勇気「人と比べる」よりも、「昨日の自分」と比べてどうか。(昨日の聖教新聞一面の続きから)自分の臆病と弱さといってもそれは、自分の内面のことなのだから。人と比べる必要もないし、そもそも比較することすら出来ない。だから、この戦いは全ての人が参加できるその人の「自由な意思」で。この戦は、誰の傷つけることはなく。例え、何度敗れても何も失われない、また、そこから立ち上がればいいだけだ。厳しい環境の下で、何度も立ち上がる人を「勇気」の人と呼びたい。いつも、ありがとう。ハナスキー