「反体制」ならぬ「反大勢」の意見を述べ続けた平川祐弘氏の『一比較文学者の自伝 下』に拍手喝采を!
[2025・9・4・木曜日]
平川祐弘氏の『一比較文学者の自伝 上』(飛鳥新社)を読んで、先日のブログで――
痛快無比の一冊。自叙伝分野で今年のマイベスト3に入るのは間違いありません!
[2025・8・31・日曜日]――と書きました。
ちなみに、ほかの二冊は、東独出身で元ドイツ首相アンゲラ・メルケル の自叙伝『自由(上下)』(角川書店)や垂秀夫氏の『日中外交秘録 垂秀夫駐中国大使の闘い』(文藝春秋)です。
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引続き、『一比較文学者の自伝』の下巻を読みました。上巻同様、痛快無比の一冊でした。
上巻に引続き、ご自身の学者人生の歩みを、留学先やら交友関係を通じて回顧しています。ところどころ、時事放談的な部分もあり、そこで展開される家永三郎批判、若桑みどり批判、半藤一利批判、保阪正康批判、朝日新聞批判、進歩的文化人(『昭和史』岩波新書など)批判など、鮮やかな切り口で「寸鉄人を刺す」とは、このことかと思ったりもしました。批判の内容に関しても同感です。
河合栄治郎・竹山道雄さんの知的影響を受けたという点は本書でもしばしば強調されています。私も浅学非才ですが、その流れの人間ですから(個人の感想です?)、その点も共感を持ちました。
岩波新書の『昭和史』と、竹山道雄の『昭和の精神史』(新潮社ほか)との知的格差など、天と地ほどの差があるというしかありません。
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それにしても、平川さんは茶目っ気があるというか、ユーモア感覚があるかたです。万年留学生、万年助手的な悲哀を感じたこともあったようですが、東大助教授、教授となり、日本で一番、なんでも言える立場を確立してからは、自由自在に生きています。
昔、松原正(早稲田大学教授)さんでしたか、大学教授はなんでも言える立場なんだから、右顧左眄することなく思うところを率直に発言すべきだという趣旨のことを述べていたかと思いますが、平川さんも、たとえば、あの悪名高い「孔子学院」に招かれて「何を話してもいい」といわれて、講義したことがあったようです。
そこで、天安門(1989・6・4)のことを述べたら、「それきり孔子学院から招待はない」とのことです。
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竹山道雄さんは、朝日や進歩的文化人から狙い撃ちをされたものです。そのあたりは、平川祐弘氏の『竹山道雄と昭和の時代』 (藤原書店)や平川祐弘氏の『「ビルマの竪琴」論争 竹山家から「声」欄へ』(諸君! 1985年11月号)、徳岡孝夫氏の『「ビルマの竪琴」と朝日新聞の戦争観』(諸君! 1985年9月号)などを参照されるといいと思います。
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本から少し離れますが、1935年生まれの大高まさる氏(女性)の『花ひらく婦人たちの国 ドイツ民主共和国の婦人と生活』(鳩の森書房)という本があります。1973年の刊行です。
この女性は、1958年から1967年まで毎日放送に勤務。1967年6月から1971年6月まで夫の仕事の関係でベルリン(東独)に滞在し、その間、婦人団体連合会連絡員として国際民主婦人連盟との連絡にあたっていたそうです。
その東独滞在中での体験を綴った本ですが、単純な東独礼賛本です。西独に比べて消費物資は豊かではないかもしれないけど、基本的に医療費や教育費は無料だし、公共料金も安いとヨイショ。
西独の教科書は、朝鮮戦争に関して「北鮮人民軍が南朝鮮に進軍、『統一朝鮮』をつくろうとしたため朝鮮戦争がおこった』と歴史を逆にえがき」と批判もしています。共産主義者にとっては、それこそ史実を逆にえがき、岩波『昭和史』がそうであったように、「南朝鮮と米軍が北進した」と言いたいのでしょうが、歴史を歪曲するのもほどほどにすべきでしょうね。
こういった爆笑(失笑・憫笑)するしかない貧弱な歪んだ「歴史認識」を恥ずかしげもなく開陳しています。
メルケルさんやヨアヒム・ガウク(東独の牧師出身の政治家。ドイツの大統領にもなった。自叙伝『ガウク自伝 夏に訪れた冬、秋に訪れた春』論創社も傑作)さんをはじめ、多くの人々が閉塞状況の東独で生きていた時期に、こんな表面的な観察をして東独を「花ひらく婦人たちの国」と礼賛していた日本人がいたことを、私は残念に思うしだいです。
神様、お許しください? こんな過ちは二度と繰り返しませんから?
大高さんは、映画『グッバイ レーニン!』に出てくる共産党に忠実な態度をとっていた老女
を想起させます。
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そのほか、上杉重二郎氏の『ベルリン東と西』(三一書房・1962年)、『東ドイツの建設 人民民主主義革命の思想と社会主義』(北海道大学図書刊行会・1978年)や日本ドイツ民主共和国友好協会会長の宇佐美誠次郎氏の『学問の五〇年』 (新日本出版社・1985年)や宮川寅雄氏の『東ヨーロッパとの対話』(校倉書房・1963年)などを一読されるといいと思います。
竹山道雄氏は、いち早く、『剣と十字架 ドイツの旅より』 (文藝春秋新社・1963年刊)などで「ベルリンの壁」の不当性を訴えた知識人でした。その頃、訳出されたテランス・プリティの名著『これがドイツ人だ』 (朝日新聞社・1962年訳出)も、東独の人権「弾圧」にはちゃんとした見聞を綴っていました。
それにひきかえ、上記の本、とりわけ宮川寅雄さんは『東ヨーロッパとの対話』で、こんな竹山批判をしていました。
「文藝春秋」などに掲載された竹山さんの東独観察録に対して、「日本文化フォーラムの闘士」と皮肉りつつ、「竹山氏の卑俗な見聞記にたいして、私は歴史的なものの見方というものを対決させたい」と大見得をきり、こう述べています(引用の際、改行を増やしています)。
「竹山氏は西独一マルクにたいして、東独四マルクのやみレート相場についてふれているが、この事実も竹山氏はうそをついているが、西側の経済侵略にほかならないのである。それにもかかわらず『決断』のときから十年たった今日では、その文化的・技術的伝統は、ようやく物質力となり、おそらく社会主義世界でも、もっともすぐれた工業団・学術的能力を開花させる可能性を、顕在化してきているのを、私は、見聞した。
ただし、街頭をうろうろして、スパイのように人を口車にのせたり、すかしたり、見聞したのではない。歴史家のはしくれであれば、事物の本質を、その可能性のなかから、主体的につかみ出すということでなければならない。竹山氏はいくらでも金棒をひいて、ベルリン街頭を歩けばいい。
いつの日か、かれはだれの目にもうそつきになるだろう。難民伝説も終りをつげるだろう。社会主義は、資本主義にまさることは、天日のようにあきらかになるだろう」
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宮川さんは1984年に死去。ベルリンの壁崩壊をみることはなかったようです。元日本共産党員(中国文革問題で除名とか)。教条左翼人だったのでしょう。
「日本近代史研究会」にも所属していた「歴史家のはしくれ」だったそうですが、それにしても、竹山さんを「うそつき」呼ばわりをして、「難民伝説も終りをつげるだろう。社会主義は、資本主義にまさることは、天日のようにあきらかになるだろう」との予言。
ノストラダムスもびっくりですね。こういう自称?「歴史家」が戦後の日本ではうじゃうじゃ、掃いて捨てるほどいたのです。
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たとえば、ほかにも、こんな指摘があります。
平川さんより少し上の世代で、1923年生まれの平野邦雄氏(2014年死去)の『わたしの「昭和」 ある歴史学徒の「追体験」』 (平凡社)という本があります。
平野さんはリベラルな方だったようです。昭和17年に東京帝国大学文学部に進学。図書館で勉強しようとすると、津田左右吉の本などは「閲覧禁止」。平泉澄シンパ的な右翼学生とは対立状態。
学徒出陣することになったものの、「これですべては終りだなと一生が閉じたように感じた」「東条首相の例によってしたり顔の歯の浮くような演説を聞くのがいやで、壮行会に出る意志ははじめからなかった」ので、明治神宮外苑競技場での出陣学徒壮行大会もラジオで実況放送を聞いただけ。
兵士として戦場に持参した本は、シュライヘルマッヘルの『独白録』と中国の古典。『古事記』や『万葉集』は持参しなかったとのこと。当時の「大勢」に逆らった天晴れな方ですね?(当時、私がその時代に生きていたら『ヘルマンとドロテーア』か『ヘンリ・ライクロフトの私記』か『人生の短さについて』を持参したかもしれません。まだ岩波文庫では出てなかったかもしれませんが?)。
そんな方でしたが、戦後、大学に復学し、坂本太郎氏に師事して古代史の勉強をしていきます。このあたりは左翼学者ではない方向に歩んだといえるかもしれませんね。
戦前は平泉史学に反発をしていたのですが、戦後のマルクス主義歴史学にも平野さんは違和感をおぼえ、こう指摘しています。
「マルクス主義は昭和30年代まで日本史の分野にも蔓延したが、40年代から退潮しはじめ、共産主義の没落とともに消え失せた。そのころマルキシズムを鼓吹した人たちは、その後始末をせねばならないのに、ただ忘れたように沈黙しているのは何故か。きちんと責務は果さねばならぬと思う。
もう一つは教授の追放を主張した人たちも、昭和40年代に入って、大学紛争がはげしくなり、丁度大学教授になって学生のつるし上げを逆に喰った時期で、それをどう考え、どう処理したかも明らかにしなければなるまい。日本人の固有の欠陥として、時流に迎合し、それに確固として対処できないことがあげられると思う。戦時中に私はそれに懲りたのである」
平川さんも、そうした学者の単細胞思考を批判しています。丸山真男にしても、大学紛争に関してちゃんと総括しているのやら?
ともあれ、平川さんは、しばしば「大勢」への抵抗を試みた体験を綴っています。
いみじくも、鄭大均さんが「(平川さんが)論壇の主流から外されていたのは、その思想に、時代の規範にそぐわないものがあったから」と評していたそうです。
下巻でもその「反大勢」の歩みがしばしば綴られていました。
「私は物書きとしての寿命が割合い長い、というか例外的に長い。反体制ならぬ反大勢の意見をしばしば露骨に述べた私は、学界では少数意見者だったかもしれない。しかし平川の日本近代についての歴史観は、相当数の内外の読者から支持されたのだろう」と自認しています。
また、上記の宮川さんのお仲間の流れをくむのではないかと思われるような歴史学研究会の有力者、板垣雄三さんが、その機関誌『歴史学研究』(2021年2月号・7月号)で、竹山道雄さんの『昭和の精神史』と平川さんの『戦後の精神史 渡邉一夫、竹山道雄、E・H・ノーマン』を褒めはしなくても、「深く読み返すべき仕事である」と一定の評価を下していたそうです。
板垣雄三さんの本って、読んだ記憶はありませんが、南原繁さんや加藤周一さんなどが好きな方のようです? そんな人が、お二人(竹山&平川)の本を取り上げるだけでもアンビリーバブル?
でも「嘘によらずに生きよう」とすれば、否応なく、宮川さんのような本は「反面教師」として読むだけの意義しかもはやありませんが、竹山さんや平川さんのようなまともな本を熟読する必要があることは、普通の人なら痛感させられることでしょう。
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余談ですが……。
平川さんの飛鳥新社の上下本の広告は、朝日新聞(2025・8・30)の書評欄にも半5で大きく出ていましたが、朝日批判も書かれているこの名著を朝日新聞が書評欄にて好意的に書評する可能性は低いと思います。
では、ごきげんよう(本欄で紹介した作品に御関心のある方は、ブログの文中の作品のリンクをクリックして註文してみてください)。
花ひらく婦人たちの国―ドイツ民主共和国の婦人と生活 (1973年)
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