前々回に天草の歴史について少しだけ触れましたが、今回もそんな内容。
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産が世界文化遺産となり6年ほど経ちましたが、ここはその中でも重要な地域なのではないでしょうか。
天草の崎津集落は200年ほどの禁教令の中でも密かにキリスト教を信仰し、表立った活動が出来ないため貝殻の文様などを聖母マリアに見立ててお祈りをしたそうです。
しかし幕府側は、有名な絵踏みを行ったり、大規模な信者が発見された時には﨑津諏訪神社の境内に設置した箱に信心具を捨てさせたりしました。
崎津でも7割ほどの村民が隠れキリシタンとして検挙されました。
これがよく聞く天草崩れです。
ちなみにこれらに従った村民に対しては罰などを受けさせることはなかったといいます。
そして1873年にキリスト教が解禁された後、崎津諏訪神社のすぐ近く、絵踏みの行われた崎津吉田庄屋役宅跡に現在にも残っているカトリック崎津協会が建てられました。
少し歩いて海を眺めると、今でもマリア像が海を見守っています。
ここは天草夕陽八景の一つでもあり景色が良いことでも知られます。
実際に行ってみて感じたことは、この地に住んでいる方たちの生活と歴史的背景や遺産が地続きで繋がっているんだな、と言うことでした。
過去があったから現在がある。
当たり前のようなことですが、ここではそれが身近に肌に感じることができました。
神社や教会はもちろん地域そのものを大切にしています。
海外から来た宗教を警戒する幕府と、辛い生活の中で信仰を続けた信者の方々。
どちらが良い、悪いではなく事実としてそういった歴史が今の日本に繋がっていることを知ること。
それが意味のあることなのかなと思います。