2026年度夏季特別号 その8
9月19日の「ミニホメーロス研究会」の様子です。今回は『オデュッセイアー』第二歌422行目から最終行の434行目までです。
第二歌も大詰めです。テーレマコス一行出航の様が叙されます。
ἱστὸν δ᾽ εἰλάτινον κοίλης ἔντοσθε μεσόδμης
στῆσαν ἀείραντες, κατὰ δὲ προτόνοισιν ἔδησαν,
ἕλκον δ᾽ ἱστία λευκὰ ἐυστρέπτοισι βοεῦσιν.
ἔπρησεν δ᾽ ἄνεμος μέσον ἱστίον, ἀμφὶ δὲ κῦμα
στείρῃ πορφύρεον μεγάλ᾽ ἴαχε νηὸς ἰούσης:
ἡ δ᾽ ἔθεεν κατὰ κῦμα διαπρήσσουσα κέλευθον. (2-424~9)
樅材の帆柱を凹んだ帆柱受けに
彼等は持ち上げて立て、前綱で縛りつけ
よく縒られた牛革で白き帆を張った。
風は帆の真ん中に吹き付けた、周りでは波が
舳のあたりで湧き立ち大いに叫んだ、船が進むに連れ
船は波間を走った、行路を突き抜けつつ。
前三行が出航準備仕上げの様、後三行はいよいよ航海が始まった時の様です。
前三行では、帆柱 ἱστὸν と帆 ἱστία の準備が所定の手順に則り手際良く遂行される様子がテンポよいリズムから伝わってきます。
後三行では、船が波間をいかにも軽快に進んでいます。風に膨らむ帆 ἱστίον、舳で切られる波 κῦμα、それらの映像が目に浮かび、それらの立てる音響が耳に響いてきます。
428行目の νηὸς ἰούσης は(στείρῃにかかる)所有の属格とも独立属格ともとれます。このあたり特にテンポが良く、ホメーロス得意のスピード感覚に溢れています。その観点から言うと、この νηὸς ἰούσης は独立属格的にとる方が、より動きと速さを増す感があり、相応しく思われます。
ところで、この一節に酷似した詩節が『イーリアス』の第一歌にありました。アガメムノーンが娘クリューセーイスを渋々神官に返還すべく使節を派遣したのですが、その帰路の描写です。
οἳ δ᾽ ἱστὸν στήσαντ᾽ ἀνά θ᾽ ἱστία λευκὰ πέτασσαν,
ἐν δ᾽ ἄνεμος πρῆσεν μέσον ἱστίον, ἀμφὶ δὲ κῦμα
στείρῃ πορφύρεον μεγάλ᾽ ἴαχε νηὸς ἰούσης:
ἣ δ᾽ ἔθεεν κατὰ κῦμα διαπρήσσουσα κέλευθον. (『イーリアス』1-480~3)
彼等は帆柱を立て、白き帆を一杯に張った
風は帆の真ん中に吹き付けた、周りでは波が
舳のあたりで湧き立ち大いに叫んだ、船が進むに連れ
船は波間を走った、行路を突き抜けつつ。
この(『イーリアス』の)一行目は先の(『オデュッセイアー』の)前三行を一行でまとめたものです。双方を対比してみますと
οἳ δ᾽ ἱστὸν στήσαντ᾽ ἀνά θ᾽ ἱστία λευκὰ πέτασσαν (『イーリアス』1-480)
ἱστὸν δ᾽ εἰλάτινον κοίλης ἔντοσθε μεσόδμης
στῆσαν ἀείραντες, κατὰ δὲ προτόνοισιν ἔδησαν,
ἕλκον δ᾽ ἱστία λευκὰ ἐυστρέπτοισι βοεῦσιν. (『オデュッセイアー』2-424~6)
であり、下線部の如く同一詩句も使われています。
残りの三行は更に双方ほとんど同一です。
ἐν δ᾽ ἄνεμος πρῆσεν μέσον ἱστίον, ἀμφὶ δὲ κῦμα
στείρῃ πορφύρεον μεγάλ᾽ ἴαχε νηὸς ἰούσης:
ἣ δ᾽ ἔθεεν κατὰ κῦμα διαπρήσσουσα κέλευθον. (『イーリアス』1-481~3)
ἔπρησεν δ᾽ ἄνεμος μέσον ἱστίον, ἀμφὶ δὲ κῦμα
στείρῃ πορφύρεον μεγάλ᾽ ἴαχε νηὸς ἰούσης:
ἡ δ᾽ ἔθεεν κατὰ κῦμα διαπρήσσουσα κέλευθον. (『オデュッセイアー』2-427~9)
出だしの ἐν δ᾽ ἄνεμος πρῆσεν/ἔπρησεν δ᾽ ἄνεμος の語順が変わっているだけです。詩人はこの詩節をよほど気に入っていたのだと思われます。
ところで、このような出航・航海の場面の多さは海洋文学ならではです。そして両詩編では、航海の場面は『オデュッセイアー』のほうが圧倒的に多くなっています。航海の主体はテーレマコスを始め、オデュッセウスやメネラーオス、パイエーケス人などで、類似した場面は枚挙に暇がありません。『イーリアス』においては先の第一歌の場面は稀な例です。『イーリアス』的場面ではないとも言えます。そこで気付くことですが、その時の使節の長はオデュッセウスでした。『イーリアス』の中に『オデュッセイアー』的世界が入り込んだのかもしれません。
さて第二歌最終行はこうです。
παννυχίη μέν ῥ᾽ ἥ γε καὶ ἠῶ πεῖρε κέλευθον. (2-434)
船は一晩中暁まで行路を進んでいった。
この最終行は第二歌の冒頭
ἦμος δ᾽ ἠριγένεια φάνη ῥοδοδάκτυλος Ἠώς (2-1)
早く生まれる薔薇色の指持つ暁が現れると
と呼応し、一巻の終わりに相応しい詩情に満たされた詩行です。
次回のミニホメーロス研究会は9月26日(土)で、『オデュッセイアー』第三歌に入り、冒頭1行目から20行目までを予定しています。