これ、何かと申しますと、一昨日話題に出たモーツァルトのオペラ「コシ・ファン・トゥッテ」第1幕第16景に出てくる歌詞です。侍女のデスピーナが医者に変装して一芝居うつ場面で、ここから第1幕のフィナーレへと向かう、このオペラの最大の見せ場、というか、僕の一番好きな場面です。
「ごきげんよう、親愛なるみなさん、美しきお嬢様がた」くらいの意味ですが、この歌詞、なかなか味があるんです。
最初の二語は文法的に正しいのですが、あとの二語の呼格は本当ならbonae puellaeとなるべきなんですね。えーと、第二類形容詞とか第一変化名詞とか、細かい文法の説明は飛ばしますよ。
ものの本によりますと、ダ・ポンテの台本にはbonae puellaeと正式な格で書いてあるのにモーツァルトが現行のものに直したそうなんです。
デスピーナは侍女なので正式なラテン語教育は受けてない、amabilisの複数形呼格amabilesに引っ張られる格好でbones puelles と語尾を揃える間違いはいかにもありそうなのと、こうした舌足らずな間違いをしちゃうのがこのデスピーナという役の可愛らしさ、愛嬌なので、この辺はさすがモーツァルトと言うしかない。
しかもこの後に、主役の良家の美人姉妹が「私たちの知らない言葉を話してる」と続く。ダ・ポンテのオリジナル台本通りだと、この姉妹はお嬢さんだけどラテン語を解するまでには至らない、軽薄な娘として物語は平坦に進みますが、デスピーナが語尾を違えたことで、ここの姉妹の台詞にも深みが出てくる。私たちが習ったラテン語とは違う、でもこのお医者様は権威がありそうだから間違えるはずがない、ではどこの国の言葉だろう、と、姉妹の教養の高さも匂わせることになるんですね。そうなるとこの変装劇を仕組んだ主人の老哲学者ドン・アルフォンソ役の歌手にも演技力が求められる。侍女を医者に見せかけたものの、言葉の間違いでボロが出かける、でも姉妹は勘違いしてくれそう。姉妹の言葉を受けて、デスピーナの医者は、自分はたくさんの言葉を知っている、としてギリシア語、アラビア語、トルコ語、ヴァンダル語、スウェーデン語、ダッタン語(ラテン語が入ってないことに注意)と羅列して、ドン・アルフォンソも「何とたくさんの言葉を知ってるのだ」とさらに念押ししようとする。この場面、哲学者は計画がバレそうになって焦るところを少し見せないといけなくなります。実際の舞台でそこまでやるドン・アルフォンソは見たことありませんけど。
でもこれ、モーツァルトはたぶん最初のゲネプロかなんかでこの部分を歌わせてみて、二重母音で終わるよりも子音sで脚韻踏んで終わる方が音楽に乗りやすいと思ったんじゃないかなあ。メロディに乗せて口ずさんでみるとわかります。puellaeよりpuellesのほうがしっくりくる。
きちんと文献に当たったわけじゃないので本当かどうかはわかりませんよ。でも彼くらいの天才なら、こういう手順でぱっぱっと歌詞なんて変えたに違いない、僕はそう思います。でもたった二語の語尾を変えるだけて場面にぐっと奥行きが出る。やっぱりモーツァルトだなあ。
普通、このオペラの見どころはソプラノ、メゾソプラノ、テノール、バリトンの主役四人のアンサンブルにあるとされてますが、上のようなこともあって、僕はこの脇役のデスピーナの人選、出来をもって判断の基準としています。
ところが良いデスピーナにはなかなか出会えないんですよ。キュートでコケティッシュで可愛らしくて、でも聡明ですこしズルくて芝居上手で、しかも歌手としては超絶技巧の持ち主……僕のこれまで見聞きした中では、レコードでは一昨日写真を載せたクレンペラー指揮エレクトローラ盤のルチア・ポップ。この場面では「魔笛」の夜の女王なみに立派すぎる(笑)偽医者ぶりですが、僕の理想とするデスピーナにもっとも近い。
映像では若い頃のキャスリーン・バトルですね。あれはグラインドボーン音楽祭だったかな? 昔NHKで放送されたのを見てうっとりしました。歌はやや線が細いけれど、可愛らしいデスピーナでした。だから、バトルの姿を思い出しつつポップのレコードを聴く、というのが僕のコシの楽しみ方です。
以前、エビ中とオペラという記事を本ブログに書きましたが、デスピーナはぁぃぁぃに振り当てました。最近、ロボサンの第6話を見てますますその思いを強くしましたね。キュートで聡明で生意気で歌が上手で芝居っ気がある……叶わぬことでしょうが、ぁぃぁぃのデスピーナ、一度は見てみたいものと夢想しています。
さて、これから個握に行って参ります。その模様はまた明日。何せ今日は終わるのが遅いものですから。思えばみれいちゃんと直接話すのは秋田のフリーライブ以来、そう思うと何だか緊張してきました。

