終戦記念日に思い出すことがある。

 

先生に「戦争のことを家で聞いてきてください」と言えれ、祖父に質問。

祖父:スナ(支那がなまってる)さいった

私:スナ?って砂?  

  何度か質問しても同じ回答プンプン

私:砂は砂場にしかありません、何言ってんのじいちゃんプンプンプンプンムキー

祖父:あれ「スナソバ(支那そば)」ってあっぺ  (孫のために懸命に何度も説明するじいちゃん)

私:もういい! じいちゃんのバカ!ムキームキームキー

 

 

1900年うまれの祖父、中国といえすんだのに「支那」と答える・・・。

祖父にとっては中国ではなく「支那」なんでしょうね。

このことは先生には言いませんでした。

 

中学生になってふと思い出し、「スナ」は「支那」で「中国」なのだと・・・

小学校3~4年の私には理解できませんでした、しかも訛ってるし・・・。

 

招集礼状が届き、中国まで船に乗り、歩いて満州(たぶん)で行ったのでしょうね。

私は依然見たドラマから想像するしかない・・・。

負傷して戻って来たらしい(じいちゃんが言ってた)

戦争については何も語らなったじいちゃん、もっと話を聞いておけばよかったなぁ~

 

庭の木は実のなるものしか植えなかったじいちゃん、戦争の影響もあるのかもしれません。

実家の庭には柿やイチジクの木がたくさんありました。

 

1900年3月生まれのじいちゃんの生年月日、一度聴いたら忘れない流れ星