2024年度秋季号 その9
11月2日のホメーロス研究会の様子です。今回は『イーリアス』第二歌569~602行目までです。
カタログの中には勿論総大将アガメムノーンの名も出てきます。
τῶν ἑκατὸν νηῶν ἦρχε κρείων Ἀγαμέμνων
Ἀτρεΐδης: ἅμα τῷ γε πολὺ πλεῖστοι καὶ ἄριστοι
λαοὶ ἕποντ᾽: ἐν δ᾽ αὐτὸς ἐδύσετο νώροπα χαλκὸν
κυδιόων, πᾶσιν δὲ μετέπρεπεν ἡρώεσσιν
οὕνεκ᾽ ἄριστος ἔην πολὺ δὲ πλείστους ἄγε λαούς. (2-576~80)
彼等(ミュケーナイの軍勢)の百艘の船をアガメムノーンが率いていた
アトレウスの子(アガメムノーンが)、かれと共にはるかに多くの最も優れた
兵士達が従っていた。その中に彼自身は輝く青銅を纏っていた
栄光に包まれて、全ての勇士達に抜きんでていた
最も優り、かつはるかに多くの兵士達を連れていたから
最後の行でアガメムノーンが「全ての勇士達に抜きんでていた」理由が述べられています。すなわち「最も優り ἄριστος ἔην」また「はるかに多くの兵士達を連れていた πολὺ δὲ πλείστους ἄγε λαούς」からと。
その前者の理由について、疑問を呈する註もあります。というのは少し先に
ἀνδρῶν αὖ μέγ᾽ ἄριστος ἔην Τελαμώνιος Αἴας
ὄφρ᾽ Ἀχιλεὺς μήνιεν: ὃ γὰρ πολὺ φέρτατος ἦεν, (2-768,9)
人間達の内ではテラモーンの子アイアースがはるかに優っていた
アキレウスが怒っていた内は、というのは彼(アキレウス)がはるかに強かったからだ
とあるからです。
しかしこれは Kirk が言うように、武勇においてはアキレウス・大アイアースが一・二位を占めるが、地位においてはアガメムノーンが最上位だったのだと理解できます。そしてここにこの詩篇におけるひとつの大テーマ、アキレウスの不満の核をなす「実力と権力の乖離」のテーマが隠されています。
後者の理由は引きつれてきた兵士の数さです。
カタログの最初のあったボイオーティアの軍団はこう言われていました。
τῶν μὲν πεντήκοντα νέες κίον, ἐν δὲ ἑκάστῃ
κοῦροι Βοιωτῶν ἑκατὸν καὶ εἴκοσι βαῖνον. (2-509~10)
彼等の五十艘の船が来ていた、そして各船には
ボイオーティアの百二十人の若者が乗り組んでいた
すなわち単純に計算すると120人×50(艘)であり六千人でした。アガメムノーンの船団は百艘とされていますので、総勢で凌駕するには一艘に六十人以上乗り組んでいた計算になります。もっともここら辺り、あまり詮索するのは意味がないかも知れません。
アガメムノーンの軍団の次にはメネラーオスの軍団が来ます。
τῶν οἱ ἀδελφεὸς ἦρχε βοὴν ἀγαθὸς Μενέλαος
ἑξήκοντα νεῶν: ἀπάτερθε δὲ θωρήσσοντο:
ἐν δ᾽ αὐτὸς κίεν ᾗσι προθυμίῃσι πεποιθὼς
ὀτρύνων πόλεμον δέ: μάλιστα δὲ ἵετο θυμῷ
τίσασθαι Ἑλένης ὁρμήματά τε στοναχάς τε. (2-586~90)
彼等(ラケダイモーンの軍勢)を彼の弟雄叫びよきメネラーオスが率いていた
六十艘の船を。(兄とは)別に戦列を敷いていた
その中で彼の戦意に恃んで進んでいた
戦いへと励まし立てながら。とりわけ心にはやって
ヘレネー故の苦労と悲嘆とに報復せんものと(はやって)
590行目は先のネストールの演説の引用の中にも出てきた詩行です。
τὼ μή τις πρὶν ἐπειγέσθω οἶκον δὲ νέεσθαι
πρίν τινα πὰρ Τρώων ἀλόχῳ κατακοιμηθῆναι,
τίσασθαι δ᾽ Ἑλένης ὁρμήματά τε στοναχάς τε. (2-354~6)
それ故誰も故郷に帰ろうなどと逸るな
トロイア人の妻達の誰彼と寝て
ヘレネー故の苦労と悲嘆とに報復するまでは
そこでは「ヘレネーのためにギリシア人が蒙った苦労云々と解するか、ヘレネー自身が嘗めた苦労云々ととるか」の両論について、ネストールがヘレネーの心情に理解を示す必然性はなく、前者の方がより相応しいとしました。ここ(590行)ではどうでしょうか。
上記訳では、ネストールの場合と同様に、メネラーオスを始めとするギリシア人一般の苦労云々と解しました。しかし夫たるメネラーオスの場合、ネストールの場合と若干事情は異なるのかも知れません。ヘレネーが意に反して連れ去られたと思い込んでいる(あるいは思いたい)メネラーオスにとっては後者の解釈もありうると思われます。
ネストール率いる軍団も挙げられます。その中には興味深いエピソードが挟まれています。
・・・ ἔνθά τε Μοῦσαι
ἀντόμεναι Θάμυριν τὸν Θρήϊκα παῦσαν ἀοιδῆς
Οἰχαλίηθεν ἰόντα παρ᾽ Εὐρύτου Οἰχαλιῆος:
στεῦτο γὰρ εὐχόμενος νικησέμεν εἴ περ ἂν αὐταὶ
Μοῦσαι ἀείδοιεν κοῦραι Διὸς αἰγιόχοιο:
αἳ δὲ χολωσάμεναι πηρὸν θέσαν, αὐτὰρ ἀοιδὴν
θεσπεσίην ἀφέλοντο καὶ ἐκλέλαθον κιθαριστύν: (594~600)
・・・ そこはムーサイ達が
彼のトラキア人タミュリスに出会い歌うことを止めさせたところである
オイカリアのエウリュトスの許を離れオイカリアから来た(タミュリスに)
というのは彼が勝つだろうと高言して豪語したからだ、たとえ
アイギスを持つゼウスの娘達ムーサイ自身が歌おうとも、と
そこで女神達は怒り(彼を)不具にした、そして貴い歌の技を
取り上げ琴弾く技を忘れさせた
595行目の τὸν についてピエロンは「彼の(有名な)」の意味であると註しています。
599行目の πηρὸν は「不具」であり、具体的には「盲目」を意味すると古くは解されていたようです。しかしアリスタルコスは「盲目が怜人であるために何の障りになろうか、デーモドコス(『オデュッセイアー』に登場する伶人)の例もある」とそれを退け、精神を奪い「白痴」にしたのだと述べています。たしかに、琵琶法師の例を見ても怜人は晴眼者に限りません。口承詩であれば視力は無用かも知れません。ここの πηρὸν は端的に「啞」とも考えられます。
600行目の ἐκλέλαθον は他動詞的に使われています。
さて、このエピソードは神に挑む人間の傲りとその報いを語っています。詩篇最終歌ではアキレウスがニオベーの傲りとその報いを語ります。
τοὺς μὲν Ἀπόλλων πέφνεν ἀπ᾽ ἀργυρέοιο βιοῖο
χωόμενος Νιόβῃ, τὰς δ᾽ Ἄρτεμις ἰοχέαιρα,
οὕνεκ᾽ ἄρα Λητοῖ ἰσάσκετο καλλιπαρῄῳ:
φῆ δοιὼ τεκέειν, ἣ δ᾽ αὐτὴ γείνατο πολλούς: (24-605~8)
彼等(ニオベーの息子達)をアポローンが白銀の弓で殺しました
ニオベーに怒って、彼女等(ニオベーの娘達)は矢を射るアルテミスが(殺しました)
というのは(ニオベーが)頬よきレートーと張り合ったからです
言ったのでした、(レートーは)二人を産んだが彼女自身は多くを産んだと
ホメーロス世界の倫理において傲り ὕβρις は大罪であり、特に神を軽んじることが最大の罪であったことが示されています。上のトラキア人タミュリスの
στεῦτο γὰρ εὐχόμενος νικησέμεν εἴ περ ἂν αὐταὶ
Μοῦσαι ἀείδοιεν ・・・ (597,8)
との言動はニオベーのそれと同様不遜の極みです。
怜人は「神々しき怜人デーモドコス(『オデュッセイアー』8-43,4)」の様に「神々しき θεῖον」のエピテットが冠せられていますが人間に違いはありません。オリュンポスの神々は時に怒り悲しみ、時にしくじり実に人間的です。それでも神は神です。ホメーロス自身も自戒をこめてこの段を語ったのでしょうか。
次回の「ホメーロス研究会」は11月9日(土)で、『イーリアス』第二歌603~637行目までを予定しています。