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2025年度春季特別号 その1

 

「ホメーロス研究会」は春休みに入りました。2025年度春季のホメーロス研究会は一ヶ月の春休みを挟んで、4月19日(土)に開始予定です。

春休み期間は「ミニホメーロス研究会」として、先の夏休みに引き続き、『オデュッセイアー』を読んでいくことにします。

 

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『オデュッセイアー』第一歌も終わりに近づいていました。初回の3月22日は『オデュッセイアー』第一歌428行目~最終行444行目までと第二歌冒頭から七行目までです。

 

神々の会議でオデュッセウスを帰国させることが決められ、アテーネーがテーレマコスを激励に来ました。テーレマコスはそれを受け、宴席で求婚者達に明日の集会開催の意志を告げた後、寝所に向かったところでした。

 

τῷ δ᾽ ἄρ᾽ ἅμ᾽ αἰθομένας δαΐδας φέρε κεδνὰ ἰδυῖα

Εὐρύκλει᾽, Ὦπος θυγάτηρ Πεισηνορίδαο,

τήν ποτε Λαέρτης πρίατο κτεάτεσσιν ἑοῖσιν

πρωθήβην ἔτ᾽ ἐοῦσαν, ἐεικοσάβοια δ᾽ ἔδωκεν,

ἶσα δέ μιν κεδνῇ ἀλόχῳ τίεν ἐν μεγάροισιν,

εὐνῇ δ᾽ οὔ ποτ᾽ ἔμικτο, χόλον δ᾽ ἀλέεινε γυναικός: (1-428~33)

彼(オデュッセウス)に伴って松明を運んだ、まめやかさを心得た

エウリュウクレイアが、ペイセーノールの子オープスの娘が

彼女をかつてラーエルテースが彼の財産で購った

いまだ小娘であったのを、二十頭の牛を支払った

館では彼女をまめやかな妻と同等に大事にした

しかし臥所では交わらなかった、妻の怒りを避けようとして

 

侍女 Εὐρύκλει(α) の名が登場しています。Εὐρύκλεια はオデュッセウスの乳母でもありました。上記一節のすぐ後で「彼女はオデュッセウスを侍女達の内で最も愛し、幼い彼を育てた ἑ μάλισταδμῳάων φιλέεσκε, καὶ ἔτρεφε τυτθὸν ἐόντα」(434,5)とされています。この侍女は詩編で今後も助演女優として重要な働きをします。このエウリュウクレイアは、助演男優とも言うべき豚飼いエウマイオスと並んで下層の人物像を体現し、『オデュッセイアー』世界を特徴付けています。その点英雄群像を基本とする『イーリアス』とは対照的です。とはいえ、ここでエウリュウクレイアは出自が祖父の名が上げられていることからも良き家系であったことが伺えます。エウマイオスも同様のであったとされ、代々の下層というわけではないようです。

432,3行目でのラーエルテースのエピソードも見逃せません。『イーリアス』の第一歌にあったアガメムノーンの傍若無人振りに対し、気配りにおいて対照をなしています。ラーエルテースは先代の王であったはずですが詩編では(最終歌の求婚者一族に対峙する一場面を除き)一貫して控えめな人物像です。

 

テーレマコスは寝所に入ります。

 

ἕζετο δ᾽ ἐν λέκτρῳ, μαλακὸν δ᾽ ἔκδυνε χιτῶνα:

καὶ τὸν μὲν γραίης πυκιμηδέος ἔμβαλε χερσίν.

ἡ μὲν τὸν πτύξασα καὶ ἀσκήσασα χιτῶνα,

πασσάλῳ ἀγκρεμάσασα παρὰ τρητοῖσι λέχεσσι

βῆ ῥ᾽ ἴμεν ἐκ θαλάμοιο, θύρην δ᾽ ἐπέρυσσε κορώνῃ

ἀργυρέῃ, ἐπὶ δὲ κληῖδ᾽ ἐτάνυσσεν ἱμάντι. (1-437~42)

寝台に腰掛け柔らかい下着を脱いだ

そしてそれを心遣いの行き届いた老女の手に投げ込んだ

彼女はそれを畳み整えて

孔のある寝台の傍の懸け釘に吊し

部屋から出て行った、そして鉤で扉を閉めた

銀の(鉤で)、その上に閂を革紐で掛けた

 

437行目から四行、ささやかながら就寝前の老侍女と若旦那の日常の仕草が活写されています。

441,2行目には錠前の操作手順が簡潔に語られています。ただ、実際どういう仕組みであったのかを実感するのは難しい面があります。そのような中、ヘルマン・ディールス著『古代技術』の「古代の戸と鍵」の項は図版も豊富で理解の助けになります。それを見ると441,2行目の技術的実務的正確さを感じ取ることができます。詩人の言葉を紡ぐ仕事は人類の培い伝承してきた工夫や技に通じるものであるということなのかもしれません。

 

そして第一歌は次の二行で閉じられます。

 

ἔνθ᾽ ὅ γε παννύχιος, κεκαλυμμένος οἰὸς ἀώτῳ,

βούλευε φρεσὶν ᾗσιν ὁδὸν τὴν πέφραδ᾽ Ἀθήνη. (1-443,4)

そこで彼は羊毛の毛布にくるまり一晩中

彼の心の中でアテーネーが指示された旅を思った

 

そして第二歌冒頭はこうです。

 

ἦμος δ᾽ ἠριγένεια φάνη ῥοδοδάκτυλος Ἠώς,

ὤρνυτ᾽ ἄρ᾽ ἐξ εὐνῆφιν Ὀδυσσῆος φίλος υἱὸς (2-1,2)

早く生まれる薔薇色の指持つ暁が現れると

オデュッセウスの愛しい息子は臥所から起き上がった

 

暁を叙す詩行

 ἦμος δ᾽ ἠριγένεια φάνη ῥοδοδάκτυλος Ἠώς (2-1)

は調べてみると、『オデュッセイアー』では二十回でてきます(ちなみに『イーリアス』では二回)。僅々五十日間余の物語の内に二十回ですので相当の数です。『オデュッセイアー』の詩人が(そういう存在がいればですが)特に好んだ詩行だったと思われます。

若者が来たるべき旅路への深い思いのまま眠りにつく、新しい歌章が暁と共に始まる、詩人の詩心と詩才が横溢している箇所です。

 

次回「ミニホメーロス研究会」は3月29日(土)で『オデュッセイアー』第二歌8~34行目までを予定しています。