参枚目のタフガキ | 霽月日乗・ホーマーEのブログ

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個人の備忘録です。

さて、今日からまたエビ中ニューアルバム『穴空』について少しずつ所見を述べていこうと思います。今日は「参枚目のタフガキ」。前山田健一(詞曲)、CMJK(編)。これ、美怜ちゃんの推し曲なので発売前から注目してました。まず最初に言っておきますが、好き嫌いで言えば、残念ながら初めは必ずしも僕の好みじゃなかった。そもそも、ユニット曲にしても何にしても、僕はどうも彼女と音楽的な趣味が合わないことが多いし、その事実は悲しいけど動かしがたい。でも僕はそういう場合、何とか好きになろうとしますよ。ライブで見たら印象変わるかも知れないし(後述します)、あまり興味のない分野を知ることで、自分の楽しみが広がりますしね。

まず曲名が発表された時に嫌な感じがしたんですね。『弐番目のタフガキ』という(邦題の付けられた)アルバムがありますが、ハハーンと思った方も少なくなかったでしょう。

僕は前にも書きましたが、著名な(そして、特異な)先行作品に題名を寄せたもの全般に対しては眉に唾を付けて臨みます。世界の中心で~、とか、〇〇はXXの夢を~、とか、その手のやつ。

だから今回のも最初からバイアスはかかってたんですが、聴いてみると余りにもあからさまにアレ、スリッピーなボーンでした(笑)。

あの曲は96年の映画『トレインスポッティング』のラストシーンで使われてました。いわゆるテクノです(文句ばかり言うようですが、僕はテクノ苦手でした、YMOもブライアン・イーノもヒューマン・リーグもトーマス・ドルビーも。ユーリズミックスはギリギリ許容範囲)。テクノというよりリズムの打ち込みがダメと言った方が正確かもしれません。特に初期の、まだ技術が確立されてない頃のはね。

それでも、アンダーワールドが出てきた頃には作り込みがより巧妙になり、打ち込みでも尻が浮くような作品も出てきた。こういう動きはポップス/ロックにとどまらず、僕の守備範囲にもそういう例はポツポツ見られました。人がやってるのか機械なのか、ちょっと聴いただけでは分からないんですね。例えばコレ、ブッゲ・ヴェッセルトフトの標榜する「ニュージャズ(Nu Jazz)」は、いわゆるテクノや、T・ライリーとかS・ライヒの現代音楽との境界線が極めて曖昧です。

そう考えて聴くとアンダーワールドも悪くないし、もちろんこの「参枚目のタフガキ」だって、最初に聴いた印象とは少し違ってきます。

『トレインスポッティング』の原作はアーヴィン・ウェルシュの小説。93年のブッカー賞候補にもなりました(ただし、longlistと呼ばれる最初の候補に選ばれたときに何か選考委員と揉めたらしく、shortlist、つまり最終候補には残りませんでした)。ちなみにこの年の受賞作はロディ・ドイルの『パディ・クラーク ハ ハ ハ』、これも面白い小説です。作者はアイルランドの人。あ、ウェルシュはスコットランド人です。

ブッカー賞といえば、89年に『日の名残り』でカズオ・イシグロも受賞してますね。ほら、『わたしを離さないで』の原作者ですよ。ちなみに最近の受賞作では2011年のジュリアン・バーンズ『終わりの感覚』が非常に面白かった。翻訳も出ています(自分で訳したかったなあ)。

えーと、脱線してますが、音楽とか映画とか本とか、1つの作品をきっかけにこういう風に広がっていくのが面白いところですし、世の中の学問とか文化とかはインドラの網じゃないが、畢竟、何でも繋がっている。最初から食わず嫌いで手を出さないと損ですよね。

というわけで、最初の印象とは裏腹に、「参枚目のタフガキ」も上のようなことをつらつら考えながら聴いているうちにだんだん心地よくなってきましたが、やっぱりこの前の市原でのライブで彼女らのパフォーマンスを見て、一段と好きになりましたね。緩急のついた振り付けも素敵でしたが、何より美怜ちゃんが伸び伸びと歌い踊る姿がこの目に焼きつきましたから。

こうなると曲がどうとかいう話にはなりません。今も聴きながらブログを書いてます。いやー、嫌いだの何だのと悪口言うより、こういう態度で臨む方が結局は幸せなんですよね。