あれ、小説が先だか映画が先だかよく知りませんが、かつて題名のあの文字列を最初に見たときに、いくら何でもこれは……と苦笑したものです。ところが今やすっかり市民権を得たようですね、むしろ元になったハーラン・エリスンのこちらの方が忘れられている感すらあります。
『世界の中心で愛を叫んだけもの』。翻訳はハヤカワから出ております。これはとにかく容赦のない(もちろん褒めコトバですよ)作品、小説書くならこれくらい思い切らないといけないなあ、と痛切に教わりました。このあとしばらくエリスンの作品を読み漁ったものです。
これ、短編集ですが、その中のAsleep: with Still Handsという話にこんな箇所があります。
…the Jazztet changes on Tadd Dameron's "High-Fly"…
あれ? と思うわけですよ。だって、「ハイ・フライ」はダメロンじゃなくてランディ・ウェストンの曲ですから。ちなみにジャズテットというのはアート・ファーマーtpとベニー・ゴルソンtsを双頭リーダーとするグループ、Big City Sound(Argo)というアルバムにこの曲、というか演奏が入ってます。
文庫本のその箇所を見ると、何食わぬ顔でダメロンじゃなくてウェストンに直してありました。訳者の朝倉さん、伊藤さん、どちらがお訳しになったか、いま手元にその文庫本が見当たらないので確認できませんが、とにかくきちんとプロの仕事をされてるわけです。
でも、そこでふと思ったのは、これ、直さないでそのままにしておいた方がよかったんじゃないかな、ということ。原作者のハーラン・エリスンは伝法が売りの人なので、ハイ・フライの作者がダメロンかウェストンかなんて、きっとそういうことをいちいち調べないんだろうと思う。でもこれはエリスンという作家のことをある程度知った上での話、訳者としては誤りをそのまま訳すと誤りに気がつかなかったと読者に思われかねないので、それはそれで今後の自分の営業活動にも関わる。原文が間違ってるんですよ、と言い訳する機会はほとんどありませんからね。だったら「ママ」とか何とか断っておいて注釈付ける手もあるんですが、途中で注釈入れるのは、特にこの手のエンタテインメント性の強い作品の場合、話の流れを切っちゃうのでなるべく避けたい。
というわけで、僕にとってはエリスンの『世界の中心で~』はとりわけ親しんだ、惜しみない敬意を抱いている作品なので、これをパロった題名をつけるからにはそれ相応に肝が据わった作品なんだろうな、と後で出た方の本の頁をパラパラめくると、何じゃコレ、ってわけで、僕はあの恋愛モノに関しては1ミリも評価していないわけです。
同じような理由で、「○○は★★の夢をみるか」式の題名を臆面もなく自分の作文の題名にしている人もよく見かけますが、そういうものは一切読みません。だって、つまらないに決まってるから。題名は大事ですよ。
先週、『この流れバスター』を鑑賞しながら、僕は以上のようなことをぼんやりと考えてました。だから劇の内容のことはサッパリ思い出せません。彩ちゃんのスタイルが抜群だったこと、冒頭のローラー・アシュレイ風の紺のロングのジャンパースカート(あるいはベストとスカートのアンサンブルかな?)がよく似合ってたこと、この2点はよく覚えてますけど。
