「未来」 | ホメログ ~ありだし、なしだな~

「未来」

 未来という言葉の語源は「未だ来ず」。きっと、そうだ。未来はいつまでたっても、ずっ
と未来のままなんだ。

 未来・現在・過去。過去と未来は見えないもの。現在しか触れることができない。感じる
ことができない。世界にインターネットが普及したことにより、新しく生まれるものから形
が失われつつある。これが原因のひとつであるが、未来を見る力は弱くなってきている。明
日だってどうなるか分からない世の中に、どうして未来を見ることができるだろうか。未来
を捨てることは可能だ。簡単に未来を放棄する若者達。今だけを生きていくことが日常化し
てしまった東京は、リサイクル不能な未来で埋め尽くされようとしている。

 昨日、産まれた赤ちゃんも、70歳を過ぎたおじいちゃんにだって未来はある。自爆テロ
を計画中の犯罪者も、親の七光りだけがたよりの無能なアメリカの大統領にも未来はある。
1940年12月8日、真珠湾攻撃の一報を聞いた当時の日本人はどういう未来を想像した
のだろう。余命3ヶ月を宣告された末期ガン患者はどういう未来を想像するのだろう。
 一つだけ言えることがあるとしたら、死んでしまったら未来はそこでストップ。未来は現
在を通り越し、過去へと移行する。

 「未来」という言葉がなかった時代の人は、現在の人と同じように未来を想像したのだろ
うか。言葉が生まれることで、認識することができる思考もあるが、未来は「未来」という
言葉が生まれるずっと以前から未来で、それは、より強い未来だったはずだ。自分がどのよ
うに未来と関わっていけばよいのかを必死に考えたのだ。

 そこで出したひとつの答え。
 
 それが子孫を残すことなのではないか。30歳で子供が産み、子供と親が同じ年齢で死ん
だとする。それは、30年先を見るができことを意味する。少しだけ先の未来を感じること
ができる。2006年産まれの赤ちゃんが80歳まで生きることができたなら2086年。
22世紀はもうすぐ目の前だ。生命の連鎖が過去と現在、現在と未来を繋いでいく。

 大きい未来があれば、小さい未来もある。小さい未来、それは君との未来。愛する人とみ
る2人の未来。これだって立派な未来だ。残念ながら、この未来は移り変わりが激しい。

 近所の公園での犬の散歩・お台場でのデート・横浜へのドライブ・・・

何気ない会話の中で交わされた未来の約束は、「さよなら」という言葉により一瞬にして消
え失せる。突然の悲しい結末。これもまた未来を形成する重要な一部だ。失敗のなかから生
まれる未来のほうが多い。

 今の自分の位置を自覚することで始めて未来が見える。未来は重力のように人をひきつ
ける。未来を想像することは、力だ。生きる力だ。未来があるから、人は生きて行ける。
でも、未来は見えない。だから不安になる。

 こうして未来はつくられる。

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与えられた意味だけではなく、
たまには言葉について考えてみることも
必要なんじゃないかと思い書いた。

今後も続けてみよう。