子供達が大人になった姿を想像する時、今までは20代後半をイメージしていました。
就職して数年後くらいの子供達。
けれど、そこは精神的&経済的自立のほんのスタート地点。
「自分の人生」という航海の本当の荒波はそこからなのですよね。
だから最近は、40代の姿を想像してみています。
子供達が40歳になった時、自分の人生を本気で楽しんでいるか。
困難も荒波も、逞しく自分らしく乗り越えているか。
自分の喜怒哀楽を思いっきり味わって、人生を謳歌しているか。
そんな事を考えつつ、子供達と共同生活をしています。
40歳の子供達は、今の自分に近い年齢。
成人してから20年、2回目の成人式。
ある程度は酸いも甘いも経験済み。
キャリアパスも含め、大人の自分が自力で行動してきた経過の振り返り地点。
人生の責任は自分で負う、本当の大人の仲間入りの時期。
子供を授かったり、年老いた親(私)の心配など、背負うものも増えているでしょう。
(もう私はこの世にいなかったりして💦)
そう考えると、人生に必要なものが見えてくる気がします。
学歴とか、就職先とか、何ができるとか…
優秀だとか優秀じゃないとか…
比較の末の優劣とか…
渦中にいる時は、人生を左右する程の重大な事のように思えて必死に足掻いてみたり。
身近な人々や環境に、そう思わされている事もあります。
けれど、人の評価や得たものは結果であって、本人がそこで何をしたい(した)のか、楽しんでやっている(いた)のかの方が何倍も重要なのだと思います。
だとすれば…
自分がしたいこと。
自分の夢。
自分の好きなこと。
自分の好きなもの。
子供達には沢山の時間をかけて、自分のペースでゆっくり増やして行って欲しい。
どんな事でもいい。
現在とのギャップがある程に面白い。
感情が冷めたヒトにはならないで欲しい。
私は子供達が好きな事を見つけるための、サポートをするだけの存在がいい。
自分の人生を意味あるものに育てていく力。
努力したことを意味あるものに変えていく力。
それが、生きていくために本当に必要な能力。
しかし、やりたいことには現実的には学歴も知識も必要な場合があると教える必要もあるでしょう。
そうすれば、勉強するもしないも本人が選ぶ事になります。
自分がやりたい事には勉強が必要ならば、能動的に頑張れるはず。
子供本人の人生。
自分で自分の人生の責任をもてるように。
自分の心に愚直に生きて欲しいと願う。
それはとても大変な事だけれど、生きている実感を与えてくれる大切な事。
それには、子供達と私自身を切り離すこと。
今は出来なくてもいい。
成長過程でできるようになっていくから。
自分に必要なことは、自分で工夫するから。
それを子供時代からできない事は大人になってもできないとばかりに、今を締め付けるのは子供も親も苦しすぎる。
【のんびり、おおらかに、そして今を本気で生きる】
それが、私の日々目指すところです。