ホメーロス研究会だより 728 | ほめりだいのブログ

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2024年度夏季特別号 その4

 

8月24日のミニホメーロス研究会の様子です。今回は『オデュッセイアー』第一歌381~404行目までです。

 

テーレマコスの言を聞いた求婚者達の反応です。

 

ὣς ἔφαθ᾽, οἱ δ᾽ ἄρα πάντες ὀδὰξ ἐν χείλεσι φύντες

Τηλέμαχον θαύμαζον, ὃ θαρσαλέως ἀγόρευεν. (1-381,2)

そのように言った。彼らは皆歯で唇を咬んで

テーレマコスを驚いて見た、大胆不敵に言い放ったので

 

381行目の ὀδὰξ δάκνω(噛む)の関連語です。Stanford はこの語についてこう説明しています。

ὀδὰξ = fastening with their teeth on their lips to check their angry words, cp. on 64 above と。Stanford がここで参照せよとしている詩行というのは、ゼウスのアテーネーに対する

 

τέκνον ἐμόν, ποῖόν σε ἔπος φύγεν ἕρκος ὀδόντων (1-64)

娘よ、何という言葉がお前の歯の垣根を漏れたのか

 

です。Stanford ὀδὰξ を「歯の垣根ἕρκοςによってangry wordsを阻止する仕草」ととっているようです。ὀδὰξ が怒りの表情であることはその通りですが、「angry words」を阻止する仕草とまで言えるかどうか、むしろ単に日本語の「唇を噛む(=悔しさや憤りを我慢する)」に近いのではないかという気もします。ただ、日本人の習性・心性と異なり言葉 ἔπος 命のギリシア人のこと、Stanford の言は当たっているのかもしれません。

 382行目の は理由節を導く接続詞です。

 

そして求婚者達の首領の一人アンティノオスはテーレマコスに言います。

 

τὸν δ᾽ αὖτ᾽ Ἀντίνοος προσέφη, Εὐπείθεος υἱός:

Τηλέμαχ᾽, ἦ μάλα δή σε διδάσκουσιν θεοὶ αὐτοὶ

ὑψαγόρην τ᾽ ἔμεναι καὶ θαρσαλέως ἀγορεύειν:

μὴ σέ γ᾽ ἐν ἀμφιάλῳ Ἰθάκῃ βασιλῆα Κρονίων

ποιήσειεν, ὅ τοι γενεῇ πατρώιόν ἐστιν. (1-383~7)

 彼に今度はエウペイテースの子アンティノオスが言った

 テーレマコスよ、まったくもってお前を神々自身が教え込んだのだ

傍若無人であり居丈高に話すようにと

お前を海に囲まれたイタケーで王にクロノスの御子が

なさらないようにしてほしいものだ、血筋ではお前の父譲りのものではあるが

 

たしかに、384行目の ἦ μάλα δή など嘲り口調ではありますが、全体として少なくとも表向き angry words ではありません。

387行目の は前節を受け漠然と「王権」を指していると考えられます。

それに対してテーレマコスはこう応えます。

 

Ἀντίνο᾽, ἦ καί μοι νεμεσήσεαι ὅττι κεν εἴπω;

καὶ κεν τοῦτ᾽ ἐθέλοιμι Διός γε διδόντος ἀρέσθαι.

ἦ φῂς τοῦτο κάκιστον ἐν ἀνθρώποισι τετύχθαι;

οὐ μὲν γάρ τι κακὸν βασιλευέμεν: αἶψά τέ οἱ δῶ

ἀφνειὸν πέλεται καὶ τιμηέστερος αὐτός. (1-389~93)

アンティノオスよ、そなたには私の言うことが気に入らぬかもしれぬが

私はゼウスがお望みならばそれを得たいと思う

それともそれは人間にとって悪しきものなのだと言うのか

というのも王たることは決して悪しきことではない。すぐにもその者の家は

富み、彼自身はより尊敬されることになる

 

 390行目の τοῦτ(o)、次行の τοῦτο いずれも「王権」を指します。

  ここの応酬にはテーレマコスのアンティノオスに対する皮肉が窺えます。アンティノオスは μὴ σέποιήσειεν(386,7)と自分の願望をそのまま言ったのですが、テーレマコスはそれを「私のことを慮って言ってくれている」ととって(いる振りをして)応えています。若者とは思えぬ切り返しの技です。

 

テーレマコスは続けます。

 

ἀλλ᾽ ἦ τοι βασιλῆες Ἀχαιῶν εἰσὶ καὶ ἄλλοι

πολλοὶ ἐν ἀμφιάλῳ Ἰθάκῃ, νέοι ἠδὲ παλαιοί,

τῶν κέν τις τόδ᾽ ἔχῃσιν, ἐπεὶ θάνε δῖος Ὀδυσσεύς:

αὐτὰρ ἐγὼν οἴκοιο ἄναξ ἔσομ᾽ ἡμετέροιο

καὶ δμώων, οὕς μοι ληίσσατο δῖος Ὀδυσσεύς. (1-394~8)

  しかしアカイアの領主達が他にもいる

 海に囲まれたイタケーに沢山、若いのも年配のも

彼らの誰かがそれを執るだろう、貴いオデュッセウスが死んだのだから

しかし私は私たちの家の主であるだろう

また貴いオデュッセウスが勝ち得た家僕達の(主であるだろう)

 

396行目の τόδ(ε) も「王権」です。

ここの394行目に出てくる βασιλῆες は386行目の βασιλῆα が指していたものとは意味合いが異なります。前者は複数の領主であり後者はその上に立つ王です。ここのところで松平は「幾人もの小領主がいて、その中の一人が全体を束ねるという、封建制度にもやや似た体制らしい」と註を付けています。

ここでテーレマコスは、「全体を束ねる王権」はともかく、最低限一領主としての領分を犯すことは許さないと宣言しているが如くです。

『オデュッセイアー』世界において、政治・統治機構がどのような体制であったのか、そして全体を束ねる王権の継承は通常どうなされたのか、さらにまた(オデュッセウスのように)王が長期に生死不明の場合の継承はどうなされたのか等は、この詩編を理解する上で大きな問題として横たわっています。

 

ところでテーレマコスは396行目で ἐπεὶ θάνε δῖος Ὀδυσσεύς と言っています。普通に受け取れば上記試訳のように「貴いオデュッセウスは死んだのだから」となります。するとテーレマコスは父の死を認めているのでしょうか。客人に扮したアテーネーに

 

οὐ γάρ πω τέθνηκεν ἐπὶ χθονὶ δῖος Ὀδυσσεύς,

ἀλλ᾽ ἔτι που ζωὸς κατερύκεται εὐρέι πόντῳ (1-196,7)

というのも大地で貴いオデュッセウス殿は死んではおられないからです

まだ広い海のどこかで生きて引き留められておられる

 

と言われたばかりなのに奇妙です。

 この点について研究会では、「396行目の ἐπεὶ θάνε δῖος Ὀδυσσεύς を、既定の事実を述べた節ではなく、条件節と解釈できないか、すなわち『死んだなら』」との意見がありました。

 ちなみに邦訳四種とLoeb英訳、Brunet仏訳を見ると

  呉「オデュッセウスが死んだからは」

  高津「オデュッセウスがなくなったからには」

松平「オデュッセウス亡き後は」 

中務「オデュッセウス亡き後は」 

  Loeb “ since noble Odysseus is dead ”

  Brunet “ puisque est mort le divin Ulysse ”

です。松平訳と中務訳は条件節的な訳となっています。そのように εὶ 直説法(アオリスト)が条件節になり得るなら問題は解消します。しかし通常はならないようです。

この問題について West はこう述べています。

 This ready concurrence(同意)with suiters’ assumption may be thought disingenuous(不正直), since Telemachus has just been encouraged to hope that his father may still alive, but it is understandable that he should not wish to expose himself to the charge of wishful thinking と。

  この West but 以下は「ἐπεὶ θάνε δῖος Ὀδυσσεύς を既定の事実を述べた節」と取りうるとする理由付けの一つです。また研究会では、「求婚者達を油断させるためかもしれない」との意見もありました。しかし次の第二歌(214~)では、テーレマコスは求婚者達の前で「オデュッセウスの生死の情報を得るために旅に出る」と述べ父親の死を決めつけてはいません。ここら辺テーレマコスの言辞は一貫性を欠いている嫌いがあります。むしろそれはテーレマコスの悲観と楽観の間を揺れ動く心の素直な表れであるのかもしれません。

 

次回「ミニホメーロス研究会」は8月31日(土)で『オデュッセイアー』第一歌405~427行目までを予定しています。