1963年、川越高校に通っていた狭山市の農家の娘が誘拐され、強姦、殺害された。
その2か月前に起きた誘拐事件でも犯人を取り逃がしていた警察は犯人逮捕に躍起になり、
被差別部落に住む石川一雄(当時24歳)を容疑者とし、
脅迫状の筆跡や物的証拠、自供を得て、犯人と断定。
一審で被告は死刑を宣告された。
しかし、それらの証拠や自供は信頼性が低く、また石川は自白を強要されたと主張し控訴したが、
二審で無期懲役の判決。上告も棄却され確定した。
冤罪の疑いがあること、また石川が部落出身者であることから、
部落解放同盟はこの裁判を「差別裁判」と主張し、
行進や署名活動を盛んに行った。
この事件の関係者が相次いで自殺し、事件を追っていたフリーライターが不審な事故死を遂げていることなどもあり、
真犯人の存在を主張する声もある。
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裁判員制度も導入されて、自分が裁判員になることもあるかもしれない、なんていう思いとともに、
真剣にいろいろ読んでみたけど…
本当のことがなんなのかわからない。
いやもちろんそんなに簡単にわかったらみんな苦労しないんだけども。
でも、疑わしきは罰せず、という風に考えるなら、とても有罪とは言えないことだな、とだけははっきり思った。
冤罪で何十年も牢屋に入れられてしまったら…と考えたら、絶望的な気持ちになる。
ましてや死刑なんて…
裁判に関わるというのは、それだけの責任を持たないといけないということなんだよね。。
そして、部落差別のこと。
と言っても、今の私がそういうものを身をもって感じることは全然なくて、
部落差別って言われても、実感がわかない。
もしも友達や、親戚や、好きな人が、部落出身者だったとして、それを知っても、関係が変わるとは思えないというか。
それはそのひと本人の人生には影響を与えたりもしているのだろうし、苦労することもあったりするんだろうけど、
私とその人の関係には、特別な影響を与えることではないもんなあ。
差別があったとか、今あるとか、そういうことを知るのはとても大事で、
過ちを繰り返さないために学ぶべきことはたくさんあると思う。
でもその一方で、こういう、「部落差別って何?」みたいな人だらけになることが、
本当の意味での、差別からの解放になるんじゃないかな、と思ったりもする。
そんなことをたくさん考えた宿題でした。