弱さについて思うこと | あっこちゃんの「あ〜人生はすべてぬちぐすい」ブログ

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セラピスト細川明子の日々いろいろ人生いろいろ。
日々いろいろ人生いろいろあるけれど、ぜんぶが命の薬(ぬちぐすい)なんだよね。

「弱いんです」

と、よく相談される。

 

「心が弱いんです」

「気持ちが弱くて」

「弱い自分が嫌いなんです」

 

 

私のところに来る人たちは

病気を抱えていたり

悩みを抱えていたりする。

 

そんなときに

強くあれるひとなんて

いないと思う。

 

心が弱いときで

あたりまえ。

 

気持ちが弱いときで

あたりまえ。

 

弱い自分ぜんかいで

あたりまえ。

 

だと思います。

 

弱い「とき」

弱さが出ている「とき」

 

今はそういう「とき」

あたりまえ。

 

いつも弱いわけじゃないはずでしょ。

 

いままで強さが出ていたときもあるはず。

そうやってここまで

生きてきたんじゃない。

 

たまの弱さを

自分ぜんぶが弱いってことにしてしまったら

すごくもったいない、

というか、

自分を知らなさすぎて

いろんなことへの歪みになる。

(難しい言葉で言うと、自己認知や自己認識のずれ、になる)

 

どんなひとでも

弱さ持っているし

強さも持っている、と思う。

それはひとそれぞれ違っている。

 

こういうときには弱さが出てしまうひともいるだろうし、

こういうときには強さを出せるひともいるだろう。

 

弱いときもあるし

強いときもある。

それもひとそれぞれ違っている。

 

今、弱いひともいるだろうし、

今、強さを感じているひともいるだろう。

 

いつもいつも

弱くもないし

強くもない。

 

弱いときは

だれかを求めたりする。

 

だれかがそばにいることが

うれしかったりする。

 

強いときは

だれかのそばにいてあげたいと思えたりする。

 

弱いことは

ぜんぜん悪くない。

 

私は

ひとの弱さって

好きだなあ。

人間らしくって

とても好き。

 

きっと

自分の弱さを

もっともっと好きになりたいからだと思う。

 

かつては

私ももっと強くなりたいと思ったわ。

弱い自分が嫌いだった。

 

でも

強いとか

弱いとか

そこを飛び越えたところに

求めているものがあるとわかったから

いまは

強いとか弱いとかの場所に

とらわれている意味を失くしたわ。

 

だからこそ

弱い自分も

だいじに抱きしめてあげたい。

 

弱さがわかると

強さもわかると思うからね。

 

そして

そこを飛び越えたところに行くのだよ。

 

そこにあるのは

この自分であろうという「覚悟」。

この人生を請け負う「覚悟」でもあると思う。

 

そこへ行ったら

本当に強いもんね。

 

そうなったひとを

たくさん見てきた。

 

「覚悟」ができたら

強くっても

弱くっても

ぜんぜん関係ない。

 

強いし

弱いもんだと

思えるからね。

 

私もまだまだよ〜。

ちょっとそんな「覚悟」のはしっこを見つけたかなあ。

まだまだ行きたい。

 

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