8月29日 通夜
午後4時、 丙市からS叔母さんが来ていた。
伯母方の親戚は S叔母さんと私の二人だけ。
その夜は斎場に泊まり、長男夫婦から
親との同居の大変さを 長々と聞かされ
デイサービスで痴呆を遅らせるリハビリをさせていたこと、
そこで転んで骨折したこと、 その後の入院、
諸々の治療など、亡くなるまでの経緯が説明された。
容態が急変して あっという間に亡くなってしまったので
慌しく乙市で葬式をあげることにしたが、
四十九日は故人が帰りたがった甲市でやる予定なので
親戚たちには その時に御参りしてもらいたい。
引き取ってから 毎日のように弟Aに会いたがり、
甲市に帰って一緒に暮らしたいと言っていた伯母。
ならば何故、 会わせてくれなかったのか。
見舞いに来てくれと連絡くれたら 喜んで行ったのに。
弟Cも妹Sも、 せめてもう一度会いと嘆いていたのに。
毎日見舞いに行っていた同居の長男が
「 帰ったらおじちゃん(私の父)に伝えて。
僕が病室に顔を出すと、 痴呆の進んだばぁさんは
Aちゃん、来てくれたの?
甲市に帰りたい。 って毎回言ってたって。 」
時折見舞いに行く次男を認識できず
「 どちら様か知りませんが わざわざ来ていただいてありがとう。 」
と、深々と頭を下げる伯母が
昔の写真を見せられると、 2歳の私を指差して
「 これ ちぃちゃん。 分かるに決まってるでしょ。 」 と言ってたって…。
痴呆が進むと、昔の記憶がより鮮明になるのですね。
伯母の住んでいた町の仲良しさん数人が通夜に来てくれた。
「 26・27日の二日間 二階に電気が点いていたんですが
家族の誰か家に来ていたんですか? 」
いいぇ、誰も行っていません。
「 おばぁちゃんが亡くなったのに ぜんぜん寂しく感じなかったのよねー。
何だか いなくなった気がしなくて。
寂しく感じなかったのは おばぁちゃんが自宅に帰っていたからなのねぇ。 」
同居の嫁さんの言葉、 物も言いようだなと妙に感心したS叔母と私…。
布団に入ってもほとんど眠ることができず、
一晩中 線香の火が途切れないよう
足音を忍ばせて遺影の前の線香を点けていました。
to be continue