2025年度秋季号 その17
12月27(土)のホメーロス研究会の様子です。今回は『イーリアス』第四歌446行目から466行目までです。
そしていよいよ両軍が相まみえます。
οἳ δ᾽ ὅτε δή ῥ᾽ ἐς χῶρον ἕνα ξυνιόντες ἵκοντο,
σύν ῥ᾽ ἔβαλον ῥινούς, σὺν δ᾽ ἔγχεα καὶ μένε᾽ ἀνδρῶν
χαλκεοθωρήκων: ἀτὰρ ἀσπίδες ὀμφαλόεσσαι
ἔπληντ᾽ ἀλλήλῃσι, πολὺς δ᾽ ὀρυμαγδὸς ὀρώρει.
ἔνθα δ᾽ ἅμ᾽ οἰμωγή τε καὶ εὐχωλὴ πέλεν ἀνδρῶν
ὀλλύντων τε καὶ ὀλλυμένων, ῥέε δ᾽ αἵματι γαῖα. (4-446~51)
両軍があい進んで一つところにやってきた時
革の楯を打ち合わせた、そして槍を、男共の力を
青銅纏う(男共の力を打ち合わせた)。臍持つ大楯は
互いにぶつかり合って凄まじい轟きを立てた。
そこで男達の呻き声と勝ち名乗りとが共に起こった
倒す者達と倒される者達の、大地は血で流れた。
アカイア勢・トロイア勢の詩篇における最初の戦闘場面です。
この一節には音調の面でリフレインのように耳にとまる音が幾つもあります。
οἳ δ᾽ ὅτε δή ῥ᾽ ἐς χῶρον ἕνα ξυνιόντες ἵκοντο,
σύν ῥ᾽ ἔβαλον ῥινούς, σὺν δ᾽ ἔγχεα καὶ μένε᾽ ἀνδρῶν
χαλκεοθωρήκων: ἀτὰρ ἀσπίδες ὀμφαλόεσσαι
ἔπληντ᾽ ἀλλήλῃσι, πολὺς δ᾽ ὀρυμαγδὸς ὀρώρει.
ἔνθα δ᾽ ἅμ᾽ οἰμωγή τε καὶ εὐχωλὴ πέλεν ἀνδρῶν
ὀλλύντων τε καὶ ὀλλυμένων, ῥέε δ᾽ αἵματι γαῖα. (4-446~51)
です。最後の αἵματι γαῖα も挙げられるかもしれません。両軍は戦闘に意気込んでいるわけですが、詩人も最初の戦闘場面の描写に意気込んでいる感があります。
450,1の二行には典型的な chiasmus(交差配列)が見られます。すなわち οἰμωγή τε καὶ εὐχωλὴ と ὀλλύντων τε καὶ ὀλλυμένων は AB・B’A’ の構造になっています。
そこで比喩が来ます。
ὡς δ᾽ ὅτε χείμαρροι ποταμοὶ κατ᾽ ὄρεσφι ῥέοντες
ἐς μισγάγκειαν συμβάλλετον ὄβριμον ὕδωρ
κρουνῶν ἐκ μεγάλων κοίλης ἔντοσθε χαράδρης,
τῶν δέ τε τηλόσε δοῦπον ἐν οὔρεσιν ἔκλυε ποιμήν:
ὣς τῶν μισγομένων γένετο ἰαχή τε πόνος τε. (4-452~6)
あたかも冬の河が山から流れて
落合いに激しい水を打ち合わせる
うつろな谷間の中の大いなる泉から(流れて)
その音を遥かに山で牧人が聴く
その如くに入り乱れる兵士達の喚声と騒擾が起こった。
両軍の激突によって起こる騒擾の比喩として、二つの激流が落ち合う音が出てきます。
この一節の最初の詩行
ὡς δ᾽ ὅτε χείμαρροι ποταμοὶ κατ᾽ ὄρεσφι ῥέοντες (452)
にも流れを喚起する流音【ρ】の響きを感じ取ることができそうです。
そして比喩の最後455行目行末にはそれを耳にする牧人 ποιμήν が配されています。この牧人の存在によって、あたかも詩人が(そして我々聴き手・読み手もが)そこにいるかのように騒擾がより臨場感を増しています。
455行目に τηλόσε の語があります。語尾 -σε は移動の方向を表わす接尾辞であり、語の意味は直訳すれば「遠くへ」です。普通なら「遠くで(聞く)」と言いそうなものです(上記試訳では両方の意味を兼ねて「遥かに」としました)。ここには聴覚にかかわるホメーロスの独特な捉え方が現れています。Leaf はこれについて the reaching to a distance is regarded as a property of the power of hearing, not of the sound と註を付けています。興味深い点です。
考えてみると視覚については現代でもこのホメーロス的認識を持っているようです。すなわち、我々は「遠くへ見る」とは言わないまでも「遠くを見やる」とか「遠くに視線を投げる」と言います。視覚も光学的には網膜に届いた光を感知する受動的感覚なのであって、視覚が対象物まで出かけていくわけではありません。現代人も視覚については対象に向かっていく能動的作用があるとの幻想を抱いています。しかし聴覚についてはその幻想を抱いていません。それに対してホメーロスは聴覚についても同様の幻想を抱いていたことになります。それはホメーロスがそれだけ聴覚に重きを置いていたことの証左のひとつなのかもしれません。音や声に特に鋭敏な感覚を示している詩人ならではです。
次回のホメーロス研究会は(年始の休みを挟み)1月10日(土)で、『イーリアス』第四歌467行目から487行目までを予定しています。