

 

 

 

境内西側にあった祠は三峰神社のようである。


手水舎に置かれた手水石は當村の女人講が奉納したもので、

 

 

天保六年(1835年)四月吉日とあった。天保六年は天保通寳が発行された年である。


拝殿の後ろには覆い屋に覆われた本殿がある。

 

 

 

 

細かい彫り物などもあるようだが残念ながら良く見えなかった。


境内社として金比羅神社と八坂神社も有り、

 

 

 

 

 

 

その他、幾つもの石祠もある。


石祠の多くは稲荷大明神だったが・・・

 

 

 

 

 

この祠の中には道祖神が祀られていた。

本殿は流造で神紋は千葉氏と同じく九曜紋。祭神は”天種子命”(アメノタネコノミコト)という珍しい神で、祀られているのは河内国一之宮の平岡神社など数社である。「日本書紀」などに見える、中臣氏の祖神で天児屋命の孫といわれている。


当神社を含め近隣9社による6年毎に行われる「下総三山の七年祭り」の祭礼では産婆役を演じている。