伝説のマイクアクション  

 


(16)デビュー3年目 特注マイク台で大成功


 デビュー後、仕事の最初のピークは三年目の一九七四年でした。「激しい恋」「傷だらけのローラ」の連続ヒット。テレビドラマや映画への出演。紅白歌合戦への初出場。目まぐるしい一年でした。


 この年最初のシングルが「薔薇(ばら)の鎖」。僕の代名詞の一つである激しいアクションの方向を形作った曲です。


 徐々に振り付けが激しくなっていたのですが、この曲ではマイクアクションが加わりました。マイクスタンドを蹴り上げたり、振り回したりするアクションは、当時の日本の歌謡界では衝撃的なことでした。


 実は、海外のミュージシャンがやっていたアクションを取り入れたのです。ジェームス・ブラウンらがマイクスタンドを振り回すのを見て「僕もやってみよう」と試みるとうまくできなかった。鉄製のスタンドが重かったからです。


 ある日、かまやつひろしさんの誘いで、ロッド・スチュワートがいるフェイセズのコンサートへ。彼のアクションを盗もうと凝視すると、マイクスタンドを蹴り上げたり、放り上げたり。「どれだけ力持ちなんだろう」と舌を巻いたのですが、答えは簡単でした。かまやつさんが調べてくれ、鉄製ではなく、アルミ製で軽かったんです。


 特注で作ってもらったマイクスタンドは値が張りましたが、すごく使いやすかった。派手なマイクアクションを披露すると一躍話題になりました。「歌い手の大切なものを蹴るなんて」との批判も一部にありましたが、芸能界にマイクアクションがどんどん広がっていきました。


 やることなすことがすべて成功し、結果が残る時期が人生にはある。この年を振り返ると、そういう思いを強くします。


秀樹さんを語るうえで欠かせない、マイクアクションの逸話。

 


かまやつひろしさんとのエピソードも、みなさんご存じですよね。

 

 

秀樹さんがかまやつさんと一緒に観たロッド・スチュワート。
今年の3月、なんと15年ぶりの来日公演がありました。

 

 

御年79歳(!)、マイペースでアルバムを制作し、元気にワールドツアーができるなんてすばらしすぎる。

元祖、マイクスタンドを蹴り上げるアクションも健在だったようです。
アンコールは「セイリング」だったんですね、秀樹さんのステージを思い出します。

秀樹さんがあこがれたロッドは、今もがんばってるよ。。。


今日も最後までおつきあいいただき、ありがとうございます。