2024年度夏季特別号 その5
8月31日のミニホメーロス研究会の様子です。今回は『オデュッセイアー』第一歌405~427行目までです。
テーレマコスの「全体を束ねる王権はともかく、最低限一領主としての領分を侵すことは許さない」との言がありました。それ対して、前回の終わり近くで、今度は求婚者中のもう一人の実力者エウリュウマコスが
κτήματα δ᾽ αὐτὸς ἔχοις καὶ δώμασιν οἷσιν ἀνάσσοις. (1-402)
財産はあなた自身が保持すればよい、家もあなたが支配したらよい
と宥めるように応えていました。
所有代名形容詞 ὅς は三人称のみならず一・二人称にも使われることがあります。ここの οἷσιν についても、二人称と考えられます。ただ Stanford はあえて οἷσιν に代えて σοἷσιν の形を採用し、Note the Assonance of οι and Alliteration of σ と註をつけています。
この σοἷσιν 説には惹かれるものがあります。『オデュッセイアー』のここまでのところでも、テキストの異同に音調がかかわる同様の例が二つありました。
一つは
τίς δαίς, τίς δαί ὅμιλος ὅδ᾽ ἔπλετο; τίπτε δέ σε χρεώ; (1-225)
これはどんな宴会、いったいどんな集まりなのですか、あなたにとってどんな必要があるのですか
です。二つ目の τίς の後の δαί には δὲ の異文があります。しかし δαί を採った方が225行目の出だしが τίς δαίς, τίς δαί となり、客人の問いかける口調としてより生彩に富んできます。
二つ目の例は
δακρύσασα δ᾽ ἔπειτα προσηύδα θεῖον ἀοιδόν:
Φήμιε, πολλὰ γὰρ ἄλλα βροτῶν θελκτήρια οἶδας,
ἔργ᾽ ἀνδρῶν τε θεῶν τε, τά τε κλείουσιν ἀοιδοί: (1-336~8)
そして彼女は泣き出し貴い伶人に言った
ぺーミオスよ、人間を魅惑する歌を他にも沢山知っているのだから
人間達と神々の事績を、それらを伶人達は歌い称える
です。337行目行末の οἶδας は οἶδα(知っている)の二人称単数完了形ですが、οἶδα の二人称単数完了形はホメーロスの他の箇所では全て οἶσθα であり、οἶδας はここだけの形です。しかしここでは前後の行末との響き合いから οἶδας がよいと思われます。
エウリュウマコスはそれに続けてこう言います。
ἀλλ᾽ ἐθέλω σε, φέριστε, περὶ ξείνοιο ἐρέσθαι, (1-405)
だがなあ、そなたに客人について訊きたいと思う
そしてテーレマコスに問いかけた内容がこうです。
ὁππόθεν οὗτος ἀνήρ, ποίης δ᾽ ἐξ εὔχεται εἶναι
γαίης, ποῦ δέ νύ οἱ γενεὴ καὶ πατρὶς ἄρουρα.
ἠέ τιν᾽ ἀγγελίην πατρὸς φέρει ἐρχομένοιο,
ἦ ἑὸν αὐτοῦ χρεῖος ἐελδόμενος τόδ᾽ ἱκάνει;
οἷον ἀναΐξας ἄφαρ οἴχεται, οὐδ᾽ ὑπέμεινε
γνώμεναι: οὐ μὲν γάρ τι κακῷ εἰς ὦπα ἐῴκει. (1-406~11)
どこの者なのだあの男は、どの土地から来たと言っているのか
一体彼はどこの家系で、どこに親の田畑があるのか
あるいは父親の帰還についての知らせを持ってきたのか
あるいは彼自身の用事を果たそうとしてここに来たのか
あんなにも素速く飛んで帰っていった、知り合いになるのも
待たずに、というのも賤しい者とは見えなかったからだが
この一節を見ると客人のことが気になっていたことが分かります。そして特に408行目の
ἠέ τιν᾽ ἀγγελίην πατρὸς φέρει ἐρχομένοιο,
には、オデュッセウスの帰還を(その可能性の度合いはともかく)内心恐れていたことが如実に現れています。
409行目の χρεῖος について West は
In Homer χρεῖος commonly has the sense of ‘debt’,but if we so take it here, the specific ἑὸν αὐτοῦ become practically meaninglessと述べています。
同行の τόδ(ε) は副詞的に「ここに」の意味です。Stanford は acc. neut. τόδε with ἱκάνω, etc., hither, to this spot と説明しています。
411行目の γάρ は理由・根拠を導入する γάρ でしょうか。というのも「賤しい者とは見えなかった」ことは「素早く去った」ことの理由・根拠とはなり得ないように見えるからです。
この点について West はこう説明しています。
This clause supplies the reason for Eurymachus’ question: the visitor looked distinguished, and his activities are likely to be of interest (as those of a peasant would not be) と。
すなわち、理由を導いてはいるが前文の内容に対する理由ではなく、「何故尋ねるかと言えば」という理由を述べているというわけです。その点は説得力があります。しかし、and his activities 以下は疑問です。「一廉の人士に見えた、だからしかるべき挨拶もなしに去るのは不審だ」という心ととる方がいいのではないかと思われます。
テーレマコスは、メンテースという「私の父の代からの客人 ξεῖνος ἐμὸς πατρώιος」だと答えます。そしてこう続きます。
ὣς φάτο Τηλέμαχος, φρεσὶ δ᾽ ἀθανάτην θεὸν ἔγνω.
οἱ δ᾽ εἰς ὀρχηστύν τε καὶ ἱμερόεσσαν ἀοιδὴν
τρεψάμενοι τέρποντο, μένον δ᾽ ἐπὶ ἕσπερον ἐλθεῖν.
τοῖσι δὲ τερπομένοισι μέλας ἐπὶ ἕσπερος ἦλθε: (1-420~3)
そのようにテーレマコスは言ったが、心では神だと認めていた
彼ら(求婚者達)は舞踏や楽しい歌曲に
心を向けて興じていた、そして夕べの訪れを待った
興じている彼らに黒き夕べが訪れた
420行目後半 φρεσὶ δ᾽ ἀθανάτην θεὸν ἔγνω は、テーレマコスが、客人が実は神であると知りつつ、あえて差し障りのない答えをしたことを明らかにしています。テーレマコスは πολύμητις に一歩近づいています。
422,3の二行には音調上の遊びが窺えます。すなわち、
τρεψάμενοι τέρποντο, μένον δ᾽ ἐπὶ ἕσπερον ἐλθεῖν.
τοῖσι δὲ τερπομένοισι μέλας ἐπὶ ἕσπερος ἦλθε:
です。
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2024年度秋季の「ホメーロス研究会」が9月7日(土)から始まります。初回の9月7日は『イーリアス』第二歌の375から399行目までです。
『オデュッセイアー』の続きはまた次の春休みに読んでいくことにします。