こちらの投稿は「 保護された話し 」の続きとなっております。


  初め私は声が詰まってしまい、友人Mが事情を説明してくれた。T先生は話を真剣に聞いてくれた。「ごめんね〜。気づけなくてごめんね〜。

ずっと一人で抱えて辛かったよね〜。」と柔らかい口調でT先生は何も悪くないのに泣いて謝っていた。私もMも泣いていた。泣き過ぎて頭が痛くなった。それからしばらくして友人Mは授業へと戻って行った。後から聞いた話なのだが、友人Mは教室に戻ったものの体調が悪くなり早退したらしい。私に夜通し付き合ってくれ、友人Mが居なければこうはなって居なかっただろう。本当に感謝している。

話は戻るが、友人Mが去った後、落ち着きを戻し私とT先生2人で話し合った。

T先生はこの問題は私には負えないと、申し訳無いと、謝って来た。だが当時私は教師、というか大人が怖かった。T先生には心を許せたが、他の先生となれば話は別だ。

だが、そんな我儘を言っていては話が進まない。

それで私は、まだ大丈夫ラインの先生達の名前を出した。生徒指導のY先生、校長先生だけに今回の件の内容把握を許可した。その他の先生には情報が行かない様にして貰った。T先生も授業があるのでY先生に予め事情を説明して行ってしまった。Y先生は私と話をするなり急いで何かをしに行った。お昼になり給食だったのだが緊張と不安で胃がキリキリして食欲は無かった。

それからしばらくして、警察官が来た。

私は録画していた動画と録音を提出した。

警察官は怖い感じは無く、気を使って頂き学校だった事もあり、軽装と普通の車で来てもらった。軽く挨拶を交わし、今回の件の話をした。

色々説明や今後の事などを話した。

警察官いわく奴が家に居る事で家に帰ることは出来ないと言う事だった。既に疲れきっていた私は戸惑う余地もなく承諾した。それから、スマホを一時的に渡す手続きをして事は終わった。警察官が去った後放課後に家庭相談所の職員が来た。

私は学校に持ってきた荷物をまとめ、今から一時保護所に行くと伝えられ、車に乗せられた。

それから1時間程でたどり着いた。

保護所に入ってすぐ私は身体検査をされ服を着替えさせられた。私物の持ち込みは一切禁止で唯一メガネだけは許された。

着替え終わった私はまた車に乗せられ産婦人科のある総合病院に連れて行かれた。

産婦人科では処女幕の確認と性病検査をされた。

それから被害当時の状況や出来事を話した。

診察が終わって施設に帰るともう8時頃だった。

別に分けられていた夜ご飯を食べた私はパジャマを持って指定された部屋へと行った。

ここでは9時に消灯な為、皆んなは既に寝る準備をしていた。私も指定された場所へ敷布団を引いて寝る準備をした。それから軽く自己紹介をして、消灯した。


そして、翌朝から長く地獄な毎日の保護所生活が始まったのであった。






ここまで読んでくださりありがとうございました。話を書く際当時の記憶を掘り出す為、私自身まだ辛くなる事もありますが、今後も一時保護所での生活も綴れたらと思います。

また、次の機会に👋🏻‪


この話は、ほぼノンフィクションですが時系列や

個人を特定しづらい様にあえてフィクションも混ぜております。もし、個人を特定したとしても、拡散や脅し、恐喝、接触などが無いようご理解御協力お願いします。