五月天の石頭がFBのノートに書いている日記を、ちょこちょこ翻訳しております。おかしいところがあれば、ご指摘くだされば幸いです。
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午後のパリは時差をひきずってきた東洋人にとって薄い幕のかかった映画の情景のようなものだった。光と影は幕の襞によって跳ね返され、幻想はモンタージュの如く途切れ途切れにつなげたみたいで、思考を集中させることが出来ない。
ただ現実に起きる出来事に従い、魂の抜けた体を引きずって対岸のブリテン島へと向かう。
ヨーロッパの星の平穏はこのような精神状態にまさにピッタリだ。列車が動き始めると、車上の人々は子供の頃の遠足の楽しかった時間へと引き戻され、僕はといえば片隅に縮こまって、自分の本来のタイムゾーンとの時差を受け入れるしかない。
後ろの席の賭けポーカーの勝負がどれほど刺激的でも、前のゲームバトルがどんなに熾烈でも、重い瞼はジャッキを使ってもなお開きそうにない。
もたれ掛かり、遮ることの出来ない音と現実に朧気にリンクしながら、まるで生まれたばかりの赤ん坊のようにゆりかごの中でゆらゆらと揺られてキングスクロス駅へと到着した。
9と4分の3番線は見つからず、代わりに改装された新建築の今様の駅舎があった。もともとの煉瓦壁は鉄骨とガラスに覆われ慎重に保護されている。
もしパリが古い時代の守り人だとするのなら、ロンドンはもっと現実的である。ジェームズ・ボンドの小道具のように優雅で、科学的かつ実用的だ。
行程は思考の緩慢さや停止状態とは無関係だ。前方の助手席の前に、ハンドルがないことへの驚きがまだ鎮まらないうちに、明日演出する会場の近くに着いた。O2(ロンドン会場)付近のグリニッジ天文台の時間と僕の間にはまだ8時間の食い違いがある。
前に聞いた話だと、人類の体内時計は実は(一日)25時間なんだそうだ。そして僕がもし日照のない場所で16日間昼夜過ごしたら、その場所の時間から16時間ずらすことが出来るらしい。
でも僕にはすでにそんな十何日なんて調整時間は無いようだし、せいぜい明日朝早くに天文台に行って時間を合わせてみて、この耐えがたい時差を終わらせることが出来るか、試してみるとしよう。
(イギリス・ロンドン)