こんにちは
過食に悩むダイエッター専門 管理栄養士ほなみです。
私は現在病院の管理栄養士として、糖尿病や肥満の患者様を中心に栄養指導する傍ら、自分自身の経験や知識を生かしてダイエットサポートのお仕事も行っています。
私が管理栄養士になったのも、ダイエットサポートのお仕事をやりたいと思ったのも、
過去に経験した摂食障害(拒食・非嘔吐過食)と万年ダイエッターの時代があったからこそ。
特に摂食障害で悩んでいたころは、出口が見えず、自己嫌悪もひどく、ネット上で見たほかの摂食障害当事者さんのブログや体験談に救われていたことがあったので、自分自身も当時を振り返りながら少しずつ書いてみようかと思います。
今摂食障害に悩んでいる方が「自分だけじゃないんだ」「いつかはちゃんと治るんだ」と思っていただけたら嬉しいです![]()
摂食障害の始まりについては「摂食障害体験記①」の記事をご覧ください。
~はじめての受診~
食べられないものが増えていき、とうとう体重が30kgを切った頃、心配した親に連れられて総合病院を受診しました。
この時も自分自身は病識が全然なかったのですが、そこで「神経性無食欲症」=拒食症と診断されました。
「このままだと死ぬよ」と主治医の先生に言われたことを今でも強く覚えています。
なんとか登校は許されましたが、部活や体育の授業含めて運動は全面的に禁止。もう生命を維持できる限界まで痩せ切っていたため、極限まで消費エネルギーを節約しなければいけなかったのです。重い教科書がはいったかばんを背負って通学するのも負担になるから、と言って、毎朝かばんを母が学校まで持ってきてくれていました(友達との関係を維持するために、歩いて一緒に通学することはさせてもらっていました)。
中学校に入学して1か月半くらいの間、このような生活を送っていましたが、それから数週間後に習い事に行った帰りに貧血を起こして歩けなくなりました。夜間に病院に行ったらそのまま入院。この時のBMIは11.5で、健康な人の約半分しかありませんでした。
~入院生活~
中学生だったので、小児科での入院。入院中は特別な処置や検査をするわけではなく、
・とにかく安静にすること(体力の回復)
・少しでも食べられるようにすること(食への行動や意識の改善)
・休むのを覚えること(脅迫観念を和らげる)
を目的とした入院でした。
体重が35kgまで戻ったら退院できると言われており、早く日常生活に戻りたかった私はやっと「やばい、食べなきゃ」という意識になれました。それでも食べられないものが多く、主治医や栄養士さんに相談しながら、できるだけ食べられるものを出してもらっていました。
摂食障害になる人は、真面目すぎたり、人の顔色を伺いすぎたりすることが多く、家庭環境に問題がある人も多いと言われています。そのためか、主治医からは「もっとわがまま言っていいんだよ」といつも言われており、豚肉牛肉NG、揚げ物NGなど、かなり面倒なお願いもしていたと思います。油物への抵抗がかなり強かったので、とにかく食べられるものを食べるという方針のもと、常食ではなく、脂質の少ないおかゆ食のおかずにしていただいていました。今となっては対応してくださった栄養士さんや調理師さん方に感謝しかないです🥲。
当時の私を振り返ると、家庭環境や親との関係性には問題はなかったものの、やはり真面目すぎ、顔色伺いすぎな傾向はあったなぁと思います。(ちなみに大人になってから自分はHSP:Highly Sensitive Personであることに気づきました)
摂食障害は心身症なので、このような考え方や気持ちの上でのケアとして、カウンセリングなども受けさせていただいていました。
ダイエットがきっかけで拒食症になる人は「太るのが怖い」という恐怖心から食べられなくなる方が多いそうですが、私の場合体重が増えることへの恐怖はそれほど強くなかったようです。どちらかというと「オルトレキシア=不健康だと考える食品を極端に避けることで生じる摂食障害」の要素が強かったように感じます。
色々トラブルもありましたが、徐々に食べられる量や種類が増え、体重も少しずつ回復し、入院から約4ヶ月後に35kgになり、
退院することができました。
ただしこのときも食に関して様々なこだわりが強く、まだ摂食障害が治ったわけではありませんでした。
退院後も闘病はまだまだ続きました。
最後までお読みいただきありがとうございます。続きは次の投稿をご覧ください![]()
