ホメーロス研究会だより 700 | ほめりだいのブログ

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2023年秋季号 その25

 

2月10日のホメーロス研究会の様子です。今回は『イーリアス』第一歌475~499行目までです。

 

 供犠を済ませたオデュッセウス一行はクリューセーの島で一夜を過ごします。

 

ἦμος δ᾽ ἠριγένεια φάνη ῥοδοδάκτυλος Ἠώς,

καὶ τότ᾽ ἔπειτ᾽ ἀνάγοντο μετὰ στρατὸν εὐρὺν Ἀχαιῶν:

τοῖσιν δ᾽ ἴκμενον οὖρον ἵει ἑκάεργος Ἀπόλλων:

οἳ δ᾽ ἱστὸν στήσαντ᾽ ἀνά θ᾽ ἱστία λευκὰ πέτασσαν,

ἐν δ᾽ ἄνεμος πρῆσεν μέσον ἱστίον, ἀμφὶ δὲ κῦμα

στείρῃ πορφύρεον μεγάλ᾽ ἴαχε νηὸς ἰούσης:

ἣ δ᾽ ἔθεεν κατὰ κῦμα διαπρήσσουσα κέλευθον. (1-477~83)

早く目覚める薔薇色の指持つ曙が現れると

その時に彼等は広きアカイアの戦陣へと船出した

彼等に追い風を遠矢射るアポローン神は送った

彼等は帆柱を立て、白き帆を一杯に張った

風は帆の真ん中に吹き付けた、周りでは波が

舳のあたりで湧き立ち大いに叫んだ、船が進むに連れ

船は波間を走った、行路を突き抜けつつ

 

477行目の ἠριγένεια ἦριγενέσθαιearly-born)、同行の ῥοδοδάκτυλος ῥοδο-δάκτυλοςrosy-fingered)です。この477行目と同じ詩行は詩編の終わり近く、ヘクトールの火葬を終えた翌朝の描写でも出てきます(24-788)。詩情あふれる詩行です。

478行目行頭の καὶ は前行の ἦμος と対応しています。これについて高津は「ἦμος に対してここで τῆμος によって受けられるべきであるが、しかし関係詞は常に之に対応する指示詞によって受けられるとは限らない」と註をつけています。

479行目の ἴκμενον は通常「好都合な」の意であるとされ、従って ἴκμενον οὖρον は「追い風」と解されています。Chantraine は「ἴκμενον は、(有気音の無気音化 psilose を想定して)ἵκωἱκέσθαι に関連づけ、『歩むところの qui marche、伴に進むところの qui avance avec vous』と解するのが自然である」としています。

ここで「追い風を送った ἴκμενον οὖρον ἵει」ということはアポローン神への供物が嘉納され、祈願が聞き届けられたことを示しています。

482行目に πορφύρεον とあります。Πορφύρεος は英語 purple に繋がる語です。その語義は、LSJ によれば、動きにかかわる「沸き立つ、迸る等」と 色彩にかかわる「赤、黒等」の二つに大別されます。邦訳では「湧き立ち(呉)」、「紫の波が湧き立ち(松平)」、「わき立つ(高津)」Loeb 訳では dark です。

高津は上記の訳書では「わき立つ(高津)」ですが、論文「ホメーロスに於ける黒を表す語彙について(1953年)」では若干ニュアンスが異なります。すなわちそこでは、「船の舳や船尾に起こる波 ・・・ その中には様々の光線が交錯しているわけであるから、むしろ色ではなくして、光線の反射の具合で変わる色の形容である」としています。ピエロンもこれに近く「πορφύρεος は特定の色ではない。色彩のある種の輝き un certain éclat de couleurs である」としています。

ここで思い合わせられるのが ἀργός の語です。既に疫病の箇所で

 

οὐρῆας μὲν πρῶτον ἐπῴχετο καὶ κύνας ἀργούς (1-50)

(アポローンは)まず最初に騾馬と駿足の犬共を襲った

 

と、犬の足の形容として出てきていました。この ἀργός について LSJ shining, glistening の語義を与えた上でこう述べています。

in Hom. mostly in the phrase πόδας ἀργοί, of hounds, swift-footed, because all swift motion causes a kind of glancing or flickering light と。

この ἀργός と今回の πορφύρεος を考え合わせると、いずれにおいても、「動き」か「光」か「色」か、どれかに決めつけることは適当でないのかもしれません。ホメーロスの感覚において、「動き」と「光」と「色」とは密接に絡み合い浸透し合っているのではないかと思われます。

482行目の νηὸς ἰούσης は所有の属格とも独立属格ともとれます。これについて高津は「νηὸς ἰούσης はここでは未だ στείρῃ にかかり『進行する船の軸に』となるが、既に genitivus absolutus へ移行せんとする段階にある」と註しています。480行目から四行は特にテンポが良く、ホメーロス得意のスピード感覚に溢れています。その観点から言うと、482行目の νηὸς ἰούσης は独立属格とする方が、より動きと速さを増す感があり、相応しく思われます。

この一節は物語の本筋にかかわる箇所ではありません。物語進行のつなぎのような部分です。研究会では「このような細部にも色彩感覚や運動感覚の魅力に富んでいる。神は細部に宿る、だ」との感想もありました。

さて、アキレウスと母テティスが会話して十二日目、テティスは息子への約束を果たすべくゼウスの許に向かいます。

 

ἠερίη δ᾽ ἀνέβη μέγαν οὐρανὸν Οὔλυμπόν τε.

εὗρεν δ᾽ εὐρύοπα Κρονίδην ἄτερ ἥμενον ἄλλων

ἀκροτάτῃ κορυφῇ πολυδειράδος Οὐλύμποιο: (1-497~9)

朝早く(テティスは)大いなる空、オリュンポスへと昇った

広く響く声のクロノスの御子が他(の神々)から離れて座しているのを見た

オリュンポスの峨々たる頂の高みに(座しているのを)

 

497行目行頭の ἠερίη は形容詞主格で言外の主語テティスに一致し、時の副詞と同様の働きをしています。

同行に οὐρανὸν Οὔλυμπόν τε とありますが、これについてピエロンは「オリュンポスの頂は雲域の上にあった。ホメーロスにとってその頂は空中に dans le ciel あるのだ、と説明しています。

ゼウスは、至高であることを誇示してでしょうか、他の神々から離れて座を占めています。

498行目にある εὐρύοπα οπα については、 Ϝόψvoice)から来るとする説と ὀπsee)から来るとする説とあります。Kirk はゼウスが「雷の神」であることからして前者が適当であるとしています。

 

次回ホメーロス研究会は2月17日(土)で、『イーリアス』第一歌500~527行目までを予定しています。