観想ということ | 霽月日乗・ホーマーEのブログ

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個人の備忘録です。

いま作業中の新訳短編、もう少しで訳了しますが、組み入れ等の関係で既訳分の修正を先に仕上げることに。今日の午後イチで一本送って、この本に関してはそろそろ先が見えてきました。出版は来年早々になりそう、当初見込みより1か月ずれ込みました。不可抗力とは申せ、この1か月のブランクは如何ともしがたい。出るのが遅れると印税振込もその分遅れるので、また資金計画を練り直さなきゃ。相変わらずの自転車操業です。やれやれ。


畏友hiroyukiさんが興味深いことをブログに書いておられます。コチラ

いよいよ推しと合一したいとおっしゃる。とは言え、ガチ恋もここに極まったかなどと笑うなかれ、そもそも対象との(特に精神的)合一はギリシア哲学の重要概念であり、プロティノスも精神の上昇過程をカタルシス(浄化)→テオリア(観想)→エクスタシス(忘我)としていて、hiroyukiさんの今の段階は最後のエクスタシスにあると言えます。

僕はもとより未熟者なのでまだまだ忘我の境地には至りませんが、少なくとも推しに対してはアリストテレースのいう観想的生活に入ってるかな。すなわち、美怜ちゃんに関しては、彼女と僕を取り巻く間接的/付随的意見=態度がどうあれ、美怜ちゃん自体を静かに眺めて(もちろん実際の姿を眺めるのではなく、心眼をもって「観想」しつつ)毎日を送る、そういう段階にある。ここ最近、人間の一生、特にその短さについて考えることが多かったので、すでにホームストレッチに突入した感のある僕は、残りの人生を善く生きたいという思いが強くなりました。好きなものごとに清澄な態度、やり方で臨む、というのはそのための一環でもあります。

要は雑音に耳を貸す暇はないということ。いちいち言うまでもないことですけど。


明日はまた半日書店で店番なので、今日はできるだけ翻訳のほうを進めねばなりません。たまには晩酌の一杯も飲みたいけど、それはしばらくお預けですね。