ホメーロス研究会だより 729 | ほめりだいのブログ

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2024年度夏季特別号 その5

 

8月31日のミニホメーロス研究会の様子です。今回は『オデュッセイアー』第一歌405~427行目までです。

 

テーレマコスの「全体を束ねる王権はともかく、最低限一領主としての領分を侵すことは許さない」との言がありました。それ対して、前回の終わり近くで、今度は求婚者中のもう一人の実力者エウリュウマコスが

 

κτήματα δ᾽ αὐτὸς ἔχοις καὶ δώμασιν οἷσιν ἀνάσσοις. (1-402)

    財産はあなた自身が保持すればよい、家もあなたが支配したらよい

 

と宥めるように応えていました。

所有代名形容詞 ὅς は三人称のみならず一・二人称にも使われることがあります。ここの οἷσιν についても、二人称と考えられます。ただ Stanford はあえて οἷσιν に代えて σοἷσιν の形を採用し、Note the Assonance of οι and Alliteration of σ と註をつけています。

この σοἷσιν 説には惹かれるものがあります。『オデュッセイアー』のここまでのところでも、テキストの異同に音調がかかわる同様の例が二つありました。

一つは

τίς δαίς, τίς δαί ὅμιλος ὅδ᾽ ἔπλετο; τίπτε δέ σε χρεώ; (1-225)

これはどんな宴会、いったいどんな集まりなのですか、あなたにとってどんな必要があるのですか

です。二つ目の τίς の後の δαί には δὲ の異文があります。しかし δαί を採った方が225行目の出だしが τίς δαίς, τίς δαί となり、客人の問いかける口調としてより生彩に富んできます。

二つ目の例は

δακρύσασα δ᾽ ἔπειτα προσηύδα θεῖον ἀοιδόν:

Φήμιε, πολλὰ γὰρ ἄλλα βροτῶν θελκτήρια οἶδας,

ἔργ᾽ ἀνδρῶν τε θεῶν τε, τά τε κλείουσιν ἀοιδοί: (1-3368)

そして彼女は泣き出し貴い伶人に言った

ぺーミオスよ、人間を魅惑する歌を他にも沢山知っているのだから

人間達と神々の事績を、それらを伶人達は歌い称える

です。337行目行末の οἶδας οἶδα(知っている)の二人称単数完了形ですが、οἶδα の二人称単数完了形はホメーロスの他の箇所では全て οἶσθα であり、οἶδας はここだけの形です。しかしここでは前後の行末との響き合いから οἶδας がよいと思われます。

 

エウリュウマコスはそれに続けてこう言います。

 

ἀλλ᾽ ἐθέλω σε, φέριστε, περὶ ξείνοιο ἐρέσθαι, (1-405)

だがなあ、そなたに客人について訊きたいと思う

 

そしてテーレマコスに問いかけた内容がこうです。

 

ὁππόθεν οὗτος ἀνήρ, ποίης δ᾽ ἐξ εὔχεται εἶναι

γαίης, ποῦ δέ νύ οἱ γενεὴ καὶ πατρὶς ἄρουρα.

ἠέ τιν᾽ ἀγγελίην πατρὸς φέρει ἐρχομένοιο,

ἑὸν αὐτοῦ χρεῖος ἐελδόμενος τόδ᾽ ἱκάνει;

οἷον ἀναΐξας ἄφαρ οἴχεται, οὐδ᾽ ὑπέμεινε

γνώμεναι: οὐ μὲν γάρ τι κακῷ εἰς ὦπα ἐῴκει. (1-406~11)

どこの者なのだあの男は、どの土地から来たと言っているのか

一体彼はどこの家系で、どこに親の田畑があるのか

あるいは父親の帰還についての知らせを持ってきたのか

あるいは彼自身の用事を果たそうとしてここに来たのか

あんなにも素速く飛んで帰っていった、知り合いになるのも

待たずに、というのも賤しい者とは見えなかったからだが

 

この一節を見ると客人のことが気になっていたことが分かります。そして特に408行目の

ἠέ τιν᾽ ἀγγελίην πατρὸς φέρει ἐρχομένοιο,

には、オデュッセウスの帰還を(その可能性の度合いはともかく)内心恐れていたことが如実に現れています。

 409行目の χρεῖος について West

  In Homer χρεῖος commonly has the sense of debtbut if we so take it here, the specific ἑὸν αὐτοῦ become practically meaninglessと述べています。

同行の τόδ(ε) は副詞的に「ここに」の意味です。Stanford acc. neut. τόδε with ἱκάνω, etc., hither, to this spot と説明しています。

411行目の γάρ は理由・根拠を導入する γάρ でしょうか。というのも「賤しい者とは見えなかった」ことは「素早く去った」ことの理由・根拠とはなり得ないように見えるからです。

この点について West はこう説明しています。

This clause supplies the reason for Eurymachus’ question: the visitor looked distinguished, and his activities are likely to be of interest (as those of a peasant would not be) と。

すなわち、理由を導いてはいるが前文の内容に対する理由ではなく、「何故尋ねるかと言えば」という理由を述べているというわけです。その点は説得力があります。しかし、and his activities 以下は疑問です。「一廉の人士に見えた、だからしかるべき挨拶もなしに去るのは不審だ」という心ととる方がいいのではないかと思われます。

テーレマコスは、メンテースという「私の父の代からの客人 ξεῖνος ἐμὸς πατρώιος」だと答えます。そしてこう続きます。

 

ὣς φάτο Τηλέμαχος, φρεσὶ δ᾽ ἀθανάτην θεὸν ἔγνω.

οἱ δ᾽ εἰς ὀρχηστύν τε καὶ ἱμερόεσσαν ἀοιδὴν

τρεψάμενοι τέρποντο, μένον δ᾽ ἐπὶ ἕσπερον ἐλθεῖν.

τοῖσι δὲ τερπομένοισι μέλας ἐπὶ ἕσπερος ἦλθε: (1-420~3)

そのようにテーレマコスは言ったが、心では神だと認めていた

彼ら(求婚者達)は舞踏や楽しい歌曲に

心を向けて興じていた、そして夕べの訪れを待った

興じている彼らに黒き夕べが訪れた

 

420行目後半 φρεσὶ δ᾽ ἀθανάτην θεὸν ἔγνω は、テーレマコスが、客人が実は神であると知りつつ、あえて差し障りのない答えをしたことを明らかにしています。テーレマコスは πολύμητις に一歩近づいています。

422,3の二行には音調上の遊びが窺えます。すなわち、

τρεψάμενοι τέρποντο, μένον δ᾽ ἐπὶ ἕσπερον ἐλθεῖν.

τοῖσι δὲ τερπομένοισι μέλας ἐπὶ ἕσπερος ἦλθε:

です。

 

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2024年度秋季の「ホメーロス研究会」が9月7日(土)から始まります。初回の9月7日は『イーリアス』第二歌の375から399行目までです。

『オデュッセイアー』の続きはまた次の春休みに読んでいくことにします。