立ち話し | 霽月日乗・ホーマーEのブログ

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個人の備忘録です。


朝刊で宮家のご婚約のニュースを見た。
目がとまったのは、相手の方の
お名前である。

千家国麿さん。
出雲大社の禰宜だそうな。

この名を見て、詩人の千家元麿を
思い出した方はどのくらい
いるだろうか。

僕は千家元麿の詩を愛読しています。
彼の詩には平凡な日常が、市井の
人々が、愛する家族のことが
歌われる。

家族は奥さんと息子が二人、
決して裕福ではないけれど、
幸せな生活が手に取るようにわかる。

でも戦争がはじまり、息子たちは
兵隊にとられ、長男は戦死する。
奥さんはそれから体をこわし、
次男の復員を待たずして
亡くなってしまう。
千家はその後も詩を書く。

時系列的に彼の詩を読み進めると、
彼は人生を詩に詠んだのか、
人生そのものが詩だったのか、
混然としてきます。

僕は彼の詩によって、詩とは何も
特殊な人が読むものではなく、
普通に暮らす僕らの生活の一部で
あるべきだということを、その
普通の生活の一瞬一瞬が詩を
内包してるのだということを
教わりました。

彼はたとえばこんな風に詠みます。


急いで家へ帰つて来る途中で
もう暗かつた。妻に出會つた。
二人は用を話し合つた。
妻は自分に子供を注意した
成程、見れば妻の顔のうしろに
ねんねこの蔭にしつかりと窮屈な位包れて、
枝になつた果實のやうにかつちり引きしまつた小さな顔が、
黙つて笑つて居た。
(中略)
さて又自分は妻と話のつづきをする。
もう子供の事は忘れて、
話が絶えて又思ひ出して見れば
静かに笑つて二人の話を聞いてゐる
母の顔のうしろの一寸気がつかない小さな顔よ、
葉蔭の花か果物のやうな
満足しきつたぜい澤な顔、
可愛ゆい、小さな鋭い顔、
ではさよなら、行つて御いで
さよなら、笑つて居ますよ。
(「立ち話し」)


人が生きるということは、こういう
挿話を静かに重ねることに
他ならない気がします。

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