ほめりだいのブログ

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2026年度春季号 その6

 

5月30日の「ホメーロス研究会」の様子です。今回は『イーリアス』第五歌233行目から252行目までです。

 

馬のモチーフは更に続きます。

 

Αἰνεία σὺ μὲν αὐτὸς ἔχ᾽ ἡνία καὶ τεὼ ἵππω:

μᾶλλον ὑφ᾽ ἡνιόχῳ εἰωθότι καμπύλον ἅρμα

οἴσετον, εἴ περ ἂν αὖτε φεβώμεθα Τυδέος υἱόν:  (5-230~2)

アイネイアースよ、お前が自分の手綱と馬を執れ

慣れた馭者の下でこそ(馬は)曲がった馬車をよりよく

運ぶ、テューデウスの子から我々が逃げる際にも

そしてこう続けます。

μὴ τὼ μὲν δείσαντε ματήσετον, οὐδ᾽ ἐθέλητον

ἐκφερέμεν πολέμοιο τεὸν φθόγγον ποθέοντε,

νῶϊ δ᾽ ἐπαΐξας μεγαθύμου Τυδέος υἱὸς

αὐτώ τε κτείνῃ καὶ ἐλάσσῃ μώνυχας ἵππους. (5-233~6)

二頭の馬が怖れためらい、しようとしないとも限らぬ

戦いから連れ帰ることを、そなたの声を慕って

そして剛毅のテューデウスの子は我々に襲いかかって

我々自身を殺し、単蹄の馬達を逐っていくと堪らぬ。

 

パンダロスの答は、当然の如くまず馬のことです。

お前がお前の馬 ἵππω(230)を馭せ、と。その理由の説明の中でも、馴れた εἰωθότι 馭者の方がいいから、そうしないと馬が馭者の声を慕って ποθέοντε ちゃんと走らず、その馬ἵππους(236)を奪って行かれてしまうから、と。馬の習性が点描されています。ποθέω(慕って)の語には馬に人間的感情を認める心性がうかがえます。いや、もともとそれは人間に限定されない動物共通の感情であるということなのかもしれません。

そして「お前が手綱をとれ、俺は敵を迎え撃つ」(237,8)との言葉で発言を終えます。その後に来るのが次の二行です。

 

ὣς ἄρα φωνήσαντες ἐς ἅρματα ποικίλα βάντες

ἐμμεμαῶτ᾽ ἐπὶ Τυδεΐδῃ ἔχον ὠκέας ἵππους. (5-239,40)

そのように言って匠を凝らした馬車に打ち乗り

勢い込んでテューデウスの子に向け速き馬を向けた。

 

この二行について Kirk は次のような註を付しています。

The rhyme of φωνήσαντες and βάντες (though modified by tonic accent), each at the end of a participial clause and separated by the central caesura, produces a ponderous effect - which makes the rising threefolder of 240 all the more dramatic by contrast, rounding off the scene and evoking, together with ἐμμεμαῶτ᾽, the speed and resoluteness of their advance.

Kirkの註には詩行のリズムや音調への言及がよくあります。それらは必ずしも全てが「成程」と腑に落ちるものであるとは言いがたいのですが、ここの指摘は一々納得・共感でき、間然とするところがありません。

この二行は場面を繋ぐいわばつなぎですが、このようなつなぎの部分においてもホメーロスの特質は遺憾なく発揮されています。

 

攻めてくるアイネイアースとパンダロスを見て、ステネロスはディオメーデースにいいます。

 

ἀλλ᾽ ἄγε δὴ χαζώμεθ᾽ ἐφ᾽ ἵππων, μηδέ μοι οὕτω

θῦνε διὰ προμάχων, μή πως φίλον ἦτορ ὀλέσσῃς. (5-249,50)

さあ馬に乗って退却しましょう、けっしてそのように

前線に突進しないで下さい、大事な命を落とすようなことがないように。

 

馬に乗って逃げよう、と。それに対するディオメーデースの反応は案の定「とんでもない」と言ったものですが、具体的には次回に譲ります。

 

次回の「ホメーロス研究会」は6月6日(土)で、『イーリアス』第五歌253行目から273行目までを予定しています。