2026年度夏季特別号 その2
8月1日の夏季「ミニホメーロス研究会」の様子です。今回は『オデュッセイアー』第二歌298行目から317行目までです。
館に帰って来たテーレマコスに求婚者の一人アンティノオスが近寄ってきます。
Ἀντίνοος δ᾽ ἰθὺς γελάσας κίε Τηλεμάχοιο,
ἔν τ᾽ ἄρα οἱ φῦ χειρί, ἔπος τ᾽ ἔφατ᾽ ἔκ τ᾽ ὀνόμαζε: (2-301,2)
アンティノオスが笑いながらテーレマコスに向かってやって来た
彼の手にすがりつき言葉を言い呼び掛けた
そしてこう言います。
Τηλέμαχ᾽ ὑψαγόρη, μένος ἄσχετε, μή τί τοι ἄλλο
ἐν στήθεσσι κακὸν μελέτω ἔργον τε ἔπος τε,
ἀλλά μοι ἐσθιέμεν καὶ πινέμεν, ὡς τὸ πάρος περ.
ταῦτα δέ τοι μάλα πάντα τελευτήσουσιν Ἀχαιοί,
νῆα καὶ ἐξαίτους ἐρέτας, ἵνα θᾶσσον ἵκηαι
ἐς Πύλον ἠγαθέην μετ᾽ ἀγαυοῦ πατρὸς ἀκουήν. (2-303~8)
高言で猛き勢いのテーレマコスよ、何かまた
悪しきことや言葉を胸に企まないようにな
どうか飲み食いしてくれ、これまでのように。
それらのことは全てアカイア人達がそなたのために成してくれよう
船と選りすぐった漕ぎ手達のことは、速く着くように
聖なるピュロスへと、誉れ高き父上の消息を尋ねて。
301行目に γελάσας とありますがこれは勿論親愛の発露ではありません。Pierronは「アンティノオスはテーレマコスを子供扱いしている、彼は上から目線で avec un air de supériorit 笑っている」と註しています。West も mockery としています。その通りだと思われます。
305行目に μοι とあります。所謂 ethical dative です。「頼むからそんなにいきり立たないでくれよ」と宥めすかそうとしている口吻が伝わってきます。
306行目からの三行ではテーレマコスの旅支度が整うことを予想し、それを期待するかのようなことを言っています。このアンティノオスの言葉をどうとるべきでしょうか。
Pierron は、先立つ集会で「そんな旅などできっこない」(256)といったレーオクリトスと比較し、「アンティノオスはそれほど残酷 féroce ではない、彼はテーレマコスの希望が実現することを望んでいる」と解説しています。この解釈は当っているでしょうか。確かに306行目からの三行の言葉の表面上の意味はそうですが、この詩篇における以下に引くようなアンティノオスの人物像からしてどうでしょうか。
アンティノオスは求婚者達の首領格です。まず第一歌で、テーレマコスが集会を開き求婚者達に退去を言い渡す意向を表明したとき、最初に反発したのは彼でした。
τὸν δ᾽ αὖτ᾽ Ἀντίνοος προσέφη, Εὐπείθεος υἱός:
Τηλέμαχ᾽, ἦ μάλα δή σε διδάσκουσιν θεοὶ αὐτοὶ
ὑψαγόρην τ᾽ ἔμεναι καὶ θαρσαλέως ἀγορεύειν:
μὴ σέ γ᾽ ἐν ἀμφιάλῳ Ἰθάκῃ βασιλῆα Κρονίων
ποιήσειεν, ὅ τοι γενεῇ πατρώιόν ἐστιν. (1-383~7)
彼に今度はエウペイテースの子アンティノオスが言った
テーレマコスよ、まったくもってお前を神々自身が教え込んだのだ
傍若無人であり居丈高に話すようにと
お前を海に囲まれたイタケーで王にクロノスの御子が
なさらないようにしてほしいものだ、血筋ではお前の父譲りのものではあるが。
次いで、その集会でテーレマコスの演説に最初に反駁したのも彼でした。
Ἀντίνοος δέ μιν οἶος ἀμειβόμενος προσέειπε:
Τηλέμαχ᾽ ὑψαγόρη, μένος ἄσχετε, ποῖον ἔειπες
ἡμέας αἰσχύνων: ἐθέλοις δέ κε μῶμον ἀνάψαι. (2-84~6)
アンティノオスが一人彼に応えて言った
高言で猛き勢いのテーレマコスよ、何ということを言うのだ
我々を辱めて。(我々に)罪を被せる積もりか。
そして少し先で、求婚者達がテーレマコスの旅の実行を初めて知ったときのアンティノオスの反応はこうです。
τοῖσιν δ᾽ Ἀντίνοος μετέφη Εὐπείθεος υἱός,
ἀχνύμενος: μένεος δὲ μέγα φρένες ἀμφιμέλαιναι
πίμπλαντ᾽, ὄσσε δέ οἱ πυρὶ λαμπετόωντι ἐίκτην:
ὢ πόποι, ἦ μέγα ἔργον ὑπερφιάλως ἐτελέσθη
Τηλεμάχῳ ὁδὸς ἥδε: φάμεν δέ οἱ οὐ τελέεσθαι. (4-660~4)
彼らにエウペイテースの子アンティノオスは言った
怒って、憤りでことごとく黒き横隔膜は
満たされ、両眼は燃えさかる火に紛うばかりだった。
何ということだ、大それたことをしでかしたものだ
テーレマコスが、こんな旅を、できっこないと思っていたのだが。
そして更にこう言います。
ἀλλ᾽ ἄγε μοι δότε νῆα θοὴν καὶ εἴκοσ᾽ ἑταίρους,
ὄφρα μιν αὐτὸν ἰόντα λοχήσομαι ἠδὲ φυλάξω
ἐν πορθμῷ Ἰθάκης τε Σάμοιό τε παιπαλοέσσης,
ὡς ἂν ἐπισμυγερῶς ναυτίλλεται εἵνεκα πατρός. (4-669~72)
さあ私に速き船と二十人の漕ぎ手をくれ
あいつが帰ってくるのを待ち伏せし見張りするために
イタケーと険峻なサモスの瀬戸で(待ち伏せし見張りするために)
父親(探し)のための航海が辛きものとなるようにと。
そしてゆくゆくは第二十三歌で、オデュッセウスによる求婚者達誅殺の際、最初に斃されるのも彼アンティノオスです。
これらの詩篇全体を通してのアンティノオスの人物像、就中テーレマコスの旅の実行を初めて知ったときの上記彼の言動(4-660~4、669~72)からして、今回の箇所(2-306~8)についての Pierron の「アンティノオスはそれほど残酷 féroce ではない、彼はテーレマコスの希望が実現することを望んでいる」はあまりに無邪気な解釈に思えます。彼は充分に「残酷 féroce」です。相手を舐めてかかり、全く心にない気休めを出任せに言ったものととるべきと思われます。
詩人は、登場人物を描くに当って、その言動の端々に様々な心理の綾を織り込んでいます。
次回のホメーロス研究会は8月8日(土)で、『オデュッセイアー』第二歌318行目から336行目までを予定しています。