2023年秋季号 その29
3月9日のホメーロス研究会の様子です。今回は『イーリアス』第一歌568~589行目までです。
ゼウスにどやしつけられてヘーレーは恐れ、ついに黙ります。オリュンポスの神々が座する場を重い空気が支配します。そこでへーパイストスの登場です。ヘーパイストスは言います。
ἦ δὴ λοίγια ἔργα τάδ᾽ ἔσσεται οὐδ᾽ ἔτ᾽ ἀνεκτά,
εἰ δὴ σφὼ ἕνεκα θνητῶν ἐριδαίνετον ὧδε,
ἐν δὲ θεοῖσι κολῳὸν ἐλαύνετον: οὐδέ τι δαιτὸς
ἐσθλῆς ἔσσεται ἦδος, ἐπεὶ τὰ χερείονα νικᾷ. (1-573~6)
何とも厄介なこと、耐えがたいことにそれはなりそうです
もし死すべき者達のためにお二人がそのように喧嘩なさるとしたら
神々の中に騒擾を引き起こすとしたら。素晴らしい宴席の
楽しみもなくなります、くだらないものがのさばるのですから
573行目に ἦ δὴ λοίγια ἔργα とあります。テティスの懇願を受けた時のゼウスの第一声は
ἦ δὴ λοίγια ἔργ᾽ ὅ τέ μ᾽ ἐχθοδοπῆσαι ἐφήσεις
Ἥρῃ ・・・ (1-518,9)
何とも厄介なことだな、そなたは私を諍いに追いやろうとしている
ヘーレーとだ ・・・
でした。期せずして一致しています。いや、期せずしてではないのかもしれません。その時のゼウスの懸念が今現実のものとなろうとしており、それをヘーパイストスは見て取って言っているのですから。
またこの箇所について、研究会メンバーからは次のようなコメントもありました。「ゼウスの発した言葉 ἦ δὴ λοίγια ἔργ(α) をヘーパイストスが言うのが面白い。もしかして自分で作った盗聴器をしかけていたのか?ヘーレーは『私は見てたのよ』と言っていたが彼も『私は知っています』と言っているのか、偶然なのか?その瞬間のゼウスはどんな顔をしたのか」と。たしかに色々と想像力を刺激されます。κλυτοτέχνης(名工、571)のヘーパイストスのこと、盗聴器ぐらいは作っても不思議はありません。
ヘーパイストスは続けます。
μητρὶ δ᾽ ἐγὼ παράφημι καὶ αὐτῇ περ νοεούσῃ
πατρὶ φίλῳ ἐπίηρα φέρειν Διί, ὄφρα μὴ αὖτε
νεικείῃσι πατήρ, σὺν δ᾽ ἡμῖν δαῖτα ταράξῃ.
εἴ περ γάρ κ᾽ ἐθέλῃσιν Ὀλύμπιος ἀστεροπητὴς
ἐξ ἑδέων στυφελίξαι: ὃ γὰρ πολὺ φέρτατός ἐστιν.
ἀλλὰ σὺ τὸν ἐπέεσσι καθάπτεσθαι μαλακοῖσιν:
αὐτίκ᾽ ἔπειθ᾽ ἵλαος Ὀλύμπιος ἔσσεται ἡμῖν. (1-577~583)
母上に私は忠告します、ご本人承知のことと思いますが
我が父神ゼウスのご機嫌をとって下さい、もう
父神がお叱りにならぬよう、そして宴を台無しになさらぬよう
というのももし雷放つオリュンポスの神が(私たちを)
座から放り出そうとしたら、というのも彼の神ははるかに強いのですから
さああなたはあの神に柔らかい言葉で話しかけてください
そうすればすぐさまオリュンポスの御神は私たちに優しくなさるでしょう
577行目の καὶ αὐτῇ περ νοεούσῃ について高津は「之はホメーロスの世界が要求する礼儀である」としています。宥め役に相応しい言辞です。
580、1行目の εἴ περ ~ の節は言いさした形になっています。Leaf はこれについて It is not necessary to supply any apodosis after “εἴ πέρ κ᾽ ἐθέληισι” : it is a supposition made interjectionally としています。aposiopesis(默説)という修辞があります。言い尽くすことによる陳腐化、黙すことによる含蓄というものがあることに改めて気づきます。
それに続く一節です。
ὣς ἄρ᾽ ἔφη καὶ ἀναΐξας δέπας ἀμφικύπελλον
μητρὶ φίλῃ ἐν χειρὶ τίθει καί μιν προσέειπε:
τέτλαθι μῆτερ ἐμή, καὶ ἀνάσχεο κηδομένη περ,
μή σε φίλην περ ἐοῦσαν ἐν ὀφθαλμοῖσιν ἴδωμαι
θεινομένην, τότε δ᾽ οὔ τι δυνήσομαι ἀχνύμενός περ
χραισμεῖν: ἀργαλέος γὰρ Ὀλύμπιος ἀντιφέρεσθαι: (1-584~9)
そのように言った。そしてつと立ち上がり両耳の杯を
愛する母に手の中におき、その女神に話しかけた
我慢なさってください、我が母よ、辛くとも堪えてください
愛するあなたを目に見ることがないように
打ち据えられるあなたを、その時私は心を痛めても出来ないだろうからです
助けることが、というのもオリュンポスの御神は逆らうことはかなわぬ方ですから
ヘーパイストスの言葉は二つに分かれています。上記引用の573~583行目までと586~(594行目まで)です。そして二行(584,5)の地の文が間に挟まれています。研究会では「この二行は戯曲におけるト書きのようだ」との感想もありました。
さてヘーパイストスの言がこのように二つに分かれているのはどうしてなのでしょうか。そこにはト書き的二行がかかわっているようです。
注意してみると前半部分は二人称双数で σφὼ(574)とあるように、ゼウスも聞いていることを前提にしています。もっとも582行目に(ヘーレーを指して)σὺと言い、ゼウスを Ὀλύμπιος と言っており、主として母に向かって話してはいるのですが、その部分も、ゼウスを憚ってヘーレーを宥めていることをゼウスに知ってもらい、ひいてはゼウスを宥めようとしているのだと受け取れます。
それに対して τέτλαθι(586)以下の後半は、ト書き的二行にあった杯を手渡す機を捉えて、ヘーレーだけに囁いた部分であるようです。この部分では περ が三回(586,7,8)繰り返され、「不本意ながらどうにも仕方ありません」といかにもヘーレー説得に骨を折っている感が伝わってきます。
κλυτοτέχνηςのエピテットが冠せられるヘーパイストスは、鍛冶の名工であり、火の神であり、跛であり、寝取られ男でもあり、神として異色のキャラクターです。ここでは夫婦喧嘩の有能な宥め役を務めています。
次回ホメーロス研究会は3月16日(土)で、『イーリアス』第一歌590~最終行の611行目までを予定しています。