先住民族大量虐殺、黒人奴隷酷使を推進した米国キリスト教徒(白人)には『アファーマティブ・アクション 』(積極的差別是正措置)が似合いますといっていいのでしょうか?

[2024・9・30・月曜日]

 

 

南川文里氏のアファーマティブ・アクション  平等への切り札か、逆差別か』(中公新書)を読みました。

 

アファーマティブ・アクション」の日本語訳は、「積極的差別是正措置」。アメリカ発の制度・概念ですが、それがなぜアメリカで生まれ普及し、そして最高裁で否定・廃止されることになっていったかを概説している本でした。

 

ところどころに出てくる著者の考えに、「そうだろうか?」という疑問が浮かぶところもありましたが、要はインディアンを殺戮して成立した米国ならではの必然的な制度だったかと思いました。インディアンのみならず、黒人奴隷を酷使し、南北戦争まで引き起こしたとはいえ、第二次大戦後になっても、有色人種を差別してきた米国では、こうした「積極的差別是正措置」を取らざるをえない歴史的必然があったのだろうと、読みながらふと思いました。

 

野蛮な民族差別政策を推進したキリスト教国家として、その是正をするにあたっては非常識なこれまた野蛮ともいえる強行策を取らざるを得なかったといえるのではないかと思いました。自業自得というか因果応報というか歴史的必然というか神の思し召しというのか?

 

有色人種国家である日本では、アイヌ問題や士農工商などもありましたが、ここまで露骨な差別の構図はなかったかと思います。戦争犯罪はしたとしても、ドイツのユダヤ虐殺のようなジェノサイドをやったことはなかったのと同様に、あんな形での先住民族大量虐殺、黒人奴隷酷使のようなこともなかった。

 

もちろんさまざまな「格差」「差別」は日本でもアメリカでもどこの国でもあるでしょう。共産独裁国家では「党員」かどうか、親がかつて資本家階級だったかどうかなどの「出自」「格差」が問題になることもありますから。

 

とはいえ、日本ではアメリカのような露骨な「積極的差別是正措置」も取る必要がなかったといえるのかもしれませんが、アメリカでは、ケネディ以降、とりわけジョンソン政権時代から、公民権運動の高まりと共に、黒人などを大学入試などで優遇する措置を取るのもやむなしという「世論」が多数派になったようです。それから半世紀近い「アファーマティブ・アクション」をめぐる抗争が米国内では展開されていきます。その軌跡を辿っている点は大変知的刺激に富む内容です。

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要は、不遇だった黒人などには下駄を穿かせたわけです。しかし、それが白人などの学生からすると、自分より成績が悪いのに、そっちは合格し、自分は不合格になるのは「逆差別」だということで、訴訟を起こす。裁判所がそれを認めたり、認めなかったり……。右往左往というのか、「是正措置」にしても、限定的に「人種」を考慮するか、しないかなどのニュアンスも大学によって異なるものがあったようです。そのあたりのことが詳述されており、参考になりました。一読して損のない本です。

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黒人の側にも、「アファーマティブ・アクション」は余計なお世話だ゛不要だ、かえって自分自身の能力が低く見られて嫌だと批判する人もいて、是非論争も「多様化」していきます。

本書でも取り上げられているシェルビー・スティールの『黒い憂鬱 90年代アメリカの新しい人種関係』(五月書房)は1994年に訳出されていますが、リアルタイムで一読し、深い感銘を受けたことがあります。彼は批判派の黒人でした。

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本書(南川さんの本)では取り上げられていなかったと思いますが、そんな是正措置をテーマにした映画「ミスター・ソウルマン」というのがありました。1986年公開の作品です。

 

ハーバード大学法学部に合格し進学した白人学生が、学費不足に陥り、黒人学生のみに適用される奨学金をもらうために、顔を黒く塗って黒人になりすまして……といったストーリーでした。40年近い昔の映画です。

入試のみならず大企業などでの雇用・昇進に際しても「是正措置」が取られたわけですが、「逆差別」と見る向きも強くあったのは当然のことでしょう。それゆえに、米国連邦最高裁は2023年に違憲判決を下したわけです。

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日本でも「差別」「逆差別」「格差」問題はいろいろとあります。

この前、医学部の合否判断で女性受験者に対する「逆の下駄履かせ」などがあったことで問題になったことがありました。その「差別」は合理的だ、男と違って女は外科医になりたがらないからといった声もありました。

 

だったら「法学部」でも受験する際に「法律学科」と「政治学科」があって、選択させるように、医学部も受験にあたって「医学部・外科コース」「医学部・内科コース」と分けて募集すればいいのにと素人考えながら思いました。ついでに、「歯学部」も廃止して、「医学部・歯学科コース」にすればいいのではないでしょうか。

もちろん『Doctor-X 外科医・大門未知子』みたいな女医(外科医)も実際にはいるのでしょうが?

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下積みの労働であれ、知的な職業であれ、その職域で、それなりに努力し、工夫し、能力を最大限に発揮する人もいれば、やる気のない最低限度の労力しか提供しない人もいます。そこに「格差」「区別」が生じることもあるでしょうね。それは許容できる?

黒人にも是正措置不要という人もいる。世の中、「多様化」「相対化」ですね。どうなることやらです。

 

でも、どっかの国のように親や自分自身が「党員」かそうでないかで露骨な差別待遇が発生するようなことでは困ります。この前、ここで紹介したキム・ミンジュさんの『北朝鮮に出勤します―開城工業団地で働いた一年間』(新泉社)によると、開城工業団地で働く北朝鮮の人々には、そうした「格差」があったようです。

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それにしても、この前のブログで書き忘れましたが、キムさんの本によると、北朝鮮の彼女たちは午前3時に起きて、夫や子供たちの食事を作り、職場の休み時間には家の洗濯を職場でして、夜帰宅しても家事炊事に追われているとのことでした。どこかの国で、保育施設が足りない、給食は無料にしろ、でないと子供は産めないと「権利を主張」している方々もいますが、恵まれた環境での贅沢病となっていないでしょうか?

 

でも、そんな文句のひとつも言えないような国には住みたくないものです。

北朝鮮も将来、民主化されたら、「アファーマティブ・アクション」が導入されて「元党員」には厳しい世となるかもしれませんが、それは仕方のないことかもしれません。

 

では、ごきげんよう。