2026年度春季号 その3
5月9日の「ホメーロス研究会」の様子です。今回は『イーリアス』第五歌169行目から189行目までです。
ディオメーデースがトロイア方の戦士を次々と斃しています。その様をアイネイアースが見とがめます。そしてトロイア方の弓の名手パンダロスを探し、見つけます。アイネイアースはこの詩篇で(第二歌カタログを除き)最初の登場です。
εὗρε Λυκάονος υἱὸν ἀμύμονά τε κρατερόν τε,
στῆ δὲ πρόσθ᾽ αὐτοῖο ἔπος τέ μιν ἀντίον ηὔδα:
Πάνδαρε ποῦ τοι τόξον ἰδὲ πτερόεντες ὀϊστοὶ
καὶ κλέος; ᾧ οὔ τίς τοι ἐρίζεται ἐνθάδε γ᾽ ἀνήρ,
οὐδέ τις ἐν Λυκίῃ σέο γ᾽ εὔχεται εἶναι ἀμείνων. (5-169~73)
非の打ち所なき勇敢なリュカーオーンの子(パンダロスを)見つけた
彼の前に立って彼に向かって言葉を言った。
パンダロスよ、お前の弓と翼ある矢はどこへ行ったのだ
そして名声は。それにおいてお前には誰もここで匹敵する男はいない
そしてリュキエーでも誰もお前より優っていると誇ることはない。
なぜここでパンダロスなのか、ディオメーデースの勢いがあまりに凄まじかったので面と向かっての戦いではかなわない、飛び道具でならひょっとしたらと思ったのかもしれません。あるいは、メネラーオスとパリスの一騎打ちの盟約を反故にしたのはパンダロスの弓によるものでしたので、当人にその決着の責任をとらせようということかもしれません。
アイネイアースは続けます。
ἀλλ᾽ ἄγε τῷδ᾽ ἔφες ἀνδρὶ βέλος Διὶ χεῖρας ἀνασχὼν
ὅς τις ὅδε κρατέει καὶ δὴ κακὰ πολλὰ ἔοργε
Τρῶας, ἐπεὶ πολλῶν τε καὶ ἐσθλῶν γούνατ᾽ ἔλυσεν:
εἰ μή τις θεός ἐστι κοτεσσάμενος Τρώεσσιν
ἱρῶν μηνίσας: χαλεπὴ δὲ θεοῦ ἔπι μῆνις. (5-174~8)
さああの男に矢を放て、ゼウスに手を広げ(祈って)
あいつはここで暴れ回りさんざん悪しきことをしでかしている
トロイア人達に対してだ、というのも多くの優れた者達(の膝)を打ち拉いでいるからだ。
もし誰か神でないならば、トロイア人達に怒っている(神でないならば)
捧げ物故に憤って(怒っている)。神の怒りは厳しくのしかかるものだからな。
175行目に ὅδε の語があります。ὅδε は LSJ で formed by adding the enclit. -δε to the old demonstr. Pron. ὁ, ἡ, τό と説明されています。基本的語義は this ですが、with Verbs of action, = here と副詞的な意味になる場合があるとしてこの箇所が引かれています。
177行目の εἰ μή 以下の仮定節には帰結節にあたるものがありませんが、意味上三行前のἀλλ᾽ ἄγε τῷδ᾽ ἔφεςがそれにあたると考えられます。すなわち「(神であるなら更に怒らせることは避けるべきだが)神でないなら射よ」と。
178行目の ἔπι は ἔπεστι の意味と考えられます。Willcock は ἔπι=ἔπεστι とした上で、And the wrath of the god lies heavy on us と解釈しています。
さて、178行目の ἱρῶν は理由の属格です。ここで神の怒りの理由として ἱρῶν が挙げられているのは示唆的です。オリュンポスの神にとって捧げ物は殊に重要でした。しかるべき捧げ物を怠ることは神に対する重大な不敬です。アキレウスは第一歌で疫病をうけて神意をはかるべくこう言っていました。
ὅς κ᾽ εἴποι ὅ τι τόσσον ἐχώσατο Φοῖβος Ἀπόλλων,
εἴτ᾽ ἄρ᾽ ὅ γ᾽ εὐχωλῆς ἐπιμέμφεται ἠδ᾽ ἑκατόμβης, (1-64,5)
彼はポイボス・アポローンが何故それほど怒っているか言うだろう
彼の神が祈願を咎めているのか、大贄を(咎めているの)か
また、ポイニークスはアキレウスに対する説得の中でこう言います。
καὶ γὰρ τοῖσι κακὸν χρυσόθρονος Ἄρτεμις ὦρσε
χωσαμένη ὅ οἱ οὔ τι θαλύσια γουνῷ ἀλωῆς
Οἰνεὺς ῥέξ᾽: ἄλλοι δὲ θεοὶ δαίνυνθ᾽ ἑκατόμβας,
οἴῃ δ᾽ οὐκ ἔρρεξε Διὸς κούρῃ μεγάλοιο.
ἢ λάθετ᾽ ἢ οὐκ ἐνόησεν: ἀάσατο δὲ μέγα θυμῷ. (9-533~7)
というのは彼らに黄金の御座のアルテミスが禍をもたらされたからだ
お怒りになって、彼の女神に果樹園の斜面で初穂のお供え物を
オイネウスが捧げなかったことに。他の神々は大贄を召し上がったのに
宏大なゼウスの娘である彼の女神のみには捧げなかったのだ。
忘れたのか気づかなかったのか、心に大きな過ちをしたものだ。
反対に供犠の励行は神の加護を得るための条件でした。加護を保証するとは言えないまでも、見返りとして加護を期待させるものでした。神官クリューセースはアポローン神にこう祈っていました。
Σμινθεῦ εἴ ποτέ τοι χαρίεντ᾽ ἐπὶ νηὸν ἔρεψα,
ἢ εἰ δή ποτέ τοι κατὰ πίονα μηρί᾽ ἔκηα
ταύρων ἠδ᾽ αἰγῶν, τὸ δέ μοι κρήηνον ἐέλδωρ:
τίσειαν Δαναοὶ ἐμὰ δάκρυα σοῖσι βέλεσσιν. (1-39~42)
スミンテウスよ、もしかつてあなたに私が神殿を建てたのなら
またもしかつてあなたに肥えた大腿を焼いたのなら
牡牛や山羊の(大腿を)、この望みにを叶えてください
ダナオイ勢をしてあなたの矢で私の涙のつぐなわせてください。
また、プリアモスはヘクトールについてその遺体が損なわれずにいることを喜んでこう言います。
ὦ τέκος, ἦ ῥ᾽ ἀγαθὸν καὶ ἐναίσιμα δῶρα διδοῦναι
ἀθανάτοις, ἐπεὶ οὔ ποτ᾽ ἐμὸς πάϊς, εἴ ποτ᾽ ἔην γε,
λήθετ᾽ ἐνὶ μεγάροισι θεῶν οἳ Ὄλυμπον ἔχουσι:
τώ οἱ ἀπεμνήσαντο καὶ ἐν θανάτοιό περ αἴσῃ. (24-425~8)
おお息子よ、全く良きことなのです、しかるべき供え物をすることは
神々に(することは)、というのも決して我が子は、もし彼が本当に我が子だったのならだが
館でオリュンポスに住まいする神々を忘れることがなかったのですから
だからこそ死の運命にあっても彼のことを思い出してくださるのです。
しかるべき供え物は信仰の証であり、それを怠ることはも信心に欠けると見做されることは他の宗教でもあります。しかしこれほどドライに直接的なギブアンドテイクではないようです。ここにはホメーロスに於けるオリュンポス信仰の一つの特質を見ることができます。
次回の「ホメーロス研究会」は5月16日(土)で、『イーリアス』第五歌190行目から211行目までを予定しています。