頼りにならない子どもと元気な親のこと | あっこちゃんの「あ〜人生はすべてぬちぐすい」ブログ

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セラピスト細川明子の日々いろいろ人生いろいろ。
日々いろいろ人生いろいろあるけれど、ぜんぶが命の薬(ぬちぐすい)なんだよね。

この間、友だちと話していて気づいたこと。

 

「あっこちゃんは、長女なのに

なんでそんなに親のことに巻こまれないの?」

と聞かれた。

 

ちょうどそのとき

長男長女が、どれだけ親のことに気を使い、

さらに自分のことを置いてでも

親の世話をしたり、親のためにいろいろやっちゃうひとたちが多いと、話していた。

 

あっこちゃんも長女なのに、そうじゃないのね、

と、友だち。

 

 

そのときとっさに私が言ったのが

「うちの親たちは、

私のことは、アテにしてないからだと思う」

 

 

そうだ、

父も母も

私のことを

アテにしていない。

 

私は

アテにならない子どもだと思われているのです。

 

 

 

 

 

 

三人兄弟の長女の私は、

大学までは、いわゆる「いい子」だった。

 

「女の子には、金はかけられない」と

ずっと言われていたとおりに

国立大学に入って、ものすごく喜ばれた。

 

就職を考える四年生の時、

当時バブルだったから

みんなゼネコンなどの大きな企業に就職が決まる中、

私ひとり、ぜんぜん違う小さな設計事務所に就職した。

(私は大学では、建築を勉強したのでした)

そのときから

たぶん親の期待をどんどん裏切ることになっていたのだったなあ。

 

そのあと

ある日いきなり

設計事務所を辞めたと思ったら

わけわからないオイリュトミーを勉強しにイギリスに行きたいと、私が言い始めた。

そんなわけのわからないものに

ぜったい援助なんかできない、と反対され、

(もちろん私は援助してもらおうなんて思ってもみなかったのだが)

一年間トラックを運転し、留学資金を貯めたのでした。

(うふふ、かつては4トントラックを運転していたのよ、私てへぺろ

なんのために、大学まで行ったんだ!と大反対の中、

私はひとり、そのわけのわからないオイリュトミーを勉強しに

イギリスに行ってしまったのでした。

その後、帰国したはいいものの、

またわけのわからない仕事を始め、

今までやってきているけど、

たぶん両親とも

私がじっさいどんな仕事をしているか

いまだにぜんぜんわかっていないと思います。

 

だから

たぶん

私のことは

そうとう諦めていると思うのです。

 

何年か前のある日

実家に帰ったら

「もし、私たちに何かあったら面倒見てくれるのか」

と、聞かれました。

「もちろん、そのつもりだよ。

当たり前じゃん」

と答えたら、

「お父さん、面倒見てくれるって

よかったねえ、安心だねえ」

と、喜ばれた。

 

えっ?それって

もしかしたら、私、面倒見ないと思われてたってこと?

そんな風に思われてたのかあ、

と、そのとき、ばくぜんと感じたのですが、

今回、友だちと話していて

あらためて、うちの親たちは

たぶん私のことは諦めている、か、

わけわからない娘なので、頼れないと思っているんだろうな、と

気がついたのでした。

 

 

 

 

 

よく考えたら、

ふむふむ思いあたることが、たくさん。

 

 

 

 

 

 

これまで私は、

母となんども海外に旅行に行きました。

ロンドン、パリ、ベネチア、トルコ、アラスカ、アイルランド、北欧などなど。

 

どこに行っても、

ほとんど別行動です。

なにせ行動パターンが違いすぎる。

私は、のんびりホテルでずっとぼおっとしていてもいいタイプだし、

母は、とにかく時間があるかぎり行けるところは行きたいタイプ。

買い物に行きたい店も違うし、

母は、ここまで来たからと観光名所はぜったい行くけど、

私は、路地裏をうろうろしたりするのが好きで、

観光地はひとがたくさんいるから行きたくない。

だから、お互いのために別行動。

たぶん、その「おかげ」で

母は、どこの国に行っても、ひとりで地下鉄もバスも乗りこなし、

どこでも最後の日も、残り時間であそこだったら行けると、ひとり繰り出していくのでした。

 

でも

スウェーデンのストックホルムに行ったときは

ちょっと大変でした。

ストックホルムに着いた一日目、

まだチェックインできない時間だったので

ホテルに荷物だけ置いて、街に遊びに行ったときのこと。

たまたまパレードの行進に出会ったのです。

ブラスバンドが音楽を奏で、

たくさんの馬たちが行進して行きます。

もう楽しくて楽しくて、どんどんパレードに着いて行ってしまいました。

でも

ふと後ろを見ると

母が、いない。。。

来た道を探したけど、どこにもいない!

どこではぐれたのか、わからない。

そのときは、携帯も持っていない。。。

連絡の取りようがない。

ど〜しよ〜〜〜〜〜!

とりあえずホテルに戻るしかないか、と

戻ってみると、

なんと、すっかりチェックインも済ませて、

母は部屋で昼寝してるではないですか。

「お昼ごはん食べたら、眠くなっちゃって」

そうだ、両替したお金は、ぜんぶ母が持っていたのです。

「お金があれば、大丈夫だったわ」

母は、初めての街でひとりで地下鉄に乗り、

ひとりで屋台のピザを食べ(もちろんビールも飲み)

ひとりでホテルに帰ってきたのでした。

「気がついたら、いなくなっちゃうんだもん。

アテにならないよね」

 

アテにならない、頼れない娘のおかげで

母は、どんどんたくましくなっていったんじゃないかと思います。

 

たぶん

母だけじゃなくて

父も

こいつには頼れないと思っていると思います。

そして

私の弟ふたりも頼れないと思っていると思います。

だから

父も母も

自分たちでなんとかしなきゃと

まだまだ元気なんじゃないかな。

 

それって

なんて親孝行なことだろう爆  笑爆  笑爆  笑

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな話を友だちとして

実家に帰ったら

この間ロシアに行った母が「ボルシチ」を作ってくれました。

 

「本当は煮込んじゃいけなかった。

煮込む前は、きれいな赤色だったのに!

こんどは煮込まずに完成させるわ」

 

ずっと行きたかったエルミタージュ美術館に行けたから

これでいつでも死ねる、と言っています。

 

でも

また

今度の旅行は、最後になるかもしれない、と言いながら、

ひとりでどこかに行くんだろうなあ。

 

 

 

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