手上のコイン Blog -2ページ目

手上のコイン Blog

気まぐれに感想とか、好きなものの話題を。

五月天の石頭がFBのノートに書いている日記を、ちょこちょこ翻訳しております。おかしいところがあれば、ご指摘くだされば幸いです。

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GMT+0

午後のパリは時差をひきずってきた東洋人にとって薄い幕のかかった映画の情景のようなものだった。光と影は幕の襞によって跳ね返され、幻想はモンタージュの如く途切れ途切れにつなげたみたいで、思考を集中させることが出来ない。
ただ現実に起きる出来事に従い、魂の抜けた体を引きずって対岸のブリテン島へと向かう。

ヨーロッパの星の平穏はこのような精神状態にまさにピッタリだ。列車が動き始めると、車上の人々は子供の頃の遠足の楽しかった時間へと引き戻され、僕はといえば片隅に縮こまって、自分の本来のタイムゾーンとの時差を受け入れるしかない。
後ろの席の賭けポーカーの勝負がどれほど刺激的でも、前のゲームバトルがどんなに熾烈でも、重い瞼はジャッキを使ってもなお開きそうにない。
もたれ掛かり、遮ることの出来ない音と現実に朧気にリンクしながら、まるで生まれたばかりの赤ん坊のようにゆりかごの中でゆらゆらと揺られてキングスクロス駅へと到着した。

9と4分の3番線は見つからず、代わりに改装された新建築の今様の駅舎があった。もともとの煉瓦壁は鉄骨とガラスに覆われ慎重に保護されている。
もしパリが古い時代の守り人だとするのなら、ロンドンはもっと現実的である。ジェームズ・ボンドの小道具のように優雅で、科学的かつ実用的だ。

行程は思考の緩慢さや停止状態とは無関係だ。前方の助手席の前に、ハンドルがないことへの驚きがまだ鎮まらないうちに、明日演出する会場の近くに着いた。O2(ロンドン会場)付近のグリニッジ天文台の時間と僕の間にはまだ8時間の食い違いがある。
前に聞いた話だと、人類の体内時計は実は(一日)25時間なんだそうだ。そして僕がもし日照のない場所で16日間昼夜過ごしたら、その場所の時間から16時間ずらすことが出来るらしい。
でも僕にはすでにそんな十何日なんて調整時間は無いようだし、せいぜい明日朝早くに天文台に行って時間を合わせてみて、この耐えがたい時差を終わらせることが出来るか、試してみるとしよう。

(イギリス・ロンドン)

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大雪

パリでは大雪が降ったらしい。でも飛行機が着陸した後でも、まだ粉砂糖に覆われたパリを目にしてはいない。
一瞥した路の脇の、溝との隙間あたりに溶け残っていた雪だけが、前日降りしきった大雪を微かに暗示していた。
ロマンチックな人はタイミングの悪さを嘆き、理性的な人は肌を刺す寒風にやられてガタガタ震えていた。
パリの冬に、雪のロマンは得難い付加価値だ。そういった光景は、恋人達が鉄塔の前で思い出を残すに値する。塔ですら優美なBGMを纏いフェードインし、フェードアウトしてゆく。

もしかしたら、直前、日本の長野の真っ白な山林から飛び立ってパリへとやってきたせいかもしれない。跡形もなく消えてしまった雪には感傷的にはなれなかった。
むしろ避けることが難しいうえ攻撃的に続く冷たい矢に打たれ、太刀打ちすることができない。
一本一本の矢が上着も長袖も射抜き、筋肉から骨髄に至り脊椎に沿って後頭部までかけあがる。それはまるで氷柱で強打されたみたいで、痛みは両側のこめかみから割れんばかりだ。
このロマンの街は今や殺し屋で、寒さは彼女からロマンチックな所作を消し去った。

彼女の手に掛かることがないように、午後はそそくさと部屋に避難していた。それが唯一彼女の攻撃から逃れる手段だった。窓の外の明るい陽光はずっと暖かそうな錯覚を与えていて、うかつな人間をおびき寄せ、外に連れ出そうとしている。
窓の外を見ながら、僕はパリの大雪の風景を思い浮かべた。もし軽やかに雪の花が舞い落ちるのを目にすることが出来たなら、おそらくこの寒さと同調することができたのだろう。そしてそれなら、こんな巨大な落差を産むこともなく、戸惑うこともなかったのだろう。

僕は大雪の後のパリがどういった表情をもつのかピンとこなかった。
長野の山のように静かなのだろうか、虫の声も鳥の声もなく、雪が落ちる時も物音一つ無く、風のない晩には自分と、果てしない暗闇があるだけだろうか。
このような夜半に唯一確認できるのは、起きている生き物が自分だけではない、ということだけだ。それも翌日の朝の、雪の中の野ウサギの足跡によって。

窓の外のパリは、冬の晴れた空の下、鋭利さを見せている。行き交う人は早足で歩き、横断歩道に進入してきたマイクロバスは歩行者に比べ恥ずかしいほど進まず、もう一方の街角では道路工事のせいで、Uberのタクシーの運転手が揺れる車窓から、他方から割り込んできた禿頭のおやじに呪詛を吐いている。ロマンチックなパリはこの時、激しい荒々しさを覗かせていた。
まさに今こそが、大雪の降るべき時なんじゃないだろうか。

(フランス・パリ)
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緩やかに

街を三日間離れて、北から再びここに戻ってきた。きっと暖かいだろうと思っていたのだが、まるで北の冷たい空気が僕にくっついてこっそり荷物に潜み、一緒にマカオに戻ってきたようだった。
現地の人に言わせると、マカオがこんなに寒くなることはまれなのだそうだ。そして、このような気温は先月の桃園や更に寒かった上海のコンサートを僕に思い起こさせた。

覚えているが三年前の冬には、大寒波来襲時を除けば一年中、シャワーを浴びる時蛇口から出ていたのは暖めていない水だった。
でも最近手足が冷えやすくなって、血気盛んだった少年も、今では夏であっても暖まってからでないと浴室を離れられない。変化の大きさに、自分でも驚くばかりだ。

この街にいなかった三日間、彼女はこのじめじめした寒さを厭うこともなく、この街独特の特色を探し求めながら現地のたくさんの人気スポットを巡っていた。聖ポール天主堂跡、天后宮、セナド広場、美麗街、恋愛通り、タイパビレッジ。
僕は彼女に、もう一方の植民地だった東側は、海を隔てた街と比べて、どんな違いがあったかと訊ねた。
「ゆるい感じ」と彼女は言った。
僕はどうも合点がいかず、意味がわからなかった。すぐには自分でその答えを見つけることも出来ず、彼女がこの三日間について説明するのを黙って聞きながら、入り交じる記憶を整理し、手がかりを探すことしか出来なかった。

朝早く、彼女は僕を連れてこの近くのバイク屋にコーヒーを飲みに行きたいと言った。
もし外の気温がこんなに低くなかったら、僕はすぐさま起きだして靴を履いたはずだ。でも身体は正直なもので、すぐさま震えだした。
こんな天気だと躊躇してしまう。でも昨日の彼女の喜色満面の顔を思い出し、中に一枚多く着込んで部屋を出た。幸い歩き出してみるとタイパの古い町並みの中は暖かく、インナーは余分だったなと思う。

うっかり天使の小径に迷い込み、僕は両の目を細めた。大きな葉っぱのガジュマルの樹を眺めながら、僕らは何年か前の町内の穏やかな午後をとりとめなく思い浮かべる。赤煉瓦造りの囲いは人一人分の高さしかなく、ただ中には家があるだけだと言いたいかのようだ。

タイパの街中を歩きながら、僕はしだいに彼女のいう「ゆるさ」というのがどういう意味なのかを理解した。もしかすると如祥ビルの高層の前にある巨大な大石のようなものかもしれない。取り除こうとしたら大変だし、その必要もない。共存すればいいじゃないか?

(マカオ4日目)


ざっと訳してから、天使巷ってどこだよ?………とひとしきり悩みましたが、よくわからずそのまま比喩として訳してます。
確かにマカオには天神巷(道の名前には天使たちの小径の意味がある)てのもあるんですが、記述とぜんぜん違う繁華街だし、石ぱぱの日記はタイパの話なので、ここで登場するには橋渡らないといけないし、距離がありすぎる。
附近一間機車行てのもどこだよと思ってますけど(笑)
現地行けばわかるのかなぁ…。

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ビルと湯船

何日か前、ニュースは日本の火山が噴火したと伝えていた。旅行客のスマホで届けられた映像は手に汗を握るものだった。この映像には周囲の混乱した叫び声もいっしょに収められていた。
その時死というものは驚くほど身近なもので、近かったからこそ、それが起きたのを目にすることができたのだ。

映像を撮影した旅行客は幸運にも家に帰ることができたが、もしかしたらその後何日かは眠ることができなかったかもしれない。でも、恐怖の出来事に遭遇して、きっと彼らの価値観は変わったことだろう。
もしいつか彼らと会えたら、彼らのその後の心境の変化が僕が思ったものと同じようであるかどうかを、とても知りたい。

この生死の瞬間に馳せた思いは、思いがけずその晩見た現実のようにリアルな夢になった。夢の中で僕は天を衝く高層ビルにいた。どうしてそこに居たのかはとっくに忘れてしまったが、最後の結末はあまりに印象的だ。
夢の中で堅固な高層ビルは突然傾き、倒れ、一瞬にして両足は元あったフロアの床板から離れた。一斉に落下してゆく差し向かいのフロアも、僕の身体も空中に漂っているようだった。でも、夢の中のその冷静な自分ははっきりとわかっていた。自分はいま落ち続けているのだ、ということを。現実に、目を開いていてもまるで同じような状況に遭ったことがあるからだ。

落ち始めた時、何が起きたのだろうかと考えた。でも、あまりに突然にこんな大きな変化が起きたので、受け止めることが出来なかった。頭の中には無数の解釈や解決策が溢れだしていたのかもしれない。でも、落ち続けるというのは方向転換のきかない一本の矢のようなもので、的の中心に当たるまで、それは止まることができない。

それなのに、その墜落している時間は実際とても長く、あまりに長すぎてその間、僕は恐怖を忘れていた。そして全てが夢なのではないかと疑い、そう思ったら夢から覚めた。
でも目覚めてからは、むしろ当惑した。なぜ夢の中の自分は怖がらなかったんだろう、本当に死が間もなく訪れようとしていたというのに。

その疑問はおととい解決した。ホテルの、お湯で満たされた浴槽がその答えを僕にくれた。

滞在1日目、湯船にお湯を張った。いつもは湯に浸かるのが好きじゃない僕が、珍しく気が向いて湯船に身を沈めた。二十分後上がると、突然立っていられなくなった。二十何年前に陽明山の冷水坑温泉で気を失った経験に再びおそわれたのだ。
当時はメンバーたちが僕を支えて車に乗せてくれた。そして今回は、妻がいてくれたのでよかった。
十数分後、完全に意識が戻るのを待って、彼女は焦りつつ心配そうに僕に具合はどうかと尋ねた。僕は素直に何でもないと答えた。彼女はそれでも、何度も僕にもう心配かけないでよと言い聞かせた。

彼女の心配を僕が心配しないわけがない。記憶をなくしていた数分は僕に、死ぬということそのものは実は全然怖くないのだと教えてくれた。怖いのは、その終わらない痛みや病に人生を諦めてしまうことだし、傷つき悲しませるのは、自分を心配する人の涙と、彼らの嘆きだ。
人として生きる僕らは、いつになったら十二の因縁による悩みを取り除き、平然と死に向き合うことができるのだろうか?


(マカオ3日目)




草津の白根山の噴火があったのがこの頃でしたね。
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奇跡

 ここの冬は意外にも台北の気候と似ている。どんよりとした空、湿気を含んだ冷たい空気。空気中には、浮遊する細かな微粒子が見える。
 まるで美しい花火の後の煙硝のように、一切の現象には原因と結果がある、と人々に教えてでもいるかのようだ。

 このような日の光は街の彩度を下げている。毎晩、華やかで壮大にまぶしく煌めく光の街は、この時は反対にコンクリートで作られた本質へと戻る。重たく、地表に深く根を張り、悪いことをした子供のように大人しく、一言も発しない。
 だから人々はその巨大なコンクリートブロックの傍らに、大きな湿地帯があることに気づく。
 きっとそれは埋め立てられた海が残した恵みなのだろう。鳥の群れや孤独な人々を穏やかに庇護している。

 湿地にいた野鳥が何に驚いたのかはわからない。ホテルのガラス窓を隔てて、僕が聞いたのは遠くの建築現場で基礎を打つ音と、隣の清掃作業の掃除機の音だけだ。
 野鳥は南の方へと飛び立って行った。高くそびえる建物と比べると、野鳥が飛んで行ったあの丘は意外にもとても頼りなげに見える。まるですぐにも高層ビルに浸食されてしまいそうなほどに。
 でも僕は知っている。野鳥たちはこのビル群を横切り、その山の頂を越えて、遠くその先の浄土へとたどり着くだろうことを。

 そこは黒い砂粒で埋められた岸辺だ。先日、夜が訪れたその時、既に海岸の砂の色は黒なのか黄色なのか見分けがつかなかった。
だが砂の物理の特性は変わらず、両足を砂の中に踏み入れれば人の足取りを鈍らせる。
 どうせなら立ち止まってしまえばいい、海風にその日のほこりを吹き払わせ、波に面倒の一切を洗い流してもらうのだ。

山の反対側の、終わらぬ夜の街では、ビルの外側の輝きが彼女の頭上の空を奇跡のように照らしている。
けれど僕は、本当の奇跡とは不規則な波音や、日ごと繰り返される暗闇のその中にあると思うのだ。

(マカオ2日目)

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夢幻境 

ホテルの部屋の網戸の半分を覆う、細密に織りあげられたカーテンのトーテム模様と、外の世界とは違う文化背景をもっている。
だがどちらも、それぞれの階級の中では比較的豪華であるか、あるいは高貴なものであることを表している。
建物すべてに施された欧風の装飾や模様は、目を開いている間ずっと視界から消えることはなく、皇室の気分が何世紀かを経て、民間へ移譲されたかのようだ。

ここでは、誰もが国王になれる。必要なのは、老人や弱者のいる国家などではない。欲望を無限に解放した世界であり、五感が研ぎ澄まされた世界だ。
だがもう一生踏み込みたくない世界かもしれない。
というのも昨夜、鍵となったその瞬間、運気は向かい側のその手札に移ってしまったのだから。

この幻のような国家は、ありもしない創り事などではなく、地球一高密度な土地の上で、第四位のGDP平均を生み出している。
その殆どが、こういった華やかな建物の中の、その失望をあらわにした表情から生まれている。
あの三基の大橋の向こう側にある、地元のエネルギーにあふれた古い市街や、小さな路地に押し込められた狭いアパート、それに毎日残業している勤勉な市民などではない。
その上この街に関する全ての記憶は、夢幻の境地から飛び出してきたようなこの世界によってぬぐい去られてしまう。
まだらになった漆、腐食した錨、塀の角っこの土地神様、それに塩魚の干物が吊されている小さな店も。

それはまるで、一枚のテープを不注意にもそれ自身にくっつけてしまったみたいだ。たとえどう慎重に剥がしてみたところで、大抵テープについた糊は、思ったように両端に均等に分かれてはくれない。
そしてこの街の両端は、隔てた短い海岸を貼り合わせ、剥がした時に力を入れすぎて全ての糊が片方にくっついてしまったみたいだ。この不均衡な比率を見ると、お手上げだと言わずにはいられない。

なるほど地図上にはコタイなんて存在しない。二つの、それほど大きくはない陸地を繋げ、ひとつの夢幻に満ちた島を成しているのだ。
繋がれたもう一方の陸地の三基の大橋は、もう一つの世界を繋ぎ留めようとしているかのようだ。
いつか、僕たちが働くことや生きる意味を諦めることがあったら、この小島に導かれてもう一つの世界へ、あの夢幻に満ちた世界へと向かうのだろうか?


(マカオ1日目)



※ コタイ(路氹)はマカオのコレノア島(路環)とタイパ島(氹仔)を繋ぐ埋め立て地です。コンサート会場もカジノもこのコタイにあります。





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拾遺

この習慣を続けて結構時が経った。演出の前の空いた時間、どこでもドアをくぐることも、タイムマシンに乗ることも出来ないので、その代わりにバックステージの片隅に縮こまって真空の結界を結んだように、自由に思考を飛ばす。時間軸を何度も行き来し、過程の中にあるわずかなことをもういちど拾い上げ、捏ね上げて文字にし、紙の上にはめ込んでゆくのだ。

未来のことは予測しがたい。できるのは憧れと期待をもって、その日が訪れるのを待ち、当時の自分を裏切っているのかいないのかを実証することだけだ。もうひとつ怖いのは自惚れて大口を叩いてしまっていることだ。だからいつも筆を取る。自分の何が変わったのか、また何が変わらずにいるのかを振り返るために。そして拓本をとったり、改編や虚構の他人の人生を利用して、繰り返し人生の味を噛みしめてみるのだ。

文字を書いている僕にはいつも、その文字の中で起きる出来事を傍らでじっと見つめているもう一人の人物がいる。心の最奥の、最も真実の自分を書き出すことが出来ていれば、傍らのその人物は満足し、微笑みながら去って行く。

でも入り込みすぎて、その時空の渦の中にずっと捕まって、抜け出すことが出来ない時がある。だから試しに虚構に近い物語を創り出してみるのだが、恐るべきことに、物語を書き終えてみると、登場人物は存在し続け、時を選ばず僕に付きまとってくる。彼らのために創出したそういった時空は、映画に一瞬差し挟まれるシーンのように、突然現れては消えるようになる。

だから、再び自分のことを記していくのだが、ただ思考の過程を整理するだけのことで、いつも消耗してしまう。
掃除屋が山のすべて、一見目立たぬ塵までもを集めるようなものだ。その中に微かに光を振りまく何かがあることを、そしてそれが照らし出してくれるのを期待しているのだ。そういった思考が本来放っている光をサーチライトのように反射させてくれることを。
拾い集めている時に急に挿入曲がかかることもあるし、森林火災のように山ひとつ焼き尽くされてしまったりして、すべて振り出しに戻ることもある。そして結果としてはいつも、本来集めていたものとは全く違ってしまう。

こういった行程の最初には、いつも厳粛に常にくもりのないものを書かなければと自分に言い聞かせている。怖いのは、軽くみていて単位の取り直しをしなくてはならなくなってしまうことだ。なぜなら毎度書き終わるたびに、まるで100キロマラソンのようにくたびれ果ててしまうから、そしてだからこそ、いつも書き始める前に、まだ続けるべきかどうかを自分に尋ねているのだ。

既に何度か、空っぽに見えるその山を、空のまま放置してしまおうと思った。でも、傍らの彼の人は僕の隣でずっと待ち続けている。僕が身を起こし、拾い集め、文字へと落とし込んでやらなければ、彼は微笑んで去っていってはくれない。

「いつかはやめるんだろうな」と思う。傍らのその人が現れなくなるその日がくれば、やめてしまうんだろう。
でもその前に、こういったことやこういった人のことを読んで、あなたも微笑んでくれたらいいなと思う。






さて、ずいぶん間が空いておりましたが、
能力的に可能な限りは(汗)すすめたいと思います。まだあんまりコンスタントに出来る気はしないんですが。
空いた理由は煩雑なので省略。

ということでしばらくブログの日付設定をランダムかつ過去設定にして更新いたします。(文章の順番が狂うのがイヤなだけです)ズルとは違います(笑)





少し前から配信やダウンロードでは聴くことが出来てたんですが、五月天の新曲、「什麼歌」のMVが公開されました。

以下、歌詞は訳してませんが、阿信のFBより。
(歌の創作に関する時だけ、自分が興味あるので訳すヤツ←)




『什麼歌 What A Song』

「どんな歌だって/耳に届きたいんだ」
「寂しい心が/まだ寂しいままだから」

アルバム「自伝」の発行から一年半が経ち、僕らは新たなシングル曲、「什麼歌 What A Song」を完成させた。自伝をうけて後の、今この時の自分のありようを記録するためだ。
ツアーの最後の一曲が迫っている事を考えるとき、いつも少しの名残惜しさと感傷を覚える。

どの街でも、曲が終わりアンコールに応え、それぞれの物語が詰まったみんなの顔、ひとつひとつを眺めながら、僕も自分に問いかけているのだ。
「次に会えるのは、いつになるんだろう?」「これが終わった後、僕らはあと何回会えるんだろう?」

人生は、本当に不確かなことだらけだ。

_

「傷ついて僕は/何かを失ったみたい」
「でも立ち直ったあと/何かを学んだみたい」

捉妖記(モンスターハント)1のエンディングを覚えてる。胡巴一行は遠くへ去ってゆき、天蔭と小嵐は彼らの背中を見送るのだ。
何かを失ったようでも、また何かを得たようでもあって、悲しみに呆然としながら、何かに気づかされた気もする。「それは何だったろう?」

君の涙と笑い声を誘った「何か」は、ひとに与えられた最も貴重なものだ。その何かを言葉で表すことは出来ないし、はっきりつかむことも難しいけれど。
僕が書きたかったのはそういった、歳月の河の中に突然現れる目には見えぬ憂いだ。

_

「時が過ぎても僕らまだ/あんなきみと/あんな僕でいられるだろうか?」

何年か経って、もし君がまだ人生の孤独な森にいるのだとしたら、あるいは必死で飛んでいるとしたら。
僕が君にどれほど寄り添えるのかはわからない。
でも、覚えていて欲しい。この歌はその時の君に向けて書いたものだ。
君が何を忘れてしまったとしても、何を失ってしまったとしても。きっと、思い返して聴いて欲しい。この…
「什麼歌」を。






ここのところなんだーかんだーと、中文を読みはするものの、日本語にはしてなかったので、ちょっとリハビリも兼ねつつ。

阿信の文章はシンプルな言葉で、砕け過ぎても堅苦しくもないイメージなので、いつも、日本の文筆家だとどのあたりの文体のイメージかなぁと、ぼんやり考えつつ書いてます。







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お互い

短い休日は終わり、連日続いていた晴天も一緒に途切れた。
まるで、ラブレターで口説き始めたばかりの隣のクラスの女の子が、学期もまだ終わらぬうちに転校してしまったみたいだ。それからの学校の毎日、毎回の授業の終わりを告げる鐘の音は、鳴るたび涙さえ伴う悲しい響きとなるのだ。

昨日の午後、舞台上の風は容赦なく、数日前既に落ちていた紙吹雪を巻き上げた。音楽もみな鳴り止んでしまうと、彼だけが傍若無人に自分の威力を見せつけている。
もしこれが夜なら、官能的な光によって一篇の詩篇のような瞬間となって魂に刻まれるのだろうが、いまはまだ日の光だけで北風は何度となく吹き、みなその動きがどうしても掴めずにいた。

北風は手指から上着のポケットにまで吹き込む。もしメンバーの楽器が既に準備万端でなかったら、指たちは互いに寄り添って暖め合いたがるのだろう、この特殊な季節でなければ出来ない体験、お互いを感じられる季節を愉しみながら。

大学の頃は風がどんなに冷たくても、大度路上をなんの防寒具もなしに風に逆らって高速で進んだ。自分は、燐めく鋭い白刃で前方を遮るあらゆるものを切り開いてゆけると想像していた。だが、後ろに乗せた同級生の女の子が、すぐに寒風に吹かれ涙を流し、両頬を真っ赤にしていたことには全然気づかなかった。
道路の終点の赤信号が点った時が、男女の関係の終わりでもあった。

多くの冬が過ぎ去って、当時風に逆らってスクーターを走らせていた大学生は一年、また一年と風に吹かれ転がりながら、ガタガタと揺れる道の、尖った縁で削られていった。まだ残されたものも多いが、彼は少しずつわかってきた。彼一人がバイクに乗っているわけではなく、後ろに乗せた人もますます増えてゆくこと、お互いに暖め合うことが出来る幸福や、一緒に更に貴重な出会いへと進んでゆけるということを。
そして、お互いがいるからこそ、この冬は再びあれほど寒くなったりはしないのだということも。






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安心

あなたは何を失くしたことがあるだろうか?
失くし物をしたことの無い人はいないと思う。あの胸の裡がひとカケラ、欠けてしまったような、詰まって息ができなくなったような感覚。どうすれば、それが再び起きることを防げるのだろう?

昨夜、家で子供たちがメールのやりとりやお絵かきに使っているタブレットがなくなってしまった。母親に手伝ってもらって隅々まで探した。このタブレットをいちばん使っている父子三人はお互いにそれを持ってどこに行って、どこで失くしたのかを思い出させようとし、三人とも誓って機械を外に持ち出してはいないと言い切った。それぞれに、それを最後に見た時を思い出してみると、どうやら僕が手にしていたらしい。
兄弟が言う場面は確かに印象に残っている。しかし、その後の場面となるとまるで後ろ頭をポカリと殴られてしまったみたいに、記憶がブラックホールに飲み込まれて消えてしまっているのだ。

彼らを寝かしつけた後、僕は家の中に積み上げていた本や紙を整理していった。あの薄いタブレットが思いがけず中に挟まっていやしないかと期待したのだ。でもひと山ひと山と本を取り上げるたび、見た目の重さからしても他の異物がある事は考えられず、それでもそれが自分の思い込みで、見つからなかった物が出てくるのを期待して、諦めず一冊ずつひっくり返してみたが、次から次と得られたものは失望だけだった。

2時間が過ぎ、仕方なく捜索をやめた。最後の希望は金魚鉢に金魚の赤ちゃんがある日突然出現する様にか、それとも何かの本を読んでいる時、栞のように本から滑り落ちてくることだ。でも今はただ、この胸の欠けてしまったカケラに苛まれるしかないのだ。それに引き裂かれた他の傷口が、かすかに痛むことさえも。

最も深く古いその一筋は、小学校の卒業旅行でのことだ。祖母に長いことおねだりした一台のウォークマンで、中には高明駿と陳艾湄のデュエットのテープがはいっていた。青いリュックに入れたまま四重溪から台北へと戻るバスの中に落としてきたのだ。
リュックが見あたらないことに気づいた瞬間は、電流が首の後ろまで駆け抜けたように感じただけだったが、先生が祖母に、運転手はリュックを見つけられなかったと連絡してきた時、胸のそのカケラも完全に姿を消した。

きのうの夜の失くし物のせいで、僕は一晩よく眠ることが出来なかった。それは失くした空虚感のせいだけではない。なぜこんな気持ちになるのかを知りたかったのだ。世の中の無常を知っていながら、それでも受け入れることができないということを。
「受中心著,是名渇愛,渇愛因縁求,是名取」(※1)
人生で得た一切はいずれ失われる、胸のカケラもその一生の中で次々と消えてゆく。心を鎮めなくてはならない、でも、誰が僕を安心させてくれるというのだろうか?





※1「受中心著,是名渇愛。渇愛因縁求,是名取」
仏教の基本である十二因縁の一部ですね。苦しみが生まれ繰り返されるサイクルを十二の因果関係で示したものです。
『受』によって『愛(渇愛)』となり『愛(渇愛)』が強いと『取』となる。
感じ取った苦しみから煩悩が生まれ、煩悩の強さによって、執着が生まれる。
………超絶ざっくりなので、多分怒られるレベルでいいかげんな解説ですが、大ざっぱにそんなところかと。

正直、訳すのよりこっちの調べもので時間くいました。
いや、経典まで出されちゃお手上げです(笑)お経(の解釈)もまともに知らないで生きてるしなぁ…。
というか石ぱぱ、何を読んでたんでしょう。仏教関連なのは確かかな。